私の「推しの子」論 第3回 黒川あかねのようにSNSで炎上しないためにはどうすればいいか
アニメ「推しの子」の第5話から第7話までは「リアリティショー」編と言われている。
リアリティショーとは、典型的なのは、それまで面識のなかった俳優やタレントたちを共同生活させて、脚本なしの状況に置き、対人関係のいざこざや友情や恋愛の形成を、どこまでが視聴者を意識した「演技」で、どこまでが本気の言動なのかが非常に曖昧なまま、成り行きに任せる。期間は限定されている。
「今からガチ恋❤はじめます」という、架空の学園を舞台としたリアイティショーにアクアも俳優の一人として参加することになるのだが、その理由はプロデューサーの鏑木勝也が、出演すればアイの異性関係を含む秘密を教えるという交換条件を出してきたからである。
ところが、この「リアリティショー」編、ストーリー構成が非常に巧妙にできていて、その真の主役が誰であるのかが次第に浮かびあがる仕掛けとなっている。
まずは、ファッションモデルの鷲見ゆきと、アイドルの熊野ノブユキの恋模様が中心となって進行していく。
そうした中、ひとりの少女が次第に焦りを深めていた。
舞台俳優の黒川あかねである。
彼女はメモを採りまくるまじめな努力家であったが、ショーの展開の中で、どうしても編集後の映像に残るシーンが少ないままだった。
すでに最終回が迫っていたが、まだ出演シーンが10分にもならないことについて、所属事務所の社長がマネージャーを𠮟りつけているのをあかねは立ち聞きして、責任を感じてしまう。
「かんばって爪痕を残さなきゃ」
ゆきとノブユキが話している場に勇気をもって割って入り、ノブユキを「こっちで一緒に」と誘う。
そして交際を深めようとしていくシーンが続く。
ディレクターは「ゆきからノブユキを奪い取る悪女ムーブが一番ウケるだろう」とアドバイスしていたのだ。
しかしそれは、あかねの本来の性格からすれば全く合わない「蛮勇」だった。
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カメラがまわっていないところでは、ゆきとあかねは、むしろお互いを理解しあい、友情を深めていた。ゆきはあかねにネイルの手ほどきをする。
ただし、自分もノブユキを手放す気など毛頭もない演技をし続ける・・・と。
あかねとノブユキが一緒にいるところに、ゆきは強引に割って入り、ノブユキを連れ去ろうとする。
しかしあかねも負けてはいない。2人を追いかけてゆきの前に立ちはだかろうとする。
その時・・・
勢いあまって、あかねのネイルがゆきの頬をかすめる。
一筋の傷が。
明日はゆきのモデル撮影日だった・・・
撮影はここで中止となる。
しかしゆきはあかねに駆け寄って抱きしめる。
「だいじょうぶ。少し焦っちゃっただけだよね。これくらい、フォトショ(Photoshop)で簡単に消せるから」
カメラに映っていないところだから、これは演技ではない、と。
こうして、二人の間では問題は解決していた。
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だが、SNS上での反応はそうはいかない。
あかねに対する非難の嵐。
あかねはそれらをみんなエゴサーチして反省材料にしようとした。
そして、カメラの外での言動には触れないという「お約束」を守りつつも、
「今回はたくさんの意見をいただきありがとうございました。
ほんとうにごめんなさい」
ところがこれがSNSに更に火に油を注ぐこととなる。
出演者のひとり、YouTuberとしてすでに実績のあったMEMちょは言う:
「人は謝ってる人に群がるんだよ。
謝ってるっていうことは悪いことをしたって認めているっていうことでし ょ?
悪いことをしたって認めたら、石を投げていいという合図になる。
炎上対策としては下の下」
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とりあえずあかねの出演は停止となる。
あかねはもはや、そうした非難の意見など目にしなければいいのである。ゆきは完全に許してくれている。それどころかこの炎上のことをゆきをはじめとする他のメンバーはLINEで皆心配してくれていさえする。
ところがあかねはエゴサをやめない。
あかねは食欲不振になっていく。
それでもがんばって学校に行く。
だが、女子トイレの中で聞こえてきたあかねへの悪口は凄惨なものだった。
「ねえねえ、あかねの、観た?
いつかやると思ってた。
いつも仕事があるからと芸能人ぶってさ。
いちいちマウントとらないと気が済まねえのかよ」
「性格ワル。
自分はあんたたちとは違う、みたいな空気出してるよね。
今頃囲みの男どもに慰めてもらってるんでしょ?
自分を天才かなんかだと思ってるんだよ」
あかねは、ついに便器に向かって「もどして」しまう。
こうした声の中で実際に画面に映っているのは、あかねが俳優として地道にひとり稽古したり、体力づくりにはげむシーン。
あかねのリアルな現実は、生徒たちの語る悪口とは正反対なのだ。
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あかねには役者としての才能はあるのだ。
だが努力に努力を重ねている。
だが生真面目であり、表面上和気わきあいあいとするような社交性、協調性はないようである。
ここに周囲の「ねたみ」が加わる。
これがこの事件をきっかけに爆発したのだ。
もはや勝手な決めつけ、妄想が溢れ出して、悪い噂となる。
そしてついには、この、あかねが通う生徒たちからの悪い噂が、SNS上にも還流するようになる。
もうあることないこと尾ひれがついて、言われ放題の状態に。
そして、それまでは、あかねの所属する劇団の観客をしていた、本来のファン層すら、もうあかねを「推す」のをやめようかと思う、という書き込みが。
あかねの糸が切れてしまう。
デウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けの神)がもし現れなければ・・・
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こうした描写は、あまりにリアルである。
世界のリアリティショーの中で、繰り返されてきた悲劇である。
諸外国では、ショーの出演者にあらかじめカウンセラーが配置されていることも多いという。
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あかねはまじめな努力家だった。
そしてリアルでの対人関係は不器用。
そういうあかねを実際に気遣ってくれる親友は、リアルな場にひとりもいなかったようである。
リアリティショーの出演者どうしの、互いを気遣う仲間意識は強固だったというのは、フィクションめいて感じる人もあるかもしれない。
週刊誌ネタのレヴェルでは、ドラマの出演俳優どうしの、陰湿なまでに火花を散らす関係やいじめが記事になることが多い。
しかし、現実の芸能界のリアルはどうなのだろう?
そうした記事そのものが、一部の関与者が私怨から尾ひれをつけて流している中傷のタレ込みの場合もあれば、ほんとうの告発の場合もあるだろう。
しかし、一般に妄想されているよりは、役者どうしは連帯感があって、互いを支えあっているケースも少なくないのではなかろうか。
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さて、では、どうすればあかねはここまで追い詰められなかったのかの"If"を考えてみることにしよう。
まず誰もが思うのは、エゴサをやめてしまえばよかったのに・・・ということであろう。
リアリティショーの進行の通常の過程においては、エゴサはむしろ、次に自分がどうショーの中で演技していけばウケるか、あるいはヤバそうかの判断材料としてに利用価値が高いかもしれない。
もとより、勝手な言われ放題になることへの覚悟もいるが。
ただ、ゆきの頬に傷をつけてしまう事件がおきて、出演中止になった後はどうだったろうか?
そもそもあかねの出演いったん停止を最終的に決めたのは当然放送局サイドだから、運営の側が「ご心配をおかけしました」と公式に声明を出すべきであったという見方もできるだろう。
番組の趣旨をいったん捻じ曲げてでも「本人たちはすでに和解しております」と、あっさり映像を公式に流していればどうだったか?
それでもそれすらヤラセであるという憶測は、SNSで鳴りやまなかったかもしれないが、少なくともあかねがひとり罪悪感を背負う構造は生じなかったであろう。
あとはあかねにSNSは読むなと厳命してしまい、スマホやPCをとりあえず預かってもよかったかもしれない。
この問題は、しばらく前、コミック原作のドラマに原作者が介入したことをドラマの脚本家がブログ上で苦言を呈し、それに対して原作者がSNSで成り行きを誠実に説明しようとしたあまり、炎上。自死に至った事件で、出版社や放送局が腰をあげなかった経過からも想定できることである。
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さて、このストーリーで描かれた「炎上」に身につまされる思いをした、一般のSNSユーザーも少なくないのではないかと思う。
第1話のアイの死に続く、物語のあまりの窮迫した展開に圧倒された人も多いのではなかろうか。
これから、SNSの一般ユーザー(インフルエンサーは除く)が、どうすれば炎上に巻き込まれないかについての私なりの見解を述べたい。
1.フォロアーを増やそうと「焦らない」こと。
この焦りの気持ちが、ヤバそうなアカウントを安易にフォローしてしまったり、不用意に周囲に迎合した「ウケる」発言をしようとすることに結びつく。
いったんはウケでも、単なるウケに乗ってくるような連中は、いったんネガティヴな態度に転じると今度は簡単に酷いことを言いたい放題してくると見た方がいい。自分を安く売らないことである。
2.自分が傷ついたと感じたリプは、とりあえずスルーすること。
実はSNS上では、スルーするスキルこそ最強と言っていい。
スルーすると、それだけで自分の方が拒否されたと感じて勝手に傷ついて、しかもそれ以上関わろうとしない層は確かにいるのである。
スルーしてもしつこくリプしてくる相手に対しては、何もいわないままブロックすればいいだけのことである。
こちらがそこそこネット上で有名でもない限り、ブロックのキャプチャを晒すようなことをされる心配はない。
3.リプに反論したり、その内容が誤解だと、相手が理解してくれるまでリプの応酬をしたくなる誘惑に乗らないことである。
自分は無名な人間なんだから、自分のことを誤解したままの人間がいたって(ましてやネット上の、最初は「通りすがり」である)、別に実害はない、それより共感しあえる仲間になれそうなアカウントを精選する方がいいのではないかということになる。
4.自分の方から他のアカウントにリプをして、何の反応もないことを、相手の「拒否」や「敵意」とは受けとらないこと。
相手は、単に忙しいのかもしないし、実はこちらの言うことにぐうの音も出ないから沈黙している、くらいにシミュレーションするのでいいのだと思う。
相手の無反応に対して感情的になるくらいの悪手はない。
5.SNSの世界で生じていることは、リアルワールドには影響を与えないと思い定めること。
この世を動かしているのは、リアルワールドでもそれなりの影響力を持っている人たちである。
SNSでもリアルワールドに影響を与えるほどの発言ができる人は、たいていいリアルワールドでも、確固たる「現場」(「地位」とまで言えなくてもいい)を持っている。
現実に自分たちの生活を改善し、社会を変えて行きたければ、リアルワールドの中でも関係を結べる間柄を形成して、そうしたリアルでもつながれる「仲間」を増やすための「広報手段」としてSNSをとらえる、くらいでいいのではないかと思う。
ネット上だけのコミュニティでお互いを癒しあいたくなる気持ちは理解できるが、少なくともTwitter改めXは、誰にでも開放されている空間であり、いつ誰がFF外からリプしてくるかはわからない。
だから、招待制のSNSに仲間にしてもよさそうな人をDMで声をかけるというような形で安全を守る方がいいと思う。
余談だが、私は同人誌即売会で自分の同人誌を売る側にまわってみて感じたのは、皆驚くほど礼儀正しいし、初めて出会う人にも屈託がない、でも馴れ馴れしくもなり過ぎない絶妙な距離感を保ってくれるということであった。
おたくの人も、リアルでもおたくの人間関係築くことに一歩踏み出した方が、いろいろな意味で楽になると思う。
確かに一部には傷つける人間や無作法な人間もいるだろうが、たいていは「善人」であり、少なくとも非おたく系の人たちとの関わりほどは気を使わなくても済むと思う。
下手にネット空間のみでおたく趣味の交流をしていると、逆に閉塞した鬱憤がお互いにたまりあうのではなかろうか。
私はリアルワールドでも非おたく系の恋人がいるくらいだが、同人誌即売会空間の人間関係が、病みつきになるくらいの天国であると感じていることには代わりがない。今は資金難に陥っているので印刷代はねん出できず新刊は電子書籍版に絞り込んではいるが、いずれまた即売会での売り手をやってみたい気持ちはある(私のような考察系はなかなか売れないのは身に染みたが)。
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とりあえずSNSが炎上しないための心得を書いてみたが、これは当面の思い付きに過ぎないので、今後も増補していくつもりである。
何かこんなことも「心得」に含めていいのではないかというご提案があれば、ハンドル名を明記させていただき謝辞をささげるこどはやぶさかではないので、Xアカウント、chitose@kasega1960 のDMで書き込んでいただいても結構です。
その他SNS上のトラブルについても、数回のやりとりで済む範囲でしたら、無料でDMで応じたいと思います。
ただ、仕事で忙しくてスマホのXも開かない時はかなりあるので、反応するまでに半日とか1日とかかることはあるかもしれません。何らかのレスは必ずしますから気長に待っていてください。
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