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月のない夜 下

第二章:月の在り処

直人は久しぶりに綾音に連絡を取った。彼女は数年ぶりに会おう、と軽い口調で返事をした。待ち合わせ場所は大学の近くにある、あの古びた喫茶店だった。

喫茶店の扉を開けると、あの頃と同じように、ガラス窓から淡い光が差し込んでいた。木製の椅子とテーブルは少し色褪せて、時間の流れを感じさせた。カウンター席に座っている綾音を見つけた直人は、少し息を飲んだ。彼女は変わらない笑顔で、「久しぶり」と手を振った。

「久しぶりだな、本当に」直人は言った。
「何だか変な感じ。直人、ずっと変わらないんだもの」
彼女はカップに口をつけ、懐かしい目をしている。直人はその姿を見つめながら、いつか言えなかった言葉が喉元まで込み上げてきた。

「綾音、……昔さ、月がどうとか言って、俺を夜中に連れ出したことがあっただろう」

「覚えてるよ。あの時の月、すごく綺麗だったよね」

「あの時……言えなかったことがあるんだ」

彼は言葉を選びながら、ようやく口を開いた。

「俺は……あの時から、ずっと綾音のことが好きだった」

その言葉は、長い時間を経て、まるで水底から浮かび上がった月のように彼の口から零れた。静寂が二人の間に落ち、綾音はゆっくりと顔を上げた。

「……私もだよ、直人」

彼女の瞳はどこか潤んでいて、静かな夜の湖面のようだった。


その瞬間、直人の中にあった欠けた月が、ゆっくりと満ちていくのを感じた。今までずっと、彼が見上げていた夜空には月がなかったのではなく、ただ彼がその在り処を見失っていただけだったのだ。

喫茶店を出ると、外は冷たい風が吹いていたが、空には丸い月が浮かんでいた。

「ね、綺麗でしょう?」綾音が言う。

「ああ、本当に綺麗だ」直人は静かに答えた。

二人は並んで歩きながら、夜空に浮かぶ満ちた月を見上げた。きっと、もう二度と欠けることはないだろう、と彼は思った。


おわり

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