「温泉と夢」 上
1分小説
この物語は2章構成になっています!
第一章 「夢見の湯」
里田瑠璃は、夜明け前に目を覚ました。寝室のカーテン越しに差し込む淡い月光が、彼女の寝顔を照らしている。仕事柄、早起きには慣れているとはいえ、今朝は特別だった。夢の中で見知らぬ温泉地へと誘われたのだ。
「夢見の湯へおいでなさい」
その声はどこか優しく、しかし背後に不思議な力を秘めていた。目を覚ましたとき、瑠璃の中には、まるで強烈な磁石に引き寄せられるような衝動が残っていた。そして、彼女は心の奥に眠る願いを思い出した――自分だけの「色」を見つけたいという切実な思い。
瑠璃は、趣味で取得した色彩の資格を持っていたが、それを実際の仕事で活かしたことはない。和菓子屋で働きながら、カラフルな上生菓子を作るのは好きだった。だが、彼女が本当に求めていたのは、日常に埋もれた自分だけの色を見つけ出すことだったのだ。
その朝、瑠璃は店長に急な休暇を申し出た。行き先は決まっていなかったが、夢で見た温泉地へ行くことは決めていた。家を出るとき、彼女は無意識に、棚の奥から引っ張り出した古びた地図を鞄に放り込んだ。そこには「夢見温泉」と、かすかに手書きの文字が記されていた。
「夢見温泉なんて、どこかで聞いたことがあったかしら?」
駅から電車を乗り継ぎ、瑠璃は小さな村へと向かうバスに乗った。窓の外を眺めていると、景色が変わるごとに心の奥底に忘れていた何かが揺り起こされるようだった。車内は静かで、他に乗客はいなかった。やがてバスは一軒の温泉宿の前で停まった。
「到着ですよ。夢見温泉へようこそ」
運転手の老人が声をかけた。瑠璃は降り立つと、湯気の立ち上る温泉宿を見上げた。木造の建物はどこか懐かしく、しかし見たこともない場所だった。宿の中へ入ると、女将らしき年配の女性が、やはり見知らぬはずなのに親しげに声をかけてきた。
「お待ちしていましたよ、里田様」
瑠璃は驚いたが、女将の表情には何か含むような柔らかさがあり、心を落ち着かせた。通された部屋には、窓の外に広がる庭園が見渡せた。静寂の中に、温泉の湯が静かに湧き上がる音が心地よく響いていた。
「今夜はゆっくりと湯に浸かり、夢をお楽しみください。特別な夜が訪れることでしょう」
そう言い残して、女将は静かに襖を閉めた。
瑠璃は湯浴みをしながら、まるで夢の中を彷徨うような気持ちになった。そしてその夜、瑠璃は再び夢の中で、見知らぬ場所へと足を踏み入れた。青紫色の霧に包まれた温泉の湯。そこには、無数の光の粒が浮かび、ゆらゆらと形を変えながら瑠璃を囲むように踊っていた。
「私の色はどこにあるの?」瑠璃は心の中で問いかけた。すると、一つの光が彼女の前に現れ、囁いた。「貴女が探している色は、ここにある――ただ、貴女がそれを知っているかどうかだ」
瑠璃はその言葉に、答えを見つけたような気がした。夢見の湯で感じた温もりと静けさ、それこそが彼女がずっと求めていた「色」だったのだろうか。
つづく
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よろつよ