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『炎の画家』はまだ生きている -ゴッホ展にて-

先日、東京都美術館のゴッホ展に行ってきた。

今回の展覧会ではゴッホの画風に多大な影響を与えたと言われている浮世絵が、具体的にはどんな形で彼の作風に影響を及ぼしたか? という視点に基づき、彼の作品と、その作品のモチーフとなった浮世絵が並んで展示されているのが興味深かった。

生涯一度も日本を訪れたことがなく、浮世絵などの美術を通して日本をイメージしたゴッホ。しかし彼が描いた「日本の風景」は、当然実在する日本の風景ではなく、彼が「浮世絵で見た日本の風景のようだ」と思ったアルルの風景でもないように見えた。

反面、日本人なら誰もが見たことがあるような、湿気が強くノスタルジックな風景と、強い日差しが降り注ぎ、乾いた空気が吹き抜けるヨーロッパのドライな風景が入りまじり、なんとも不思議な雰囲気を醸し出していたのが印象的ではあった。

けれども、私が非常に強く印象に残ったのはそこではない。ゴッホの絵のタッチ、つまり「筆遣い」の強さだ。

不規則な点描法やフリーハンドの曲線で描かれた景色はどれも力強く生命力に満ち溢れていた。草木、渓流、岩山などを形成する全ての点や線から、「生きたい!」という、慟哭に似た叫びが何重にも聞こえてくるような錯覚すら覚えるほどに。

それはまるでゴッホの激しい生きざまを傍らで見ているようであり、彼の血肉が、その魂が絵の1枚1枚に宿っているかのようにしか思えないほど鮮烈すぎた。だから観る絵の数が増えていくにつれて胸にこみ上げる様々な感情を抑えるのにどれほど苦労したことか。

「『炎の画家』はまだ生きている」

突然、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

本人はとうの昔に鬼籍に入り、その肉体は既にない。
けれども、彼は確かに生きていた。その絵の中に。そして絵を見ている全ての人の傍らに。

何故ゴッホが『炎の画家』と呼ばれ、彼の絵がこれほどまでに世界中の人に後世まで愛され続けてきたか? 芸術に疎く、ゴッホの絵の良し悪しもよくわからない私にすらその理由がはっきりとわかった。

これほど生きる喜びと苦しみに満ち、全ての力を絞り出すように描かれた絵を他には知らない……いや、1人だけ似ていて非なるテイストの絵を描く人を知っている。それは日本が生んだ奇才の画家、草間彌生だ。

草間さんの絵を観た時、私は体中から力が抜けるほどぐったりと疲れてしまった。それほどまでに訴えるものが強く、観るのに酷く体力を消耗する絵だった。

一方、ゴッホの絵はただ圧倒され、その絵の前に立った瞬間から一時たりとも彼の絵から目が離せなくなるような磁力に囚われてしまう。うまい表現ではないかも知れないが、絵に強い魔力や中毒性を宿しているという印象で、草間さんの絵を観た時とはまた違う種類のひどい疲れを感じたことを今も覚えている。

しかし、どちらの作品にしても、素の状態で観たらかなり感情を揺さぶられ、平穏な気持ちを保つことは困難だ。その感覚をあえて味わいたいならそれでもいいだろうが、できれば多少の予備知識と心の準備をしてから観に行く方がよい。また、年配の人や体力が乏しい人は、ゴッホと草間彌生を同日に観ることをおすすめできない。心揺さぶられすぎて心臓に悪すぎる。

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