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令和はどんな「春」を迎えたのか

「初春の令月」を引用した令和。僕の「」のイメージは、桜のピンクではなく、土の黒。泥々の。東京都写真美術館での『ヒューマン・スプリング』を見て、雪国の春を思い出した。

冬の間は一面真っ白な雪景色で、その下にあるものは見えなかったり、忘れてしまったりしている。でもある日、雪を踏み抜いて、靴の底に真っ黒な土がべったりつく。溶け出した雪と混ざって、ぬかるんで、ぐちゃぐちゃと汚い。そうやって雪が溶けて、下からなんかが「出てくる」のが「」のイメージだった。(それは「春」ではなくて、「間も無く春」という時間なのかもしれないけれど)

志賀理江子さんの写真展『ヒューマン・スプリング』で僕が感じたのはそういう「春」のイメージだった。会場は暗くて、照明は不安定。泥水から出てくる人たちの写真や、黒い雪のようなものをもっている人の写真、公園の遊具がビニルシートで包まれている写真、雪解けした後に見えたゴミだらけの地面の写真など、雪国の春を意識させる写真が多かったように思う。

『ヒューマン・スプリング展』の感想はまた改めて書くとして、志賀さんはこの『スプリング』にどんな気持ちをこめたんだろうかと考える。

長い間忘れてしまっていた何かが出てくるというイメージなんだろうか。

長い間押さえつけられていた何かが解放されるというイメージなんだろうか。

春によって、生命エネルギーが爆発するというイメージなんだろうか。

循環する四季の一区切りとして何かがリセットされるというイメージなんだろうか。

原発のメルトダウンと雪解けとを重ね、融解したあとに何かがはじけるというイメージなんだろうか。(「スプリング」にはバネという意味もある)

そして、春を迎えたあと、どうなると考えていたんだろうか。


「初春の令月」を引用した令和。志賀理江子さんの展示における『スプリング』と、新元号の春とを重ねながら、雪解けと共に「出てきた」様々な問題(であり、同時にきっとエネルギーでもある)が、この先どうなるのか、この先自分はどう向き合いたいのか、考えたいと思います。

ちなみに東京都写真美術館での『ヒューマン・スプリング』は5月6日まで!ぜひ!


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