コミック原作が実写ドラマ化される場合と、アニメ化される場合では何が違うのか
ドラマ「セクシー田中さん」の原作者、芦原妃名子さんが自死する事件について、日本テレビが社内特別調査チームの調査結果を発表しました。
非常に詳しい報告書とも言えますが、「難しい」原作者と距離をとる、契約書なしなどの問題点、あるいは結局日本テレビ側の釈明に終始したという意見もあります。
「のだめカンタービレ」もタイトなスケジュールで実写ドラマ作られたみたいですが、原作からの改変を原作者も原作ファンも受け入れて相乗効果でヒットしたという点では稀なケースかもしれません。
劇場版「最終楽章」は、原作の深みを無視した終わらせ方になった気もしますが、これは原作終了前という限界もあったかと思います。
ところが同じプロデューサー、武内英樹氏が監督として「テルマエ・ロマエ」を実写映画化した際には、その続編においてオリジナルストーリー化が行き過ぎてしまって、原作者のヤマサキマリさんとの間には亀裂が残ったそうです。
プロデューサー=監督が徐々に「味を占めて」傲慢になって行ったということかとも思います。
「逃げるは恥だが役に立つ」も、原作終了前に実写ドラマは終わる形となり、最終2話についてはオリジナルな展開となり、失望したとの声もあります。
コミックのアニメ化の場合には、原作尊重することが今や当たり前になり、原作ファンがそっぽを向くことは稀になりました。
アニメ「推しの子」も、私は後で原作を読む形になりましたが、拍子抜けするくらいに、セリフまで原作に忠実。それでアニメが空前のブームになったわけです。
私が原作を先に読んだケースとしては、「パリピ孔明」と「薬屋のひとりごと」がありますが、これらもまた、原作ファンの期待を裏切らない内容だったと思います。
このあたりは、システムの違いだと思います。
・・・要するに、アニメ化の場合には、圧倒的に出版社側が優位、アニメスタジオはTV局から独立した、たいした資本力もないという力関係の違いがあるのかと。
「スラムダンク」劇場版に至っては、原作者自身が監督しましたしね。
昔、「うる星やつら」で、押井守氏が原作逸脱の大暴走をして毀誉褒貶を受けたのははるか遠いお話です。
宮崎駿さんも、「魔女の宅急便」とかでは、ほんとうに確信犯の原作無視でしたし。