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自分に余裕がなければ他人に優しくできない。だから時に「冷たく割り切った人」になる
「〇〇したことがない人にはわからない」といったフレーズで自分と他人を比較することはよくある話だ。
私も聖人ではないので、口にはせずとも心の中でその言葉をつぶやくことは多い。
そのような比較を「マウンティング」と捉える向きもある。実際そのような言葉で苦労マウンティングする人も多い。
しかし、実際経験したことがない事項について、相手の辛さを心から理解するのは非常に困難だと思う。「あなたにはわからないよね」と言われても、「はい。本当にわかりません。ごめんなさい」と言うしかない。
でも、そういった反応を露骨に見せると「私を馬鹿にしてるの?」とキレられることもよくあるので、内心「困ったな」と思いながらもただ「そう、辛いね」と受け流すことが多い。
経験上、そのような時は下手に相手に深入りしないのが一番だ。
ここからの話は人によって不快な内容になるかもしれないので、嫌な予感がする人はここで画面を切り替えてください。
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その言動がマウンティングか否かはともかく、相手が辛い心情を訴える時はその言葉にただ耳を傾けるしかない。自分自身が同じ経験をしていない以上、それしかできることはない。
いや、同じ経験をしていてもうっかり口を出すのは危険なケースが多い。過去それで何度か失敗したことがあるので間違いない。
それすらもしんどくなったら、辛さを訴える相手から一旦離れることも必要だ。でないと自分まで負の感情に引きずられて心を病んでしまう恐れがある。
そんな時は、まずは自分の心のバランスを取るのが先決。だから自分を守る行動を取る。それができなければ人の悩みを受け止めることは到底無理な話だと思っている。
実は、そのような事例で私自身が負の感情に引きずられ、ストレスから低音難聴になった。以来、他人……いや身内とも常に一定の距離を置き、相手の負の感情に引きずられないように気を付けている。特に、相談を受ける時は心にかなりの余裕が必要だ。でないと到底相手の悩みを受け止めきれない。
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私の場合、誰かから辛い心情を聞かされる立場になるのは「子育て」と「病気」に悩む人が相手のケースが多い
たとえば、私には子どもがいるから、一般的な子育ての苦労は経験している。現在子育てで大変な思いをしているママを相手に、自分の子育て経験から相談に応じることはよくある。
しかし、多胎児や障害を持つ子どもを育てたことはない。だから親の大変さは想像できても、本当の意味での苦労を理解することはできない。その場合は一般的な子育て経験しかない自分の立場をわきまえ、自分の知らない苦労については口を挟まないように心がけている。
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病気もまた同じ感じだ。私は多少不健康だが、命を脅かされるほどの重い病にかかった経験はない。
また、幸か不幸か心に大きなダメージを受けた経験もないので、心身ともに辛い経験をしている人の心情を本当の意味で理解することは無理だと思っている。
病気の場合は子育てよりもデリケートな問題になるので、うっかり相談になど乗れない。できる限り「私はその経験がないので聞くだけしかできない」と断ってから話を聞くようにしている。
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ただ、相手の負の感情が重すぎると私自身が参ってしまうことも多いので、重い相談については最初から断る事も多い。
そのような態度を取ると、中には「楓は冷たい」「割り切っている」と非難されることがよくある。
でも、経験のない辛さを共有するのは難しいし、私はそれほどキャパが広い人間ではない。したがってどこかで意識して割り切るしかない。それは自分の心に余裕を持たせるために必要な事だと思っている。
自分にある程度の余裕があれば、辛さを共有できなくてもできることはある。その余裕を作るために「冷たい」「割り切っている」などの言葉を受けても自分の平静を保つ努力をするのは当然のことだ。
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そんな風に考える私は本当に冷たい人間なのかもしれない。それで深く悩んだこともあったが、今はそう思われても仕方ないと割り切れるようになった。
人は誰でも、心に余裕があってこそ他人に優しくできるものだ。だから私は自分の心に余裕を持たせるために時々「冷たく割り切った人」になる。それで離れていく人はそれだけの関係。それでもなお関わってくれる人とご縁をもちたいと思っている。
それが、50年以上生きた人生経験からようやく学び取ったことだ。