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[ショートショート] 星が降る、世界が動く時 - シロクマ文芸部

 星が降るようになってから三年。僕らはすっかりこの夜空に慣れてしまった。

 あれは三年前。突然、星々が夜空を流れ出した。
 それはまるでカメラの露出を長時間に設定して撮影した写真のように、星々が細い幾つもの光の筋になってしまったのだ。

 しかし、星の軌道は円を描くのではなく、一定の角度で直線に流れているのだった。

 人々は空から星が降ってきたのではと恐怖した。そんなことはありえないと頭ではわかっていても、そう見えてしまった。

 これには天文学者たちも頭を悩ませたが、結論としては太陽系全体が超高速で移動しているのでは…という説に落ち着いた。

 なぜなら、太陽系に属する惑星の運動は変わらずに観測されたからだ。

 そもそも地球や、それを含む太陽系、さらには銀河全体も常に動き続けているものであるのだけれど、あまりに小さな我々は本来であればその動きを感知することはできない。

 それがこんなに明確に星が流れて見えるとは、一体どれほどのスピードなのだろうか…と人類は恐怖した。

 もしかしたら光速を超えているのかもしれない。

 この非現実的な事態についていけない人たちも多く存在し精神を病んでしまった。

「動いているのは星の方だ、我々がそんな高速で動いているならなぜ振り落とされない」

 などと、退行した意見が罷り通るようにもなった。万有引力と慣性の法則を理解できていない者が多すぎた。

 そんな中でも、比較的若い世代はこの状況をすんなり受け入れた。

 何しろ星が降ってきているだけで日常は変わりないのだから。

 星が動いてようが地球が動いていようがどっちでもいい。とにかく日々生きることで精一杯だった。

 僕も星のことなどどうでもいいと思っている人種の一人だった。

 だけれども恋人のミツコは違った。これは人類の、いや太陽系存続の危機であるとして、平然としていることを悪と決めつけた。

「あなたは何とも思わないの? こんなことが起こって危機感を持たないなんてどうかしてる」

「どうかしてるのは君のほうだろう? 考えてもわからないことを考えても仕方ない」

 こうして僕たちは口論が絶えなかった。ミツコの極端な考え方に不安を覚えるのだった。

 ミツコはどんどん思い詰めていき、同じような考えの者たちとよくつるむようになった。

 僕は極端な考えに偏りすぎてしまうことを心底心配しつつも、何一つ話が噛み合わなくなってしまった彼女に正直うんざりしてしまって、だったら意見の合う者と一緒にいる方がお互いのためではないか…と思い、徐々にミツコと距離をとるようになってしまった。

 だから、気がつくのが遅くなってしまった。

 久しぶりに会ったミツコはどっぷりおかしな宗教にのめり込んでいた。

 この夜空は神が我々を試すために作られた幻影なのだ、これに危機感を持てる者だけが救われる。選別の日は近い、あなたも早くこの事態に目を向けなさい。

 悟りきった表情で彼女は僕に言った。

 数ヶ月ぶりに僕の家を訪れたミツコは見知らぬ男を二人従えていた。

 二人の男は礼儀正しく物静かな印象だったが、二人がミツコに向ける表情が気に入らなかった。憧れの眼差し? 恋する男の眼差し? それを二人の男たちはミツコに向けていた。

 僕は三人を追い返し、二度とくるなと声を荒げて言ってしまった。

 こうして僕とミツコの関係は終焉を迎えた。

 ミツコがすっかり僕の人生から居なくなっても世界は続いた。

 そして突然、夜空の星は停止した。

 星が降り始めてから五年と三ヶ月。流れていた星々がピタリと止まったのだ。

 人々は何が起こるのかと固唾を飲んで空を見守ったが何も起こらなかった。

 もしかしたら星が流れて見えたのは、単なる目の錯覚であったのでは…と思いたいくらいには何も起こらなかったのだが、夜空を彩る星々の配置が全くもって見慣れないものに変わっていることが、実際に果てしない距離を移動した事実を我々に突きつけていた。

 ただし、太陽系全体が動いたのか空の方が動いたのかは知る術がなかった。

 この宇宙は相対的なのだ。

 僕は見慣れない夜空を眺めて、またこれが日常になっていくのを感じていた。

 ミツコが所属していた宗教団体は神の領域に地球が誘われたのだと解釈して、神は我々を常に見ている、悔い改めよ、と人々を諭して回った。

 最初は星が流れているのは幻影だとか言っていなかったか…。僕は疑問に思ったが口には出さなかった。

 人々はあれやこれやと騒いでいた。だけど特別なことは何も起こらなかった。

 例えば、この世に本当に人類を観察している神がいたとして、この不可思議な星の動きも神の意図によるものだとしても、そんな事ができる神の思うことなんて、ちっぽけな人間ごときにはわかるはずもないのでは…と僕は思うのだった。

 こんなことを言ったらきっとミツコは怒るだろうな、と時々彼女のことを懐かしんだりもしつつ、僕は日常を続けた。

 しかし、この太陽系は実際にとんでもない距離を移動してきたのだ。本当に何かに観測されているのかもしれない。

 そんな事を考えながら、僕は新しい夜空に象徴的に輝く三つ並んだ星を見上げるのであった。作られたばかりの新しい星座とその神話を思い出しながら。

 何て言ったかな。名前はすっかり忘れてしまった。

(おしまい)


小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』に参加します。


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