治療者とクライエントの間の「秘密」について

精神科の医師にも、心理カウンセラーにも、ほんとうのことを言うのは避ける人は少なくないと思う。

「この人はどこまで聴いて、身になった、パターンではない返答をしてくれるか」が、ある程度関係を積み上げると「わかってしまう」ものだとは思う。

そのことに治療者側は気づかないまま、SVや事例検討会や学会発表がなされがちだと思うから、本人の許可をとってというのが原則になった来たのは、抑止力にはなっているとは思うが、今度はそういう場で取りあげられると知っているから、言いたいことが言えなくなるケースもあるだろう。

このへんは難しい問題であり、ある意味では非常に関係性が良好なケースのみが、そうした検討の場に乗せられることになりがちと思う。

「関係性がよくて、うまくいかない」ケースをいかに日ごろから形成するかだと思う。

いずれにしても、自分の「業績づくり」のために事例研究発表をするというのは、現実的に就職等で必要なのかもしれないか、だからと言って、採用審査の際に「事例提出」を文書で求める、という選考のあり方は問題だと思う。

敢えて言うが、採用面接の際には、面接官が実際に「面談」してみて、その志願者の人間力と専門性を「見抜く」というやり方に依存するしかないのかもしれない。

実はこの際に、採用する側の臨床的「力量」の方が採用希望者によって試されているのであるが、「なぜ採用されないのか」腑に落ちない場合は自分の力量不足を責めるだけにはならず、その面接官個人ばかりか、その組織とも「相性」が悪い職場かもしれない、「縁」がなかった、タイミングが悪かった、ぐらいに思う方がいいのではないか。

私は、力量不足と感じられたとしても、うまくサポートすれば十分「使い物になる(ようになる)」と判断してくれる職場も少なくないと信じる。

未熟治療者にあてられるクライエントさんは、たまったものではないかもしれないが、大学付属の心理教育相談室では、「このカウンセラーは研修中で、SV(指導)も受けています。それでもいいですか?」と最初にことわりを入れておく決まりになっていたのは、私の頃も、そうだった。

・・・話は最初に戻り、矛盾することを言うかもしれないが「まだ話せないことがある」ことをクライエントさん自身が大事にできることは、積極的意味があると思う。

得てして、無防備なまでにあけすけに人に悩みを打ち明けようとするから、人は傷つく面もある。

不思議なもので、力量のある治療者とあたると、「話してもいい」タイミングが自ずから訪れるものかと思う。

・・・・しかし、それでも、治療者に「話さずじまい」の領域を膨大にかかえていること、すなわち治療者に「秘密」を持ったままにすることは、むしろ大事な、健康性の表れだろう。

そもそも、日常の対人関係においても、どれだけ親密な人にも話せない、膨大な領域を互いに持っていることは、やはり必要だと思うし。

ここぞという時に、必要なだけ、相手に伝えられる(伝いあえられる)関係性で、十分なはずだと思う。

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