怪我の功名
さっき、長男を
バス停まで見送って帰ってきた。
帰りながら思った。
我が子がおるというのは
やはり修行なんやな~と
思った。
子は預かりもの、と言われるもの。
いずれ巣立つ。
産まれて、20年ぐらい。
その20年の中の
思春期は関係性はぼろぼろ。
ほんで、分かり合えたと思ったら
巣立って飛んで行ってしまう。
あっけないもんじゃ。
わたしは子供を育てるのが
修行なんだと思っていたけど
違うかもしれないと
今日思った。
巣立ってからが修行かもしれない。
死に別れでもないし
喧嘩別れでもない。
大好きなのに
いつも一緒に暮らせるなら
暮らしたいのに
それはもう無理。
ばいばいって。
子供は未来の輝く未来に
向かって走り出すけど
置いてかれる親は
そりゃ~~~これ
何とも言えん感情やな。
ん~~。
好きな男と別れる時のような
そんな感じ。
悲しい、寂しい
想いが込み上げてくるなー。
先月バスケット中に
靭帯を切ってしまった長男ゆあん。
膝が曲げれないので
手術となり、
もちろん踏ん張れんので
重たいものも持てず
力仕事が主の仕事も
当分休まないとならず
毎日仕事、バスケ、遊びに
明け暮れてた花の20歳の
時に
一旦休止宣告。
小さい時から
家でおることのなかった子が
ほりゃ~もうしんどいよね。
でも、その間に
いろいろ将来について
考えたっぽい。
全く連絡をしてこなかったゆあんから
突然ラインが来て
「電話良い?」と。
何事!!って感じ。
同じ世代は大学生だったり
社会人でも勤め人ばっかりで
話が合わん。
相談できる人がおらんということで
電話がかかってきた。
悩みを聞きながら
いろんな話をした。
その中でいろんなお互いの
誤解や、ずれを
修復することができたのは
まさかの事態。
ゆあんが小5の時に
「お父さん、捨てて欲しい
もうええわ。いらん。」って
言うたのがきっかけで
離婚した。
そっからシングルになり
一歳の次男あんじも世話しながら
店もしてと
ひとりでするタスクが多すぎて
わたしもパンパンだったし
そんな中長男も次男も
まあまあほったらかしだった。
中学校へはいると
親なんて要りません時期に
突入して
学校へは来るな、
部活も関わるな、
個人懇談だけ。
高校は入学式に
行ったのと個人懇談だけ。
彼の6年間なにも知らない。
他所の子供もそんな感じだし
自分もそうだった。
どっかで話ができるように
なる日が来るんかな~。
結婚して、子供育てて
子供が中学生とかそれぐらいか
離婚してひとり身になってからか
わたしが老婆になって
ゆあんもおっさんになって
死ぬ間際かな~なんて
思ってたら。
まさかの20歳で
こんな日が来るなんて。
「おかん、おれが
小さい時に住んでた場所に
行きたい。」て。
手術したら4か月はなんもできんし
今歩けるけど仕事も行けんし
そっち行っていい?って。
そんで、昨日
二人でアナザースカイしてきた。
三鷹台駅で降りて
井之頭公園を
まさか20歳になった息子と
こんな風にゆったりとした
気持ちでお散歩できるとは
感無量だった。
お酒を交わし
吉祥寺でなんと古着屋巡りをして
カップルみたいに
お買い物楽しんだ。
信じられん出来事。
同じ道を20年前
泣きわめく赤ん坊のゆあんを抱いて
全然寝てくれんことで
寝不足と育児疲労で
泣きながら
歩いた道。
人生で一番貧乏で
東京という一番なんでもある
場所に住みながら
なんにも買えない腹立たしさ。
毎日ずーーーーと
子供といるしかない。
独りになれない。
辛かった。
わたし、23歳。
今思うと当たり前。
23歳なんてガキが
赤ちゃんがどれだけ可愛くて
愛おしいくて、
一秒一秒の成長がもうたまらなく
貴重なことを
わかるわけがない。
わたしは3人産んで
40代でようやく
どれだけ子供と
過ごす事が幸せなことなのか
心の底から感じられるようになった。
なんでも
その先に立って
過去を振り返ってみないと
わからない。
くるっと振り返って過去へ
歩いてみると
話ができない時期もあったけど
そのもっと先に
自分という人間しか頼りに
できなかったゆあんがいて
ママ、ママって抱っこしてって
離れずいてくれた息子がおった。
見た目もう一人前の大人。
わたしより身長も
体重もでかい。
声も低いしひげ剥生えとる。
すでに女性と付き合ったり
別れたりと経験して
仕事もして社会とつながってる。
でも
この子は
座ってるこの子は
わたしの子供。
小さな子供。
5歳のゆあん。
その時となんも変わっとらん。
5歳の子供と一緒に
おるような
心構えでおろう。
むちゃくちゃなこと
言うてても
ほんわか諭しながら
寄り添ったろう。
にこにこしとこう。
そんなおかんがきっと良い。
あーだこーだ
うるさいおかんはいらん。
どんなに大きくなろうが
おかあちゃんは
石のようにずっしりしとかんと
あかんし
太陽みたいにてらしてやらんと
あかんのやなーって。
そういうこっちゃな。
大人なんやけどな、
わたしにはちっちゃい子。
彼にとって
お母ちゃん。
わたしもこの歳になっても
お父さんとお母さんに
褒められたらうれしい。
甘えさせててくれたら
嬉しい。
そういうこっちゃな。
我が子やからって
社会的に言うパワハラ
してしまってしまったら
ほんまはあかんのよなー。
強くきつく怒鳴って
しまったりして。
「なんでできてないん?
言ったやろ?やっときやー
言うて。
毎日毎日、何回おんなじこと
言わしてくれとんじゃい。
ええ加減にせえよ。」と
言うてしまう、ことを
最近極力ブレーキかけれる
ようになった。
我が子でも人間やな。
ひとりの人格者。
知的な遅れは
いずれどこかで
ちゃんと地道に
声掛けして
かまってやったら
20歳ぐらいでトントンに
なる。
それも子育ての楽しみとして
気長に気楽に
子供の成長を見届けようと
思えるようになった。
これは次男あんじが
教えてくれたこと。
なんでも簡単に
覚えられない
成長と共にこれはできるでしょって
ことができない
発達障害のあんじが
教えてくれた。
あ~~気長気楽にいこう。
そして
もう産まれたときから羽が生えて
飛び回る破天荒なすみれが
人を育てられる貴重な体験を
させてもらえてることに
気づかせてくれたおかげで
長男ゆあんを
もう一度丁寧に育てなおしたいって
思った。
でも今回一緒に水入らずで
過ごしたことで
あ、こっからでも
おかんとしてできること
いっぱいあるなって
思った。
ゆあんもわたしを
ぶっとんだ親やけど
ぶっ飛んで普通じゃないから
これからのこと
いろいろ相談できるわって
言うてくれた。
おれもおもんない人生は
嫌じゃ。って。
20歳、12歳、6歳と
歳の離れすぎた三兄弟。
歳が離れすぎて
ゆあんと
一緒に生活できなかった。
なにげない日々の関わりが
振り替えれば
一番貴重なこと。
ゆあんにはゆあんの世界が
もうあって
一生一緒には生活できないけど
行ったり来たりしたり
旅行に行ったりしようなって
話ができた。
ひとりひとり個性が違って
同じ子育てなんて
できんし
ひとりひとり違う道へ
旅立っていく。
子供を世話してる最中は
そんなこと考えもしない。
一日一日がもう
忙しい。
いちいちかまってられないけど
一緒に起きて、一緒の場所で
寝る。
おなじごはんを食べて。
あんじとはあと6年。
すみれとはあと12年。
うわーーーー
もう今からさみしいなー。
おかあさんとしての修行は
巣立ってから。
石のようにどしっと見守ってく。
ゆあんと仲直りしたから
余計にさみしいなー。
今日は雨。
今からかわいい娘を
お迎えに行こう。
学校から帰ってくるあんじのために
焼きいもでもしたろかな。