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ジジィがコンビニと呑み屋に行く理由

70代独居老人の父が今夏、庭に散布した除草剤を吸い込んで衰弱した挙句に救急車で運ばれた。
5日間食べていない状態で命からがら看護師である兄嫁に電話をかけ助けを求めたので、呂律と頭が回っていない状態で人選だけは正しい判断が出来ていることに感服しきりだが、肺が完全に死んでおり「タバコをやめればもって5年でしょう」と長めの余命宣告を受け、このまま入院してても手の施しようはない状態なので、自宅に帰って養鶏業を引退する準備を整えることにしたらしい。

低血糖で脚立の上で気を失っても生きてたし、40代で胃が半分無くなっても生きてたし、鹿撃退のための強力な電流が流れる電柵に足が触れて感電しても「性格が丸くなったて最近言われるが電気治療のおかげか?」つって生きてたし、コロナに感染した時も「何十年ぶりに風邪ひいたらキツくてよォ俺もトシやのぉ~」つって生きてたし、ひょっとして不死身なのかはたまた人間じゃないのかと思っていたが、人間味のあるただの高齢者だったようだ。

雑草を草刈り機で刈って怪我でもしたら大変だと除草剤に切り替えたジジィだが、マスクもせずに散布した除草剤を吸い込んで全身の皮膚がタダレて肺が死ぬ。
宮崎特有のてげてげ(テキトー)気質が仇となり得てして詰めが甘い県民性、外傷を避けて行動するもテゲテゲにやって内臓を潰す。
不幸中の幸いで薬剤の毒素に侵されてはいないが、こんな健康被害が出る強力な除草剤が市販されていて老人がホイホイ買えてしまうことにも驚いた。
知り合いの老人たちに呼びかけたよね「雑草が伸びたからといって命には関わらないので夏の除草はやらないで。熱中症と除草剤のほうが死ぬで」

「今から家に連れて帰って寝してかいよ寝かせたら、ひとまず裏のおじちゃんに鶏舎のこと頼まなかんかいよ頼まないといけないから、俺が説明に行くけんどんげなっかしらんわねぇ行くけどどうなることやら。今回の鶏が出たら引退しないて引退しろと話したら本人も一応、納得はしてたけど…仕事する気ぞ、たぶんアレ」
「山行くて、どうせ。仕事してっちゃろ仕事がしたいんでしょ?本人の自由にさせねさせたほうがいい

父がたぶん60代の時だったと思うが、当時同居していた弟から突然こんな画像が送られてきた、無言で。

「ミッキーみたいで急に可愛いくなったやん、その歳でようやく」
と返信すると、

暴走族の特攻服の背中にバーーーンと刺繍されてるような文字列だけが送信されてきた。

最悪親指切断

読みにくわっ!助詞を使え!
とりたて助詞を入れとけ、こういう時は。

「なんか~最悪なら親指だけ切断てきな?」

ほぅら悲壮感すら飛ばせてフザけた一文の出来上がり。

その後、弟から電話があり、仕事中に機械に巻き込まれて親指が千切れかかっているのだが「医師が手術中のため対応できないので入院して明日、縫合する」との説明を聞くやいなや「仕事あるから入院なんかしちゃおれん、切ってくれ」と言い出し、病院がザワついているらしい。

「切ってくれなんて言う人、見た事ないですよ」
「よかったのぅ今日見れて。切ってくれ」
「いや…そういう話じゃなくてですね…」
「仕事あるから入院は出来ん」
「お仕事は何されてます?」
「鶏を養いよる」
「切断して養鶏をするつもりですか?!切断したとしてもそんな不衛生な状況でお仕事してもらうことは出来ませんけれども…そもそも第一関節が砕けていてですね、不衛生じゃない仕事だとしても…」
「切るまでが医者の仕事じゃろ?切った後で仕事するかどうかの判断をするのは俺の仕事じゃ。切った後のことは一切責任を問わんと約束するから切ってくれ、一筆書こうか?」
「責任問題とかを言っているのではなくてですね…」

切る切らない問題で埒が明かず「お姉ちゃんの言う事なら親父も聞くかもしらんから説得してくれ」と言う。
医師の判断で「切断」になっているのではなく、父の勝手な判断で「切断」を迫っていて、医師が困っているから父親をどうにかしてくれという話である。

「医師に言おうか、私から?切ってくれて」
「オマエもかよ!」
「言うコト聞くわけねぇが、て。わかるやろ?娘がどうにか出来る父親じゃねぇわ最初から。医師を説得するほうが簡単やじ?さすがタカボ~アッパレやな~最高におもろい父親やんけ~私は尊重するね。異議なし!親指無くなってメソメソウジウジするような人間じゃねぇとっとと切って帰れ、そして仕事させろ、本人の希望通りにしたらいっちゃが~おもろ~無敵やな」
「はぁ…オレ…間違ってた…」
「人間なんぞ間違うことやらしこたまあっぞ?間違うのが悪いんじゃない、正さないのが悪いんや」
「バカか?オマエに電話したのが間違いてハナシじゃ」

その後、父は「60年親指アリでやってきたからもうそろそろ親指なくてもやっていける」と持論を展開し、堪え切れずに看護師たちが笑い始めると、ザワついている病院内から皮膚科の医師がやって来て「皮膚科なんで皮膚は繋げますけど神経は繋げません、親指が動く保証はありませんが僕でよければ縫いますよ」と名乗り出てくれ「お~お~縫ってくれ。親指なくなるつもりでおったから動かなくてもあるだけマシ」つって、入院を拒否して仕事をするために切断するつもりだった親指を、動かない状態で表面的にくっつけてもらった。

以降は自分の親指をさして「おまけ。コレ飾り」と称しているような父である、余命宣告を受けるほど肺が死んだとて、養鶏をするに決まってる。

「医者は5年もつかどうかゆちょったけんお父さんは『2年が限界じゃろう、自分の親見てればわかる』て。思うところが何かあるっちゃろねぇ」
「どっちも肺疾患で死んじょっかいね~長くないのはわかるっちゃない?自分の身体は自分が一番わかるとよ」
「車に乗った途端アイコス吸ってよ。さすがにオレ何も言えんかったわ。タバコやめたら5年て言われてぞ?アイコス吸うか、普通?」
「おっっっもろ!命よりタバコかすげぇな~タフすぎるわ~もうそれだけのチェーンスモーカー貫いたら立派やわ~尊敬する~棺桶に絶対アイコス入れちゃる~葬儀の花てタバコで作ってくれるトコあるかな~」
最後のお別れに花詰めるトコロをタバコぎっしり敷き詰めてやったらさそがし嬉しかろうよ。

変人の名にかけて娘の私がタバコで燻製にして荼毘に付すことにしよう。
一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭タバコは5番目に縁起がイイからな、中途半端だけど。
まァ初夢に見るも何も永眠しちゃってるてハナシだけど。
「経費ちゃんと上げてますか?」と役場から心配されるほど高い納税額なのにその上、死にかぶりながらたばこ税も追加で納め続ける老人もそうそうおらんぞな。

「オマエ…帰って来い?生きてる間に会っちょったほうがいいぞ?」
「病院の調整とかあるからすぐすぐは無理やけど考えるわ~とことん最期まで変人やわ~おっもろ」
父の死因はきっと面白いと思う。
どんな最期でも、それはそれはアッパレに死ぬのだろう。
自分を偽ることなく己を貫き通して生き切って死ぬだろう、父は。
それを常に見せてくれる変わり続ける父なのだから有難い。

「変わらないひと」というのはその時々に合わせて「変わり続けているひと」のことであると私は父から学んだ。
自分を変えられずに人生を楽しむ方向と選択を間違えてしまうとひとは「あのひとは変わった」と言われるようになる。
変われない自分のままだから、変わり続ける世の中に取り残されることになってしまうのだ。
「変わらないひと」は我を通すひとのことではない「自分を易々と変えていけるのに芯がブレないひと」のことである。

私はどんなに生きづらく孤独であったとしてもこの先も迷いなく生きることになるのだ、自分に正直に己を貫くためにはたった今どう自分を変えるべきかを選択して生きればいいと実践してみせた父のおかげで。
こんなに強く生きた親を亡くしたらそりゃ喪失感があるんだろうなァとは思うが、亡くしてみないと自分が抱く感情とやらはわからないもので、親が生きてる今は、なんて貴重で贅沢な時間なんだろうと思う。

だから私は今、父と連絡を取る時には有難い理由を具体的なエピソードで語り「尊敬するわ~さすが変人よね」と本人に伝えている。
だいたいは「バカか?」と返ってくるが、長年に渡り一番バカな判断をしているのが父だと思われる。

今回の病院送り騒動でも結局、翌日には自発呼吸がやっとの状態で養鶏の仕事をする始末で、親戚たちが心配するも本人が電話に出ないので関西在住の私の所へ連絡が来、呼吸がやっとだから電話に出られない旨を説明しまくった。
仕事中に絶命したらそれはもう本懐を遂げたのだと思ってやろうと大袈裟に武士の切腹かのような演出で説き、父には「ダレソレとダレソレとダレソレとダレとアレとソレには説明しといたから体重が元に戻ってから会いに行きね、今ガリガリで来ても心配の上乗せばい」と注意。
今すぐすぐ死ぬような老人を病院が自宅療養で帰宅させるわけがないんだから、生きるも死ぬも運やで、運。

肺は再生能力がほとんどない臓器なので肺機能が低下すると回復は困難とされている、ましてや高齢者であればただの風邪が長引くほど体力と共に回復力も老化し衰えている。
「回復が遅れる」箇所を病むのは、高齢者にとってゆゆしき問題なのである。

「高齢者に骨折させたら命取り」と言われるのは、自然治癒力で治る骨折は長期間安静が必要になり、高齢者の場合はそれが寝たきりに繋がり、痴呆に繋がり、要介護状態に入るという負の連鎖が起こる可能性が高くなってしまうから。
高齢者には慣れていることをずっとさせ続けるのが良い、と祖父の介護をしていて何度も思ったので、父にも適用すると「させ続けるなら養鶏だな」と思うが、さすがに父の養鶏の規模は千万や億万単位の金をジジィひとりで動かす業界なので、肺が死んでいる老人がひとりで出来る仕事量ではない。

「さすがに引退するかと思ったら、まだ2回転するとや?宮崎帰って手伝おうか?」
あと半年ばかし現役の養鶏家として働くと決めたらしいタフな父親に申し出ると「自分の時間でゆっくり頑張るから無理せんでいいど、体力的にキツいけど楽しんでみるわ、何か得るものがあるんだろう」と返事が来たのでコレはほっといても大丈夫そうだと踏んだ。

高齢者が本当に心身共に弱ってたら、アイコスは吸わないし、やる気も起こせない、楽しむなんてもってのほかで、その先の得るものが何かなんて考える余裕すらねぇわ。

余裕ぶっこいてるが肺は死んでる息絶え絶えの父、バリバリ後期高齢者75歳のジジィ。
まだ70そこそこだった時にビックリしたエピソードが2つある。
それが、ジジィが「呑み屋」と「コンビニ」に行く理由である。

私は宮崎に帰郷するとスナックやラウンジへと夜な夜な繰り出す父に1日だけ付き合って梅酒を4~5杯飲むのだが、宮崎の夜の娯楽は呑み屋以外にやってる店が無いので致し方なく付き合って飲むだけで、関西では1敵たりとも飲まない、下戸なので。

「梅酒か柚子酒かカクテルかブランデーか、ジュースみたいな酒しか飲まんけどおいしいと思って飲んだ事は一度もねぇから、金払ってまでアルコール飲むひとの気が知れんとよね~わからんっ!うもねぇ」
1日だけ宮崎で飲む酒は、純粋にタダ酒だから付き合って飲んでいるだけだと言い放つと、父親がショーゲキの事実をサラッと言ってきたのである。

「おお~俺もおいしいと思って飲んだことは一度もねぇな」
「はぁ?!おぉ?!」

ほぼ毎晩のように焼酎をあおり、わけのわからん小洒落たシャンパンを開け、何十年も湯水の如く金を酒に使って来たジジィが何をか言わんや。

「いつから?いつから酒うもねぇおいしくないとや?」
「最初から、うもねぇおいしくない
「は?!借金してまで、うもねぇ酒を飲んでたとや?」
「借金して飲むほど好きごたねぇ好きじゃない
「ジジィ営農通帳マイナスの時も毎晩飲み行きよったじゃねぇかて!飲みに行ってたじゃんかアレ借金ぞバカか?」
「あの通帳はマイナス300までいくっとぞOKのヤツ?俺が生きてるウチに全額返すっかいの~返せるから~払える金は俺が自由に出来る金」

6億の借金を抱えた人間は金銭感覚もバグってんな。
私は税申告の書類を作る手伝いをしている時に養鶏の経営で動かしている営農通帳とやらに一応、目を通しておいたことがある。
通帳にはノータッチで書類だけ書けばよかったが、見たことのないマークが付いていたので軽い気持ちで父に聞いた。

「この金額の前に▲のマークが付いてんの何よ?」
「借りちょる」
「は?!」
「マイナス」
「マイナスて▲付くんか…」
「ひとつモノ覚えたな~」
「じゃ、ねぇわ!いくらよマイナス?!イチ・ジュウ・ヒャク・セン・マン・ジュウマン…ヒャク?!200マン?!高校の時で借金は完済してなかったっけ?」
「借金返したら今度は信用がついて銀行が借りてくれげなぞ?付き合いぞ、半分は」
「付き合いで借金するやら本気のバカやじ?おもろっ」
「いつでも返せる借金じゃっつよなんだよ、ゼロにしてもいっちゃけどよぉ…余裕持って1年で返したらいいごたね?いい具合だろ銀行も?

借金を返すのに「余裕持って」と表現した場合は、返済期間が短くなるんだよ、普通はなコッチ都合だと。
すぐ返せる借金を1年かけて返すメリットがわからん。
経営上なんか得することでもあるんか?
高校で商業簿記・会計簿記・工業簿記を習ったしそれなりに資格取得もしたけど、そんな裏技はなかったと思うが。

「あの~…アタマおかしいなやっぱ。借金に利息が付くん知ってます社長?1回責任者とハナシさしてもろてよろしいかえ?」
「お~お~知っちょ知っちょ~利息さえ払えばあとは俺の金じゃかい。やから利息は先に払ってあるぞ~」
だいぶとおかしいな、アタマ。
利息が付かんように先に借金を相殺せぇよ、いつでも返せるのなら。
利息を払って借金を先延ばしにしちょっとずつ借金を増やすなんて、何の「余裕」が生まれてんだ?どんな付き合いなんだよソレ?
額が大きい負債を抱えた経営者の思考はたとえ親でもわからんもんやな。
ただひとつわかるのは、経営者てだいたいイカレてるんだなァてこと。
それくらいイカレてないと、経営なんて無理だということか。

イカレた父が浴びるほど飲んできた焼酎をおいしいと思ったことが最初から無いとほざくのである。
祖父がアル中の道を突き進んだので、父も同じ轍を踏むものと思っていたが、予想外の本音。

「好きで飲んじょっちゃねぇとや?飲んでるんじゃないの?
「いいや?」
「じゃぁなんで毎晩、飲みさるくとや?飲み歩くの?
「つまらんテレビしかやりよらんかいよ」
ビックリ仰天、おもしろいテレビ番組がやっていないので、仕方なくおいしくない酒を飲みに出ているそうな。

テレビ視聴者が高齢者層に偏っているので、高齢者が好みそうな番組を作り、高齢者をターゲットにした商品のCMが流れていることだろうが、70代はテレビがつまらないので酒に走っているのだ。
テレビマンよ、もっと頑張らないと高齢者をスナックに取られてしまうぞ。
我が父の残された肝臓のためにも頑張っていただきたい限りだ。

「お、そういや電池買って帰るの忘れちょったな」
父がそう言ってセブンイレブンに入って行く。
「おぃジジィ!」
「何か?」
「斜め向かいにトライアルあるじゃん?同じ電池が半額で売っちょっばい売ってるよ?1分歩きね歩けばいい
「バカかお前。トライアルの中に入ってかい入ってから電池買うまで15分歩かにゃいかんぞ歩かなきゃいけないぞ?コンビニは狭めどが~さるき回っても知れちょる狭いから歩き回ってもたいしたことない
探し回って見つからなくてもレジで聞けばすぐに商品を見つけてくれる、コンビニの絶対定価にそんなサービス料が含まれていたとはな。

高齢者は広い店内を目的の商品を探して歩き回るのがイヤで、狭くて何でもあってレジで聞けば商品を取ってレジまで持って来てくれるサービス付きのコンビニを利用したがっているのだ。
高齢者は店を「歩数」で選んでいる。
店に行くまでの「歩数」ではなく、入店してから目的の商品を手に入れるまでの「歩数」で選んでいるのだ。
店の入り口から最短距離で目的の商品まで行きたい。
ついでに最短距離でレジに行き、最短距離で店を出たい。
それが後期高齢者なんである。

「買いたい商品は決まっているが、ついでにお買い得品を買ってもいいし、興味をそそられる商品なんかも見てみよう」
そんな気力と体力と物欲が、老人にはないらしい。

目的の物をさっさと買ってとっとと帰りたいからコンビニ。
別に見たい番組もねぇけど点けとくかテレビ~つまらんのぅ~飲みにでも行くか。
コレがウチの75歳のジジィが「コンビニ」と「呑み屋」に行く理由なのだ。

今後の高齢化社会に備えて「狭くて何でも置いてる激安店」を50m~100m間隔でチェーン展開してやねぇ、うっかり買い忘れがあってもあと3店舗は出てくるからそれまでに思い出せればセーフ!という万全の配置にして、夕方から営業する高齢者向けの健康的な夜の娯楽を充実さしたらいいと思う。
熱中症対策に「スナックOS-1」とかいんじゃない?骨の健康をサポート「豆乳BAR」とかね、飲む点滴「甘酒ラウンジ」が流行るかも、夜な夜な老人が健康に目覚めると。

絶好調に整った老人たちには22時頃に一斉に白湯を出してそれを合図に解散してもらおう、帰路の途中では24時間営業のコンビニに立ち寄っていただく、この時間帯のコンビニのバイトは、この世の不幸を一身に背負い眉間に深い深いシワが寄って戻す術を失った不機嫌な若者を積極的に採用、時給は50円UPで。

「いらっしゃいませ」に続きがあることを、整った老人たちはコンビニバイトの「いらっしゃいませこんばんは揚げたてのポテトはいかがですか」で知る。

コンビニの店員も客も、何か知らんけどとにかく一刻を争ってる!てカンジがしているが、それは日中のハナシである。
あのガラスのドアに手を掛けた瞬間、とくに急いではいない人間でも急ぐスイッチが自動的に入る作用が働くんだねアレは。
ガラスのドアて意外に重いもんね、普段使わないような筋肉が刺激を受けてせっかちスイッチがオンになるんだろう意味も無く。
現代人はきっと忙しい、ガラスのドアを押したら人生緊急事態中みたいなことになりよる、精神的にな。
朝イチだけど今日という一日がもぅ10時間を切っとる、体感的にな。
「レシート要りますか?」の「レシートい」くらいでもう客は聞く耳もたんと出口へまっしぐら。
ネコがカルカンに向かうスピードよりも、速い。

そんな一刻を争う世界のコンビニの22時は、整ったジジババと不機嫌な若者の丁度いいバランスで相乗効果がもたらされる。
そしてその効果は高齢化社会の潤滑油になってくれることだろう。

私は一刻を争う日中のコンビニで、不覚にも感動した事がある。

何を買ったかは忘れたけれど1000円札と小銭の組み合わせで出し、お釣りがちょうど500円になるようにした時のことである。

前もって「レシートは要りません」と、レジに立っていた大学生風の長身の兄チャンに告げたんだけれども、ノッポの君は返事ひとつせず500円をアクロバティックに返してきた。

一刻を争うコンビニ店内で私はせっかちスイッチが入っているのにもかかわらず、ゴールを決めたサッカー選手が小躍りをかましたくらいの時間を無駄にした。
レジのノッポの君を見つめたよね、13秒。

わしゃ帰宅するなり、当時高校生だった息子に叫んださ。

「ちょっと~ヒー坊!すんげぇコンビニ店員に出くわした!」
「…何?」
「コンビニ店員のイラっとくるお釣りの渡し方のレパートリーはさすがにもう出尽くしたと思ってたけどや~『まだあったんか!』ていうもの凄い技を炸裂さした兄チャンがおった今!」

掌を出しているというのに何故か掌の真下の台にレシートをそっと置きその上にお釣りを積み上げる店員「お釣りのほう『粗茶でございます』方式にてお返しさせていただきます」スタイル

出している掌のはるか上空から握りしめたお釣りをダイブさせる店員「もこみち下味&オリーブオイル」スタイル

お釣りの紙幣をやたらめったらパチパチ弾く店員「ポール牧をも凌ぐ指パッチン」スタイル

一枚ずつ1000円札をレジから出した瞬間スタートでクルクル高速回転させて渡すのを4枚続けた店員「打倒村主章枝高速スピン」スタイル

お釣りをもらうために広げた掌の手首をグッと掴まれ店員のほうへ引き寄せられた挙句、拳の中で握ったお釣りの小銭を小指から乳牛の乳搾りの逆バージョンで絞り出してきた店員「絞りたてのお釣りですマジックショー(観客参加型)」スタイル

他にもいろいろあるけどキリがないので印象深いスタイル5つに厳選させていただいた「さすがにこれを上回るお釣りの渡し方など我がニッポン国にはあるまい」と、油断してたねぇ。

ノッポ君は500円玉上部を親指と人差し指の2本でほんの少しだけつまみ、500円下部を自分の方に傾けると手首のスナップを異様にキかせて、私の掌めがけて500円硬貨を投げ返してきたのである。

名付けて「バリカタに茹でたこだわりの自家製麺の湯切り一筋20年」スタイル

「もうねぇ、渾身の一振りてカンジだったね。今までの中でダントツ無礼。あのコの人生に何が起こったらこんな500円の投げ方が出来るのかな~て思ったらさ、初対面でナンなんだけどヤクルトおごりたくなったし。いつでもハナシ聞くよて言いそうになったわ」
「なんでヤクルト?」
「とりあえず乳酸菌かな~と思って。ま、おごってへんねけどな。でもおごったとしてもありゃ簡単に心は開けへん思うわ~こだわりがこじれとる、あの投げ方は。脱サラして私語厳禁のラーメン屋はじめた頑固オヤジでもあの一振りは繰り出せん」
「スゴいな。もっともっとスゴいひとが出てきそうやなァ」
「LINEとコンビニはバージョンアップの頻度が高けぇ!」
「おちおちしてられへんやん」
「ホンマやで。ちょいちょい行かなアカンなコンビニ。知らん間におもろい人材入れとるからな。ついつい安いからスーパー行ってもてコンビニは行きそびれるわ~」
「コンビニの『絶対定価』よな」

熱力学、絶対零度
スカートとオーバーニーソックスの狭間にある太もも、絶対領域
コンビニ、絶対定価
覚えておいて損はねぇ。

渾身の一振りで500円を投げ返してくるような接客をしてしまう若者を、きっと私のような若輩者は笑顔にして差し上げられないであろう。
適任者は22時過ぎのジジババよ。
整ったジジババは、なっかなかイライラしてくんねぇのよ。
亀の甲より年の劫が甲羅干しして絶好調なんだからYO!

君のイライラがジジババに伝染うつらないことを咀嚼するのだ、若者よ。
若者は尖っているくらいで結果オーライ。
イライラすることを放棄したジジババたちにも、60年前は君のように尖っていた青春時代があったのだ。
そのコトを思い出して久々に飲みたくなるのさババァが。
「ヤクルトでも買おうかしら」つって。
不機嫌な君にもきっとヤクルトを差し入れしてくれるだろう、青汁入りの不味いほうを。

そしてますます不機嫌になった君を見て、黄門さまのようにカッカッカ~と笑い飛ばしてジジィが言うのだ。
「最近のヤクルトは青汁も入って、健康・結構・コケコッコー」
すまんな、それはヒヨコのことをピヨ子と呼んでいる養鶏家のウチの父75歳だ、悪気はないが配慮もなく、致命的にギャクセンスも無い。
こんなジジィになりたくないのなら、耐えるべきは今この瞬間である。

君にはまだ60年分の未来がある。
圧倒的に余裕があるのは、ジジババたちではなくじつは君のほうなのだ。

そのうち君には後輩が出来て余裕シャクシャクでコンビニの仕事を教えていることだろう。
「この時間帯になると急にジジババが増えてウゼェぞ」
と22時頃の店内で君は後輩に愚痴るのだ。
「2年前くらいからまっじぃほうのヤクルトをくれるウザいジジィが毎日来てて『最近のヤクルトは青汁も入って健康・結構・コケコッコー』とかほざいてたんだけど、ここ数週間見ねぇな」
と。
店内では50過ぎのババァが笑いながら泣いていると思う。

初めて行ったラーメン屋で女店主に「女将さんビール飲むひと?」と聞き「好きなほうじゃとよ~」と返ってくるとお会計にその店のビール代を上乗せして払い「俺のおごりで閉店後にビール飲みないえビール飲んでね」とだれやみビールを差し入れしていた父を思い出し「数週間前までまっじぃほうのヤクルトを差し入れしとったんやなァ」と涙しているのは私である。

君の愚痴が私が父を偲ぶための大事な要素になっていることを、君は知らないままであろう。
しかし私は君の不機嫌の中に、父の上機嫌をみるのだ。

貧乏な私は絶対定価のコンビニにそう頻繁には行かないし、下戸だから呑み屋にも行かない。
父を思い出す時はきっと君の愚痴を反芻するだろう。
いや、まだ死んでねぇが、父は。

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