911の記憶とともに色々考えたあれこれ
911に崩壊したツインタワーには、かつて私が銀行で一緒に働いていた人が数人いた。その中の一人は避難する際に怪我を負ったが、現地採用行員を含めた全ての行員が崩壊前に逃げ切って無事だった。本当によかった…
当時私は中国にいたが、夜夫が顔面蒼白で帰ってきて「NY支店に旅客機が突っ込んだ」と言うなりテレビをつけた。その瞬間、文字通り画面にツインタワーに飛行機が突っ込んだ録画映像が目に飛び込み、次の瞬間画面が切り替わってツインタワーのどちらか(たぶんサウスタワー)が崩壊するライブ画像が映って言葉を失った。
しかし頭は妙に冴え渡っていたのか、古巣の支店はノースタワーで旅客機がぶつかった場所より少しそれていたことを思い出して少し冷静になった。そしてまだ行員が死んだとは限らない、生きててほしいと念じながら、ほぼ徹夜で報道を見守っていた。
夫はたまたま赴任地が中国になったが、NYに転勤していれば…運が悪ければ夫が死んで私達は路頭に迷っていたかもしれない。
その経験から、人生の中で努力でどうにかなることなど一つもない。生きとし生けるものの全ては「大きな力を持っている生き物ではない何か」のご機嫌次第で簡単に消されるような存在なんだと痛感した。
以来、何も期待してはいけない。今幸せで穏やかに生きていても次の瞬間にはどん底に落ちるのだから…としか思えなくなった。私達は無力で自分で自分の人生をどうにもできない。ならば何も頑張る必要も明るい未来を夢見る意味もないよね…と思ってしまうのだ。
その後中国でリアルタイムで巻き込まれたSARS禍や日本で未曾有の被害を出した東日本大震災、世界中で絶賛流行中のコロナ禍を経てますますその思いが強くなって生きる気力すら減退する出来事ばかりだ。
そんな諸々の出来事に振り回され続けると、「それなりに平穏な今の状態がいつひっくり返されてどん底に落ちるかわからない」と構えながら毎日生きる感じになって疲れてしまう。そもそもなんで私はこの世に生を受けたのだろうとも思う。
(超楽天的なバブル世代の私でさえそうなんだから、若い世代がどこか諦めに近い気持ちで上の世代やこの社会を斜めから見ているのは当然だろう)
何はともあれ、911のあの日以来世界が急ピッチで悪い方に転がっている。それによって、私がそれまで信じていたものがツインタワーのように崩壊していった。そして、物事への見方や考え方がことごとく諦めの方向に変わってしまった気がする。
でもこうも思うのだ。
そうなる前に私達上の世代にできることはなかったんだろうか?他人事みたいに崩壊を嘆いていても世の中が良くなるわけではない。今自分にできることでなんとかしなきゃと。
とはいえ、心身も脳みそも老いた私にはなかなか妙案が浮かばないのもまた事実。誰でもいいので何か良いお知恵を授けてください。そうすれば私にも世の中が悪い方に転がるのをコンマ数秒遅らせることぐらいはできるかもしれない。