続・「温泉むすめ」問題。核心はどこにあるのか?
前回の続きです。
ことの起こりは、仁藤夢乃さんが、非実在女性の性的な表現が、実在女性に対する性犯罪を誘発するという論を張ってしまったところにあると思います。
私のTLに流れて来た人によれば、エビデンスのある(実証的な)研究としては、それは有意性がないとされているとのことです。
あとは、私が論陣を張りましたように、性被害「当事者」の声ではなく、規制派にせよ表現の自由を守る派にしても、この話題が「ネタ」であるに過ぎない人の声ばかりが大きな騒動になっているということでしょうね。
私もツイートしましたが、この件で温泉むすめ側を非難している人の中には、カミングアウトしていない実際の性被害当事者が含まれていると思われます。
そうした人たちはセカンドレイプを恐れていますから、多くの場合、そのことを隠しているわけですね。
そうした声と、いわゆる「活動家」(ツイフェミ)の判別が難しいということがあるかと思います。
もちろんこの両方を兼ねている人もいると思いますが。
実はこれは、表現規制問題を離れても、およそネット上のフェミニストと接する際全般に厄介な問題になる、というのは、私が以前のフェミニスト論争の時点でも感じていたことでした。
まあ、そこで私は今回は敢えてこの論争のメタレヴェルにマウントをとって、性被害当事者の問題と、実際に支援活動に直接関わっている人たち、ただの活動家、それの尻馬に乗っている「外野」、更には被害を受けている宿泊業者を「切り分ける」ことに徹し、敢えて表現規制の是非については判断停止するというスタンスを取ってみたことになります。
もう、どっちの味方かわからない発言や矛盾したリツイートをしてバランスをとっていくという。
(まあ、おたくたちに同情する面はややあります)
事態は非常に面倒で、私にレスくださった方の中に、性被害当事者で長年の2次元おたく、現在は結婚もできているが後遺症は残りながら、今回の件では、ツイフェミの暴走を苦々しく思っている人も現実にいたりしたわけですが。
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話は変わりますが、「ウマ娘」の場合って、いわゆる「萌え絵」になるかならないかのギリギリのラインで踏みとどまっているバランス感覚がありますね。
Twitterに流れてくる二次創作画像は、非常に誇張されたせクシーなのも多いですが、一部には「馬主を傷つけるような表現はやめよう」という運動すらあります。
実は構想初期段階での原画の何枚かをネットで見たことがありますが、遥かに肉感的でした。
まあ、今でも胸はユサユサ揺れるウマ娘もいますけどね。
このへんが、これまでウマ娘がフェミニストの標的にされていない匙加減かと思います。