ミステリー大相撲物語 上
第一章:月夜の取り組み
夜風が肌を撫でるように吹き抜ける一月の晩、私は両国国技館の近くにある小さな居酒屋で独り、ぬる燗を手にしていた。その日、大相撲の初場所が始まっていたが、特に興味があったわけではない。ただ、仕事の帰り道に月明かりの下でふと目にしたポスターが、私を引き寄せたのだ。そこには、青いインクで描かれた力士たちと「月の下で光る魂」という詩的なキャッチフレーズが印刷されていた。
私は酒をすすりながら、店内のテレビに映る取り組みをぼんやりと眺めていた。そのとき、誰かが私の隣に腰を下ろした。スーツ姿のその男性は40代くらいで、顔には深い皺が刻まれていた。彼は私の視線を追い、テレビの画面に目をやると、口元に微かな笑みを浮かべた。
「不思議だと思いませんか?」
突然、彼が話しかけてきた。その声にはどこか陰影があり、まるで秘密を抱えているようだった。
「何がですか?」
「月と相撲です。両方とも、なぜか人を引き寄せる力を持っている。今夜の満月なんて特にね。」
私はその言葉に少し驚いた。彼が言う通り、今夜の月は異様に明るく、空に浮かぶその光は、何か不可思議なものを予感させるようだった。
彼は名刺を差し出し、自分が警察官だと名乗った。名前は坂本というらしい。そして、まるで私が話に乗るのを待っていたかのように、話を続けた。
「実は、今場所に出場しているある力士が失踪しているんです。昨夜、姿を消しました。」
私は思わず顔を上げた。「それで?」
「不可解なのは、彼の最後の目撃場所がこの近くの川辺だったこと。そして、その川辺には、彼の名前が書かれた短冊が落ちていた。『月に帰る』という言葉と一緒にね。」
その言葉を聞いた瞬間、体に冷たいものが走った。ふと、私は頭の中に浮かんだ言葉を口にした。
「月に帰る……かぐや姫のようですね。」
坂本は頷きながら、「だとしたら、現代のかぐや姫を探す手伝いをしてくれませんか?」と真剣な眼差しで言った。酔いが少しずつ覚めていくのを感じながら、私はその提案にうなずいた。
つづく