蒼天見ゆ 葉室麟

主人公、秋月藩、臼井六郎。父臼井亘理を幕末の騒乱の中で殺害され、最後の仇討ちを行ったという史実を基にした小説。史実としてこれがあったということも知らなかった。しかも、地元秋月藩での出来事。葉室氏の小説は、すがすがしと、憐憫とが混ぜ合わさる不思議な感覚となる小説が多いが、この小説もそうしたもの。

幕末の騒乱機に殺された者、殺した者、彼らの感情は明治の御一新でなかなか片づけられるものでもない。天皇の世の中となったからといって、すぐにはいそうですかと得心できるものでもない。今の時代にその感情を理解することはなかなかに難しいが、人の感情とはいつの時代でも変わることなく混沌としていることは間違いない。

敵討ちを果たした六郎は、人生の全てを擲ち目的を果たしたが、その心は晴れ晴れとしたものであったのか。確かに目的を果たした直後はそうであったかもしれない。しかしながら小説の後半には、六郎の心が揺れ動いているさまを表現する内容となっている。父の敵を討つ、武士にとっては名誉でもあったが、もはや明治の時代。世の中が変わるとともに、六郎の心もに変化が表れていく。

目的を果たしたのち、目的もなきままに生きていく。それが父の敵討ちという大きなものであるからこそ生き生きとしたものではあるはずもない。唯一、生き続けることのみが生きることの証となってしまう六郎は幸せを感じることができたのか。生きることを是としていたのか。

敵討ちを目指していることこそが六郎の人生であり、そのためだけに生きたという人生といえる。前半の敵を討つまでのはらはらした感情と、その後の人生を歩む六郎。これが、すがすがしさと憐憫の感情を痛烈に呼び起こす。

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