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MIDNIGHT DANCING

こんにちは、シンガーソングライターのチワタユフです!

先日、音楽人生の大恩人であり、研究者であり、作曲家であり、わたしの楽曲の共同編曲者である水流ともゆき氏が、8月にリリースした拙曲「MIDNIGHT DANCING」についてアレンジ面を中心に解説する記事を書いてくださりました!
なので、冷たい川に飛び込む気持ちで、わたしも作者目線の制作過程話などを書いてみたいと思います。

ちなみに、なぜ冷たい川に飛び込む気持ちかと言うと、記事の完成形が全く想像できないからです。
感覚まかせ風まかせで楽曲制作しているため、制作過程や楽曲解説を工程に分け、的確な用語を駆使して書き記していく…というのがどうも難しく、ヘタすると、「何ヶ月も前の散歩」についてぼんやり話すような形になりかねません。

ですので、今回はX(旧Twitter)で質問を募集させていただき、頂戴した質問に助けられながら書いていきます!
ゆるい読み物としてお楽しみいただけますと幸いですˎ₍•ʚ•₎ˏ


▶︎歌詞のインスピレーション


ポップな曲は基本的に音のハマり命!で詞を書いているので、歌いたい(伝えたい)内容よりも、まずはメロディを立たせる言葉あそびが先で、そこで生まれたフレーズをきっかけに、過去の出来事だったり、想いだったり、ストーリーだったり、ぴったりくるものを引っ張ってくる、という作詞に偏りがちです。

MIDNIGHT DANCINGも例に漏れず、先にサビの「寂しさにつける薬はない」「プチ・サバイバル」といったフレーズや、
「音楽もない、映像もない、犬も食わない、思い出しかない」のないない連発(俺ら東京さ行くだ的な)を音にハメてから、どういう気持ち・ストーリー・雰囲気の詞としてまとめるかを考えました。

なので、たまたま思いついたフレーズにインスピレーションを受けたといえるのですが、それだとちょっと味気ないので、詞を展開していくうえで意識したわたしの過去の話を少しだけ…。
いらんこと(誰得バナシ)」ではありますが、ご共有したいと思います…!

まず、この詞の舞台は愛する渋谷でありまして。
上京して初めて飛び込んだのがたまたま渋谷だったわたしは、初めての職場も渋谷、服はもっぱら109、音楽・映画ならQフロント、本は東急本店で調達し、友だちと遊ぶのも渋谷、というガチガチのシブヤーだったので、ごくごく自然に渋谷ラバーへと成長しました。
そんな渋谷ラバーの宿命か、どうしても渋谷のど真ん中に住みたくなり、一時期東急本店通りに部屋を借りていました。
その辺りは、住所的にはザ・渋谷!でありながら、「渋谷」という喧騒空間から薄皮一枚隔てたくらいの適度な静けさがあり、夜には街の光がそっと触れる程度に届く、そんな渋谷の波打ち際のようなエリアでした。

さて、そんな夢のエリアで生活するようになったわたしですが、決してハッピーな時期ではなく、孤独と不安を散々味わう日々を過ごしていました。
友達いない、家族とも疎遠で「わたしには夢しかない」状態だったにもかかわらず、(芸能事務所に所属はしていたものの)役者としてもモデルとしても大して仕事が取れず、音楽活動も暗礁に乗り上げ、そのうえ自分の価値を疑う出来事が続き、精神ボロボロ、肌もボロボロ、という絵に描いたようなダメダメdaysを送っていました。

そんな調子だったので、不安に呑まれ孤独を持て余す夜の多いこと。
居ても立ってもいられなくなり、不夜城シブヤの人混みに飛び込んで気を紛らわせようとすることもしばしば。
しかし成功率はやや低。気が紛れるどころか、痩せ細ったアイデンティティが喧騒の中で迷子になってしまい、逆に涙が出てくるなんて事態は茶飯事。ひとたび涙がこぼれると、不安な心に押し出されるように、次から次へと涙が出てくるのだから、始末に負えない。
そんな哀れな姿なんて誰にも見られたくないので、慌てて波打ち際エリアに引き返す。
でも、ひとたび部屋に戻ってドアを閉めてしまったら、またあのざらついた不穏と二人きりになってしまう。それも嫌だ。今度こそ食われるかもしれない。
それが怖かったわたしは、何をするわけでもなく渋谷の波打ち際(文化村の階段や、韓国料理屋の裏口、はたまた本店通りのセブンイレブンの前なんか)で時が過ぎるのをただじっと待ち、夜明けを見届ける…という謎の行動を繰り返していました。

わたしは誰、わたしは何、を頭がじりじりするまで問い続けたかと思えば、突然、電池が切れたように見えている景色も物を触る感触も自分のものではないように感じる…

そんな日々が、「自分というものの所在が掴めないよるべなさ」と、「渋谷の波打ち際の景色」を見事に融合させ、わたしの中でひとつの塊、ひとつのムードと化していたようです。
この曖昧で刹那的で二度と戻りたくないムードをポップな曲に閉じ込めて、きらきらに飾るのアリかも!
と思い、時を経て苦い思い出は詞の世界に送り込まれたのでした〜。


▶︎作曲の取っ掛かりパート

と、詞については多少語ることがあったのですが、曲の方はというと、ドラマチックの欠片もなく、ただある日洗濯物を干していたら、突然サビ頭の「寂しさにつける薬はない〜♪」がメロディごと降って湧いてきた、という肩透かしで味気ないスタート。
ということで、MIDNIGHT DANCINGの取っ掛かりパートはサビでした!

(ところで、「馬鹿につける薬はない」なんて言葉、使った記憶もなければ意識したこともないのに、どうやらわたしの無意識下、もしくは深層心理界隈で「寂しい」という切実な心の叫びと勝手に手を組んでいたようです。)


▶︎作り始めと出来上がった作品のギャップ

最初に産声をあげたサビ頭の「寂しさにつける薬はない〜♪」から曲を広げていく作業に取りかかったわけですが、この時点でムーディ&セクシー&ダンディなベースラインがすでに頭の中で鳴っていたので、この子は80sダンスパーティっぽい(サカナクションの「忘れられないの」的な)曲になるのかなー、なったらいいなー、ああいうの好きだなー、と思っていたのですが…

眠たげなAメロを思いついてしまったが最後…80sダンスパーティにはきっぱりさよならを告げ、スローで内省的な歌詞、サウンドにはしりました!!


▶︎アートワーク制作話

MIDNIGHT DANCINGでは、「どうにもならない寂しさ」に呑まれた心の中を可視化した感じのビジュアルにしたかったので、ガランとした真っ白な空間カオスな(何も映らない)鏡だらけの空間の2択が初めにあって、その選択からスタートしました。

2案それぞれを数パターンずつイラストにおこしてみた結果、より静寂な方を求めて真っ白空間案を採用することに。

その流れで衣装・ヘア・メイクも、より静かでちっぽけなものが良いのではと思い、余計なものは脱ぐ・取り去る方向へ。

ただし、心の中を可視化する以上、静止状態ではなく曲線や陰影で拍動を表現したかったので、シンプルだけど大胆な動きが出せるものを求めて、布(白い大判の背景布)を使ってみました!
布を採用したあたりで、「孤独を纏う」という厨二病的テーマを設けて、いざ撮影!

これはこぼれショット

表情、布の動き、シャッタータイミングが噛み合わず手こずりましたが、なんとか完成!
《表》

《裏》

表面はちょっとポップさを出すために可愛いものをちりばめました。

最終的に、纏い古した孤独感を出すためにダメージ穴ぼこをつけて、
湿度が欲しかったので、オフホワイトではなく生成りの色味で統一しました。


▶︎MVのイメージ

MIDNIGHT DANCINGはリリース済みの他楽曲に比べると、MVのイメージはそこまで固まっていません。

ピーピング的なカメラワークで女の子の孤独な夜を映しながらも、その日常感とは相反する毒気のある色合いを何かしら入れてみたり…
あとはサビでインパクトのある奇怪ダンスを突っ込みたいなぁ…とふんわり妄想中です!

とまあ、そんなこんなで仕上がったのがこちら⤵︎
(サウンド面に関しては、はじめにご紹介した共同編曲者の水流ともゆき氏の記事でとても詳しく解説されていますので、是非そちらもお楽しみください!)

冷たい川に飛び込む気持ちで書き始めましたが、一つの曲をバラバラに分解して、眺めて、組み直して…としている中で自分でも意識していなかった発見があって面白かったです!

読み返してみると、やはりと言うべきか、何ひとつ参考にならないふわふわした記事に仕上がっていますが、MIDNIGHT DANCINGの裏側を少しでもお楽しみいただけたのであれば幸いです。

質問をくださったみなさま、お読みくださったみなさま、長々とお付き合いいただきありがとうございました♪


チワタユフ

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