千登世
男と女の駆け引きが繰り広げられる、大阪・北新地の乾いた愛情のものがたり。
婚約者から逃げる女の話。
秋田の緑に囲まれて、のびのびと、厳しく育っています。
4月に刷新した三井住友カードを作成。 ポイント還元が最大15%だとか騒いでいたカードです。 4月1日に作るつもりが、印鑑・住所・電話番号も変更のため、ネットでも郵送でもバツで、平日休みの黄金週間に窓口へ。記念にカードも黄金に。 アプリでカード番号を管理するため、カードが届く前にもう使えるようになっていて嬉しい。約9分😳 カード特典、ちゃんと調べました。 最大15%なのは、マクドとかセブンとかチェーン店ですね。ワタシほぼ使いません。 でも、他の特典もちゃんと調べました。
控えめに言って、最高です。 ついに届きました!銅の卵焼き器! 私は良質なフライパンを持っていたため、卵焼き器は専用で持っていなかったのですが、 銅の卵焼き器は有名ですよね。 で、YouTubeとかで銅で作ると本当に味や食感が違うのかって調べていたんです。 そうしたら、やっぱり違うみたいで、繁忙期の料理しない出来ない禁欲の反動もあり、買っちゃいました。 そして、しっかり初期手入れしました。 卵焼き器の半分くらいオイルを入れてじっくり錫に馴染ませて冷ます。 キッチンペーパー
アルベルト・モラヴィア「倦怠」の主人公の家は金持ちで、それゆえの葛藤を描いている。「貧乏人ならどうするであろうか…」事実上金持ちならば、貧乏人のふりをしたところで、それは偽物に変わりない。よって、決して貧乏人にはなれず、貧乏という境地に貶められた人間の立場のことは本当の意味での理解はない。貧乏は貧乏で大変な部分もあるが、金持ちも金持ちで悩みがあり、まぁ人間とはどのような立場にあっても悩みは尽きないものなのだな、と感じた。それは当然で、物事にはすべて陰と陽が必ずあると私はおもう
ショーペンハウエル(2008年) ショーペンハウエルはいい!(当たり前か笑)ショーペンハウエルとは哲学者で岩波書店にて「読書について」「知性について」「自殺について」などが刊行されている。ショーペンハウエルは百年以上前の人物であるが(1788-1860)、その著書は普遍的であるがゆえにいつまでも色褪せない。著作を引用するのはめんどうくさく、読んだ方が早くて正確なので興味ある方は是非とも読んで欲しい。絶対に無駄にはならない良書である。しかし、彼は相当の毒舌家でもあり、
短剣を己に振りかざし、何の躊躇いもなく腸をえぐる。 まだ腹だ。 心臓には突き刺さっていない。大丈夫だ。 そうおもい、 私は119番をする。 電話の先では昂った感情が渦を巻いている。 私はゆれる感情を理性でおさえ、 己の置かれた状況を胸で眺め、言葉を選んで発した。 「いま、知人が自分の腹を自分で突き刺したんです。」 「それで、それで!!!どうなんですか!?」 電話の先の彼女の声音はヒステリックで、 表面上は状況を聞いているけれども話の通じる相手ではない。 これでは
放蕩児(2008年3月) 放蕩児に就いて漱石がおもしろい事を書いている。いま手元に無いので後に引用する事とするが、このような事だった。放蕩するものとは、放蕩するごとく追い詰められて放蕩しているのであって、放蕩しようとおもって放蕩する者は本物の放蕩者ではない。これは放蕩に限らずあらゆることをも説明しうる言葉である。たとえば小説家においても同じで、小説家になるように追い詰められてなる、という事と同じようなものだ。 私は一時期、モテる男について考えていた時期があり、それ
恋の陶酔 私は恋の陶酔に負ける女では無い。と自負している。もし誘惑と陶酔に負ける女であったなら、私の経験人数はもっと多いはずである。私は、陶酔状態をも冷静に客観的位置で見る、という姿勢でいる。 とは云え、私もその陶酔力の偉大さを知った出来事が幾つかある。陶酔とは異性に対するどきどき感である。私はあまりそれを高鳴らせるような性質は持っていないのだが、幾度か陶酔状態に陥ったことがある。私の今の記憶状態からいくと私をその状態にし得た男はふたり。ふたりして共通するのは、目
怒り狂う男 ある男はしょっちゅう憤慨して居る。私が彼を思い出すとすれば、仁王立ちで腕組みをしている姿しか思い浮かばない。わずか一か月で私は彼が怒り狂う姿を三度見た。怒り狂うという言葉にてわかるように、静かに沈黙の上で彼が怒るのではなく、唾を吐き棄てるように叫んでいる姿が想像されるであろう。よって、彼の場合は「怒る」ではなく、「怒り狂う」の言葉が適当なのである。それを目の前の光景として見ている私はと云うと、そりゃあ拳を握って笑いを堪えて居るに決まっている。一体何に怒っ
作家と私 私は谷崎が好きだ。といっても「卍」は途中で放置している。読む情熱は湧かないが、「刺青」をはじめ、この短篇集におさめられている短篇は新たな表現の領域を私に知らしめ、氏の自伝的小説「異端者の悲しみ」は人間の業ともいえる本質が描かれている。私は綺麗ごとは嫌いだ。あたたかい、美しい。それを描くのもよかろ。ふとした時に滲む人間のあたたかさ、これを私はひとに語ってきた。しかし、私は人間の汚さ、業をも包括して描きたい。この「異端者の悲しみ」では主人公が友人に金を借りなが
情熱の詩人、シェークスピア 陶酔とあたたかい涙の渦と、人間の洞察の渦に巻き込む、愛しきシェークスピア。ひとびとの言葉はすべて詩的で映像がなくとも華麗なるダンスを披露する。情熱の詩人、人間を見つめた詩人、シェークスピア。 久し振りに長篇小説を読もうとおもい、長い時間と労力を捧げるには、それに値する作品を・・と思い、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読む。しばらくは精神闘魂で読んでいたのだが、彼の小説のなかでシェークスピアが語られたので、私のなかの情熱の火が灯る
時よ 走れ走れ 涙も追いつかぬくらい 一時間は一分に 一分は一秒となって そうして さっさと時を通り抜け はやく はやく息絶えたい 目の前の出来事に きらきらと目を輝かせているふりをして つらい時を少しでも楽しくおもえればと 辛い人生なんて厭!厭!厭! 私の気高いプライドが許さない はねのけて見せるわよ と笑って歩く 感情を笑いでねじ伏せる 生々しい感情は 誰の目にも触れない暗闇へ カチン 鍵を掛ける 代わりに取
男の女の駆け引きが行われる街の物語。 きらびやかなネオンが輝く街の中のなかでは、男と女の交渉が行われている。 有名企業が連なるビジネス街、大阪・堂島。そこに隣接している繁華街、北新地。そこに集まる人々はごく僅かの種類の人間に限られている。まず、若い男のすがたはほとんど見当たらない。スーツに身をまとった四十五十を過ぎ、厳しい顔をほころばせた男たちがほとんどである。 空に闇がかかる夕暮れどきには光沢を放つドレスに身を纏い、髪をまとめ上げ美しさに隙のない女たちが携帯電話を片手に足
「ご卒業おめでとうございます」と、先生からメッセージが来た。『ああ、まただ』私は敗北感に襲われる。何故かと言うと、私は卒業ができないのだ。でも、大学4年生というだけで、周囲は『就職』『卒業』というキーワードを連発する。大学4年生にはそれしか選択肢がないかのごとく。 一年前、私はまさか自分が卒業できないとは思ってもみなかった。私はどの課題も全力で取り組み、課外活動からも学び、制約の中で最大限の成果を出した完璧な学生生活であった。一年前の私は、ひたすら卒業と就活というゴールに向
嫉妬心があるとチャンスが潰れる。 何故かというと、嫉妬してしまう相手というのは、才能がある人間であることが多いから。 それで、自分が嫉妬心に感情を委ねてしまうと、才能のある人を避ける傾向にある。 でも、冷静に考えると、才能がある人からこそ学ぶことは多い。 そして、才能がある人と組めば、かなりの相乗効果が期待できる。 したがって、嫉妬してしまう相手ほど、仲良くしなくっちゃと思う。笑 才能がある人と話すのは怖すぎるけど。
「育児のために休んでしまうのが申し訳ない」と言っているお母さんがいたので、私は笑って、こう言った。 「申し訳なく思わない方がいい!むしろ、甘えなきゃ!」 【甘える】【支える】 この精神がないと、子育ても介護もできません。 子育ても介護も、それ以外も、みんなで協力してやろう。
私は、様々な社会問題を解決したいと思う。 でも、私の一人の体力では何百個もの問題に対応できない。 ひたすら悩む。 でも、どうにかして、全部解決したい。 それで行き着いたのが、「金を使えばいいや」ということだ。 つまり、社会問題を解決してくれる企業や人に、時間や金を投資をし、行動してもらおうと考えた。 金を出して、代わりにそれについて考えてもらう。 自分が口出しをする場面でなければ黙ればいいし、 一方で、口出しをしたければ口を出せる。 なんてことを考えていた。