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久しぶりで、両親のこと

以前にも書いていて。
ご覧になった方は、スルーしてくださいね。
今日、
ジムの友だちとの会話で、
色々なことを思い出しましたので、
記憶を辿ってみたいと。

自分の原点でもある場所なので。

自分が生まれて育った場所は。
戦後の中で、
あちこちから来た方々で形成された、
そんな集落。
当時は、15軒ほども。
現在は、2軒ほどに。
両親にとっては、
実家から更に奥の国有林内。
そこに、
土地を借りて結婚をして、
生活が始まりました。
ですから、
お隣の方が、
どこから来たのかさえ分からない、
そんな集落でした。
中には、
戦争で片腕を失ったおじさんも、
住んでいました。

ここからは、
自分の子ども目線の感覚も。
近所のおじさんは、
猟銃を所持していて、
狩をしていましたが。
父は、
持っていませんでした。
父は、
どちらかと言ったら、
文系の本の好きな人で、
花が好きで、
そして、
自分たちのために、
開拓した場所に、
様々な果樹の苗を植えてくれて。
そんな人でした。

エピソードを少し。
植えてあったもの。
モモや木イチゴや、クリにリンゴも。
ですから、
自分の知っているモモは、
カリッと歯ごたえのあるモモで、
イチゴは、
庭先の土手に生っていて、
食べたい時に、
自由に食することが出来て、
楽しみの一つだった。

クリは、
湧き水の沢に沿って植えてくれたので、
とても成長したことを覚えている。
ずっと後には、
沢沿いにワサビを植えたことも。
根の部分はもちろんですが、
春には、
白い花が可憐だったし、
天ぷらにすると、美味でした。
裏山には、
ゼンマイやワラビの山菜が。
そして、
父が植えたヤマユリがキレイだった。

そんな家だったけれど。
あちこちから集まった方は、
やや秩序に欠けていて。
ある知っているおばさんは、
夜中に駆け込んできて。
おじさんの暴力のためで。
我が家でかくまったり、
かばったり。
またある日は、
妊っていたおばさんのお腹に、
暴力を振るって。
父が言ったのは、
「お腹の子がどうなるかわかるでしょう」
そんな村だった。
そうかと思うと、
5人もの男の子を抱えていたお宅では、
惜しみなく、
美味しい蒸し饅頭を作ったりして、
自分たちにも食べさせてくれて。
互いが、
互いを助け合う。
そんな場所でもあったけれど。
結核になっては、
引っ越しをして行ってしまう。
次第に、引っ越す方もいた。

そんな環境の中で、
子どもながらも、
自分は、
たくさんのことを学んで、
そして今がある。
そんな気もする。
20代の頃は、
弱い立場の方の本を読んだり。
例えば、
宮本輝氏の『泥の河』とか、
『橋のない川』など。
児童作家の灰谷健次郎氏のものも。
何故なのか、
心が持っていかれる。
そんな作品たちだった。

人は、
この世に生まれたなら、
平等の命のはずなのに。
矛盾を感じたりしながら、
思春期を過ごして来た。
そんな思いになった時もあった。

姉妹の中で、
唯一、
父に反抗したのも自分だった気がする。
何故なんだろうか。
人は完璧ではないことを、
父を見ていて感じていたことも。

しかし、
晩年は、
たくさんのことを話して、
互いに理解し合えたと信じている。

人って、
生まれた環境で決まるのものでもなくて。
その環境で経験したこと、
感じ取ったことを。
いつしか、
心の形成にどのように反映するのか。
そんなことを、
今頃になって思っている。

だから、
このnoteで書いているし、
想いを伝えたいと思っている。
困っている方を見たら、
手を差し伸べて。
底辺で生きているような面持ちで、
これからも、
生きる自分でありたいとも。
どんな環境も、
自分に引き寄せて。
変わらない心で生きられたら。
そんなことが、
現在の自分なのかもしれない。
小さな庭で、
好きな花を咲かせているけれど。
心は、
野に咲く小さな花で良い。
そんな気もする。


朝書いたnoteは、
削除しました。
スキをくださった方には、
感謝します。
こうして、
思い出して書けるのも、
父や母へのせめてもの孝行であることと、供養にもなるかなぁと。
自分自身のrootsを、
改めて知る機会にもなります。

ありがとうございました。

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