からだから神経がひっこぬかれた。
からだから神経を抜いてくれるような音楽、
恍惚感でいっぱいにしてくれる音楽がある。
その音楽は、たぶん人によって違う。
自分の感覚に合う音楽は、
わたしのからだを恍惚感で満たしてくれる。
まるでウイスキーを飲んだときのよう。
美味いウイスキーは、その香りで、強いアルコールで、わたしたちをうっとりとさせてくれる。
寺山修司が書いた劇を何度も観ている。
観れば観るほど、味わいが深くなる。
観客を恍惚感に満たしてくれる言葉たちが、役者の口から発せられる。
“言葉は芸術”だ。
事務的な言葉、論文で使われる言葉、会話で使うかんたんな言葉たち、
私たちはそれに囲まれているがために、言葉が芸術であることを忘れてしまっているのではないかと思うことがある。
でも、言葉は芸術だ。
目を「め」と読むか、「ひとみ」と呼ぶか、「まなこ」と言い換えるかによって、文章の印象、音の印象、耳触りがガラリと変わる。
性交渉を、
行為という事実の網羅で描写するか、
ひとみの動き、まなこの色、腕や指先の動きを描くことで表現するか、
あるいは、人物から離れて音で表現するのか、ふたりが横たわるベッドのシーツを描くことで描写するのか…。
これらの違いによって、生まれる空気が変わってくる。