ぼくのスカート
こんにちは、シンガーソングライターのチワタユフです!
11月に8thシングルとなる「ぼくのスカート」をリリースいたしました。
こちらの楽曲についても、共同編曲/ミックスでお世話になっている水流ともゆき氏がアレンジ面の解説を書いてくださっているので、ぜひ併せてお読みください!
途中経過の音(コーラスアレンジ)有りの「耳で聴く記事」となっていて、とっても面白いです!
そしてまた少し遅れて作者目線の解説記事を書いていくのですが、この曲は、こうして創作活動ができている今に繋がるエピソードが詰まった作品なので、書くのもお読みいただくのも緊張します…!
今回も技術面の話はなく、裏話メインとなっておりますので、ゆるい読み物としてお楽しみいただけますと幸いですˎ₍•ʚ•₎ˏ
※この先、センシティブな内容を含みます。暗い内容が苦手な方はお控えください。
▶︎手紙の代わりに
皆さんも人生の中で「出せないまま仕舞い込んだ手紙」の一通や二通はあるのではないでしょうか。
書いてはみたけど恥ずかしくなって渡せなかったり、渡すタイミングを逃したり、書いている途中で筆が止まってしまったり…
この曲の歌詞も、そんな手紙の存在が下地にあったりします。
ある人からもらった手紙にまつわる話です。
実は…というような話でもありませんが、わたしは10代後半〜数年間、精神病院への入退院を繰り返していました。
自分の命の危機を回避するための任意(志願)入院の時もあれば、天に召されかけて救急搬送され、処置してくれた病院の判断で保護入院になる時もありました。
あまりよい家庭環境ではなく、いじめやら何やらも重なって、小学生の頃から鬱や不安神経症に振り回され、やがてリストカッターな家出少女、さらに進化して都会放浪少女というステレオタイプの病み子ちゃん街道まっしぐらだったわたしにとって、「普通」を押し付けられずに済む入院生活は一時避難所のような役割も果たしていました。(しんどい場面も多々ありましたが)
そうやって出たり入ったりを繰り返していると、常連組や長期入院組に知った顔が多くなって、自然と友達意識や仲間意識が芽生えたりもするわけです。
他愛もないお喋りを楽しむ仲間もいれば、ガールズトーク縛りの友達もいて、そうかと思えば、お試し外泊(仮退院)の際、禁止されているお菓子を買ってきてこっそり服に隠して受け渡したりする悪友もいたり…。
手紙をくれたのは、そんな病棟仲間のひとりでした。
最後の退院の時です。
その人は曼荼羅の絵はがきに手紙を書いてくれました。
「会えたこと、本当に宝物です。」
「いつか芝生の気持ちいい公園で音楽でも聴きながらお話ししましょう。」
「社会に戻ってもうまくやって行って下さい。」
そう几帳面な字が連なっていました。
躁鬱や統合失調症を抱えていて、暴れ出すと手がつけられなくなるので、その度に強制入院させられていた人でした。
わたしはその手紙が嬉しくて、落ち着いた頃に、さっそく返事を書こうと机に向かいました。
退院後にどんな生活をしているとか、いつか会えたらオススメしたいバンドがあるとか、便箋2、3枚を勢いで埋めた最後に、「○○さんも社会に戻ったら頑張ってくださいね!」と書こうとしたところで、筆が動かなくなってしまいました。
その人がもうじゅうぶん頑張って、苦しんでいるのを思い出したからです。何を書いたらいいのか急にわからなくなり、書きかけた手紙は昨日へ、一昨日へと、どんどん過去に追いやられていきました。
その後、日々の慌ただしさに翻弄されて返事のことなどすっかり忘れ、出す気満々だった手紙は「出せないまま仕舞い込んだ手紙」となり、いつか無情なわたしの手によって葬り去られてしまいました。
Bメロの
「君はうまく生きられていますか?」
「ぼくは何とか生きているけれど」
というフレーズは、その人や、その頃に出会った愛すべきみんなに心の中でずっと尋ね続けていることを書いたものです。
あの頃のわたしは生きる屍そのものでした。早く生きることから逃げ出したかったし、世界が滅びればいいと本気で思っていました。
そんな中で出会い、わたしに「人とふれあう喜び」みたいなものをくれた人たちに、もう手紙は出せないけど何か言葉を紡ぎたいと思ったのが「ぼくのスカート」のはじまりです!
(ただ、その後かなり脱線しましたが。。)
▶︎わたしの決意表明
さて、有り難いことに、それ以来は入院を回避しながら生活を送ってきましたが、そうは言っても鬱や不安神経症が簡単にわたしの手を離してくれるはずもなく、「今はやめてくれ〜」という絶妙なタイミングで襲いかかって来るのです。。
そのため、せっかくチャンスがあって動き出せてもダメになる、やっと走り出してもパーになる、みたいなことの連続でした。
そうすると気力も底をつき、腐りはじめるのが人間というもの。
「もうどの世界にもわたしの座る椅子なんてないんだ」
「素敵な人が次から次へと世に出て来るんだもん。わたしなんか誰も必要としないよな」云々。
そんな気持ちが積もり積もって、ああもう嫌だ!もう無理!音楽も封印!イラストもさよなら!文章なんか書いてられっか!誰もわたしにかまってくれるな!とひとりで拗ね散らかしていました。
腐るのも簡単ではなく、これはこれで地獄の日々でした。
そんな時、たまたま手に取った本が内村鑑三の「後世への最大遺物」。
新渡戸稲造からの流れで何気なく読み始めた本だったので、「教養として」くらいの気持ちで読み終えるつもりでしたが、ここに運命の出会いがありました。
この「後世への最大遺物」は、内村鑑三が明治27年にキリスト教徒第六夏期学校で話した講話を書き起こしたものでして、「人が後の世に遺せる最も偉大なものはなにか」に焦点をあてた話がされています。
彼は、後世に遺る素晴らしいもの…といえば、「偉大な書物」とか「立派な事業」とか「莫大な遺産」とか、そういう大それたものを思い浮かべますが、と述べた後、いろいろな話をする中で、イギリスの作家、トーマス・カーライルの「偉業」に言及します。
トーマス・カーライルには、何十年もかけて勉強し書き上げた「フランス革命史」という著書がありますが、何と、この血の滲むような思いで書き上げた原稿が、友達の友達の家に仕える女中さんの手によって暖炉に焚べられてしまうという…!この上ない悲劇に見舞われてしまうのです。
あまりのショックにしばらく茫然自失となっていたカーライルでしたが、ある日、自分との対話の中で、「お前は愚か者だ。お前の書いた『革命史』などは大したものではない。それよりも偉大なのは、お前がここで挫けずに、再び筆を取って書き直すこと、それ自体だろう」と語りかけ、その後ふたたび時間をかけて、見事に「フランス革命史」を書き上げたのでした。
(こんな壮大な話と一緒にするなと怒られそうですが、)この話を読んでから、わたしの中に「もう一度自分のできること、自分が遺せるものについて考えたい」という思いがくすぶるようになりました。
と同時に、このカーライルの考え自体が、とても自然で愛おしく、価値あるもののように思えたので、これから長い時間をかけて、ちっぽけで不器用なわたしがジタバタ足掻いて生きることで、この考えを体現できるなら幸せだと思いました。
少しまわり道しましたが、
「ぼくはスカートをはいて/坂道を転げ落ちる」
というフレーズは、強い意志を持って満身創痍で重力のままに転げ落ちてやります!!という、わたしなりの決意表明…みたいな感じです!
言葉面から超ネガティブな雰囲気を醸し出しつつ、実は超ポジティブだったりします。
なので、歌詞は「転げ落ち」ているのに、メロディは上昇しているというわけです。
▶︎「かっこ悪い」への愛
イントロ、インター、エンディングのリフのシンセ音だったり、リフのメロディだったり、アートワーク(表)だったりに、ちょくちょく「へなちょこ感」を入れているのですが、実はそこにも思いをこめていたりします。
ここまでの長い文章をお読みくださった方には伝わっていると願っていますが、本作はわたしの大切なエピソードをあれやこれやぶち込んだ曲となっております。
(それゆえ上物が騒がしくなりすぎて、水流氏のお手を煩わせてしまいましたが…!)
そんな熱い思いを込めた曲なので、バチバチにかっこいいサウンドで固める!という道もありました。
でも、よくよく思い返してみると、人が本当にがむしゃらになっている時や、泥から顔を上げて息を吸おうとしている時、その姿は所謂「かっこいい」からはとても遠かった気がします。
下手したら、周りから笑いが起こったりするほどに。
でも、そんな一見へなちょこでかっこ悪い「必死」は、時に命懸けで尊いものです。
なので、かっこ悪い必死な姿を(まずは自分のために)肯定したくて、大事な熱い思い(決意)をへなちょこ気味に表現するに至りました。
そんなこんなで出来上がったのがこちらの楽曲です⤵︎
まだまだ立ち上がってスタートをきったばかりの創作人生です。
怖いものも人一倍多いですし、不器用ですし、猫を被って澄ましていますが、心は混沌としたり嫉妬したり焦ったり調子に乗ったり忙しいです。
ですが、まあそれも自分…ということで、あまり変に背伸びすることはせず、でも瞬間瞬間は真剣に創作と向き合って、社会が必要としてくれたら喜んで尻尾を振って飛び出していく…そんな風に時間を重ねて生きたいです。
水流ともゆき氏はじめ、応援してくださる皆さまのお陰で「ぼくのスカート」を無事リリースできたこと、改めて感謝いたしております!
これからも自分なりのエンタメを試行してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします…!
チワタユフ