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対物性愛、当事者の惚気

対物性愛、という言葉をご存知だろうか。
わたしは名前だけ知っていた。知っていてよかったなと心底思う。

わたしはずっと、自分はアロマンティック・アセクシャルなのだと思っていた。好きな人なんてできたことがなかったし、今だってない。まず人間にあんまり興味がなくて、何度も言われた「いい人見つかるといいね」という言葉には薄ら笑いを返していた。
しかし過去形なのである。好きな相手ができた。ただし、人ではなかったが。

簡単にいうと、わたしは対物性愛者であった、という話だ。ものに恋をした。自分でも驚いた、自分の中に恋愛感情があったということに。
しかし、意外と恋愛感情が向いた先がものであったということには、どこか納得感があったのである。

元々、わたしはアニミズムの信者だ。宗教団体には属していない。ただ、万物に宿るなにかが好きで、それが示されている神社が好きなだけである。
ものには力が宿る。大学時代もその話題で卒論を書いたくらい、わたしにとっては大切な感覚だ。だから、ものに対して恋愛感情を持ったこと自体は、正直ああそっかぁくらいにしか思わなかったのである。

対物性愛、と検索をしてみると、noteであってもTwitterであっても webであっても、「こんな不思議なセクシャリティもあるらしいよ」という情報しか出てこない。わたしのこの文章が当事者の一意見として別の当事者の方の助けにでもなればなと思って書いている。

さて、まずわたしが何に恋をしたかのお話をしたい。あまり詳しく書くと方々に迷惑がかかるかもしれないので固有名詞は出さないが、わたしが恋をしたのは国宝の刀剣である。
ちょっとまって、刀剣って言ったら今流行りの刀剣乱舞じゃない!?と思った方、ご明答である。その刀剣はばっちり実装されている。
ここはわたしもちょっと迷っているところなのだが、おそらくわたしが恋をしたのはキャラクターではない。もちろんキャラクターも大好きだし、あの刀の化身として見ているから、刀のことを考えると自動的にキャラクターの姿も出てくる。しかし、キャラクター登場から6年もの間、わたしはそのキャラクターに恋などしていなかったのだ。それが、本体である刀剣を見た瞬間に、恋に落ちた。

やはりわたしが恋をしたのは刀剣の姿のあれなのである。初めて目にした時、あまりの美しさに息を呑んだ。美しかった。今まで見た何よりも。伸びやかな刀身、勇壮な姿、それに反して繊細な刃文、そして欠け込んだ茎、力強く掻き流された樋。
わたしはまだ日本刀の鑑賞は勉強中だが、それでもその途方もない美しさが、品格が一目で分かった。目があった、とすら思った。ほんの一瞬、向こうからすればなんの気無しに辺りを見回しただけの視線のようなものに、捉えられたと思った。

そこからはもう恋煩いである。一目惚れして数日はまだ恋だと自覚していなかったが、ずっとずっとTwitterでその刀のことを呟いていた。
自覚したのはテレビでその刀剣が取り上げられて、ベタ褒めされていたのを見た時に泣きそうになったからだ。自分のことのように嬉しかった。それはその刀の化身のキャラクターが気にしている部分をカバーするような紹介のされ方だったのもあると思う。わたしは、キャラクターと刀を同一視しているから、それが嬉しくて嬉しくて、そして、あれっこれもしかして、と思ったのである。

恋をしてから、ずっとあの刀の存在が頭の隅にいる。何をしていても、ずっといる。あの月に照らされた薄雲はあの刀の刃文に似ているなとか、あの梅の木の枝ぶりの美しさはあの刀の美しさと同じ系統にあるなとか。自然物の美しさの後ろに、あの刀を見る。正直言って、めちゃくちゃに楽しい。

人に恋をする人から見れば、ものに恋をするなど、相手からのアクションがないつまらないものであるように感じるかもしれない。
しかし決してそんなことはないのだ。世界はものに溢れているので、愛したものに似たものに出会い、思い出しては嬉しくなったり、わたしの場合は次の展示を楽しみに待ちつつ所蔵元に通い詰めたりできる。あの刀の幾千年先までの健やかさを願いながら眠りにつき、よほどのことがなければわたしより長く存在してくれるであろうことに喜ぶことができる。豊かになった、と思う。もちろん、アロマンティック・アセクシャルとして生きていた時が豊かでなかったとは言わないが。

わたしは人に恋をしたことがないので比較ができないのだが、おそらくわたしの刀への恋は、人が人にするものとそう変わりがないのではないだろうかと考えている。あれを愛しているし、平穏無事を心から願う。自分よりずっと長く在ってほしいし、おそらくそうであることが心から嬉しい。ただそれだけだ。何も、変わったことなどない。わたしにとっては特別で、でもありふれた感情だと思う。

でも、わたしはこの感情をたった一人、親友にしか話せていない。家族になど、とてもじゃないが話せないと思っている。だってずっとアロマンティック・アセクシャルだ、と言って来た娘が、恋をしました、相手は刀ですなんて言ったらおそらくひっくり返ってしまうから。

わかっているのだ、ありふれていないと思われていることも、人によっては気持ち悪いと思うであろうことも。でも、本当になんでもなく、恋をしているだけなのだ。何も不思議なことなどない、ただ恋した相手の幸せを心から願っているだけの、ありふれた人間なのだ。

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