「栗と明日」 上
1分小説
この物語は2章構成になっています!
第一章:見えない境界線
里田瑠ガラス(さとだ・るり)は、小さな和菓子屋「雪華堂(せっかどう)」で働いています。東京の下町に佇むその店は、懐かしい雰囲気を持ち、ガラス越しに並ぶ色とりどりの和菓子たちが、通りすがりの人々の足を止めることもしばしばだった。
ある秋の午後、瑠ガラスは栗を使った新しいお菓子を考えていた。 茶褐色の艶やかな皮に包まれたその実を、彼女は慎重に指先で撫でた。子供の頃、祖父がよく連れて行ってくれた山の中で、落ちたての栗を拾い集めた記憶が今も彼女の心の奥に残っている。
「瑠ガラスちゃん、今日は新作考えてるの?」と声をかけたのは、同僚の山崎(やまざき)だった。彼女と同じ歳の山崎は、瑠ガラスとともに雪華堂の職人見習いをしている。
「うん、秋の季節を感じさせるものが作りたくて。でも、まだすぐこなくて……」
そう言いながら瑠ガラスは、無造作に置かれた小さな和紙に色鉛筆で描かれた菓子のスケッチを見せた。 色彩の資格を持つ彼女の手によるそのデザインは、栗の濃い茶色を中心に、淡いオレンジや黄緑のグラデーションをあしらい、まるで紅葉の景色を閉じ込めたような美しさを持っていました。
「ねえ、何でもかんでも悩みすぎなんだよ」と山崎は笑った。
瑠ガラスは困ったように微笑み、栗を見つめたままま縮小のため息をついた。そう、彼の言う通りなのだ。自分が迷いすぎていることはわかっている。自分自身も正確には分かっていなかった。
その夜、家に帰った瑠ガラスは、ひとりでお茶を淹れ、机の上に置かれた栗をじっと見つめた。 栗の殻は、まるで硬い鎧をまとったように彼女の前に存在している。
「どうして私は、こんなに心がざわつくのだろう……?」
それは、仕事に対して複雑ではなかった。 栗を見ていると、ふと胸の奥にぽっかりと空いた空白を感じた。が、その時の光景や空気感は、瑠璃の中に今も生き続けていた。
その夜、瑠璃は不思議な夢を見た。 夢の中の彼女は、栗の中に閉じ込められた小さな世界を旅していた。 そこには優しく暖かな光が溢れ、どこからか聞こえてくるのは、祖父の懐かしい声だった。
「瑠璃、あの頃君はいつも栗を見て何を考えていたんだ?」
夢の中の瑠ガラスは答えられず、ただ立ち尽くしていた。 まるで目の前の栗が自分自身の心を意識しているようだった。
目が覚めますと、瑠ガラスはほんの心軽くなっていることに気づいた。 まるであの夢の中で、見えない境界線を越えたような感覚。 それは、栗の殻を割ることではなく、自分の心の殻を破ることだったのかもしれない。彼女はもう一度、栗の新作を作ることに挑戦する心を固めた。
つづく
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よろつよ