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「無知は罪」こそ罪なのさ

はじめまして、もしくはお久しぶりです、ちとせです。長らく書いていませんでしたが戻って来ました。

――挨拶はこのくらいにして、本編に入ろう。話の結論は表題の通りだが、もちろんそれだけではないのでどうか読み進めてほしい。

「無知は罪」という言葉は、基本的には教訓である。誰しも、自らの過失で責任を追われたくない。
文字通りの犯罪でも同様である。日本の法律では「法の不知はこれを許さず」と言われる通り、「無知は罪」というよりは「無知だろうと罪」という雰囲気である。

だがこの「無知は罪」、人を非難するときにむやみやたらと使われがちなように思う。専門家がその分野に無知だと仕事にならないのは事実だ。しかし、あらゆる事象に適応できるほどことわざや名文句は万能ではない。現実には、「無知は罪」が当てはまらない事例も数多くある。

例えば、教育の場。まだ「無知」な生徒たちに勝手な「罪」を背負わせるのは無責任である。場合によっては必要以上に焦らせたり知識や学歴を過剰に重視することになりかねない。また、「無知」を隠すようになれば「聞かぬは一生の恥」の通りむしろ「無知」を改善できなくなる。

知識の過剰な重視は、多くの不利益を招く。「知識」が高尚な物になって閉じコン(身内だけの物)になると「知識人」と「一般人」に分断される。「難しいことは知識人に任せればいい」とむしろ大衆の「罪」が加速していく。「無知」が罪なのではなく、「知識への無関心」が罪なのである。

そもそも「罪」という表現もよく検討して使うべきである。この言葉を「知識を付けて頑張ってほしい」という程度で使うのは明らかに過剰だ。たかが言い方と思えるかもしれないが、人を動かす言葉はいつだって言い方次第である。

「無知は罪」と人は言う。しかし、無責任に「無知」を断罪することは「無知」を増やすことに繋がる「同罪」といえるのではないだろうか。

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