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プロを名乗るようになってから書くことの怖さを思い知った

昔から文章を書くのが習慣になっていて、呼吸するように何かを書いてきた。だからこの年にしてライターの仕事にたどり着いたのだろう。

しかし、文章でお金をもらうプロライターを名乗るようになってから、文章を書くのが非常に怖くなった。自分が書く文章が読者に与える影響を思うと、筆……いや、キーボードを叩く指が日に日に重くなっていくことを実感している。最初にそれを感じたのは、掲載から1年以上経った今もよく読まれている記名記事が大炎上した時のことだ。

実体験に基づく情報の正確さには自信があったが、ある層にとっては極めてセンシティブで炎上しかねない要素を含んでいることは懸念していた。その記事が案の定炎上してしまったのだ。掲載メディアには抗議のメールが複数来たらしい。

もちろん間違ったことは書いていないし、かなり表現を抑えて理性的な記事になっている。それに、炎上など気にしていたらライターなど務まらないのも確かだ。掲載メディアの関係者には「読者に損害を与えるような記事ではない」と言っていただけたし、やましいことは何一つ書いていないので、必要以上に委縮することもない。

しかし、それを機に自分の記事が読者に与える影響の大きさを今さらながら自覚し、プロとして記名記事を書くことの重さを改めて痛感した。以来、ライターとして世の中に自分の記事を提供することへのプレッシャーがどんどん重くなるのを自覚している。

センセーショナルな記事を書けば間違いなくPV数が伸び、掲載メディアの利益に大きく貢献する。しかし、それは炎上や読者に損害を与えるリスクと表裏一体。目先の利益を追い求めるあまり、良心や理性がない記事になりかねない危険がはらんでいる。

その境界を正確に見極めて読みごたえがある記事にするのが、本当に力のあるライターだろう。残念ながら、私はまだその領域には達していない。1記事ごとに迷い悩んだ挙句、中途半端な記事を量産している状態だ。もっと悪いことに、その混迷の度合いは書いた記事の数が増えるほど深まっているのだ。

そんなわけで、書けば書くほど書くことが怖くなり、どんどん筆……もとい、キーボードをたたく指が重くなっている。それでもプロを名乗っている以上は進むしかない。泥の中に全身つかったような状態で頭を働かせて指を動かし、どんどん重くなるキーボードをたたき続けるしかない。

そうしてライターを続けていく中で、今後何か見えてくるものがあるだろうか?書くことの責任の重さを自覚しつつ、もっと読者の心に響く文章を書けるだろうか?そんなライターになるべく経験と研鑽を積み、せめて読者が「読んでよかった」と思える記事を書けるようにならねば。それができなけらばプロライターを名乗る資格はないような気がする。

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