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和菓子の中でこだわりをかなぐり捨てた甘味、それが「ぜんざい」である。

味覚とは不思議なものである。
「おいしい」はだいたい共通するのに「おいしくない」は共通しないことがままある。
美味しさは総意なのに、不味さは個人の味覚の違いだ。

偏食の民は好き嫌いをひた隠しにして生きている

私は48年間顰蹙を買うほどの偏食で、衣食住を共にした家族であっても私の食の好みを把握している人間はいない。
家族が把握するどころか私自身が把握していない。
自分が食べられるかどうかは長年「食べてみないとわからない」状況なのだ。
「食べれないような気がする」というカンで最初から食べないことにしているメニューの数は、毎年どんどん増えていく。
大人はある程度の食べ物は「食べた経験くらいはある」と見なされるので「食べてみたけどどうやら食べられませんでした」は年端もいかない子供の特権。
偏食は治らない、昨日まで食べられた物が今日急に食べられなくなっていて驚くが、大人になればなるほどそんなことをクチには出せない。
会社の忘年会や新人歓迎会でいかに「さも食べてる風」を装うことか。

立ちはだかるスイーツ問題

そんな中、私が社会生活で非常に困るのがスイーツ問題である。
女子の集まるところにはスイーツが集まり、女子の職場にはスイーツが差し入れされ、おじさまが確認もせずに話題のスイーツをおごってくれるという現象が起こり、有無を言わさず生クリームがたっぷり入ったクレープが渡されたり、人数分のシュークリームが届けられ配給される。
そして世の中の多くのひとが、どら焼きやケーキやフォンダンショコラやマロングラッセを嫌いな女がいるなんて、思ってもくれないのである。
私は人生で一度も「ケーキ食べれる?」と聞かれたことが無い。
「ラッキーな時に来たね~」と突然目の前に置かれるケーキ…私に起きているアンラッキーに誰もお気づきではない。

洋菓子やケーキはまだいい。
女子は洋菓子やケーキを「シェアする習慣」があるので、私が受け取ったケーキを「おいしいでこれも食べてみて~」と横流しすることが出来、私は最初の一口だけを頑張ればいい。
しかしどら焼きや饅頭はシェアしないし、個包装されている場合が多い。
1個丸々渡されて1個丸々食べなくちゃ…というシチュエーションになる。
初手で「和菓子は食べられません」と偏食宣言をしないと、ゆくゆく大変なことになってしまう。

殆どの日本人が、ぜんざいを粒あんだと思っている節があるのだ。
ぜんざいと粒あんの区別はついているけど、味が一緒なので食べ物として同じだと思っている。
だからぜんざいを食べるならあんこも食べるのだと思っている。

違う、違うぞ。
私にとって「ぜんざい」と「あんこ」は違う食べ物だ。

甘い物は食べないとまず宣言して人付き合いが始まると言っても過言ではない私の48年の人生。
本当は大好きな甘味が2種類あるのだけど、それを人前で食べてしまうと後々ツラいことになるから隠してきた。
大好きなぜんざいを人前で食べてしまったら、苦手な「饅頭」を好きだと思われ、食べられない「羊羹」を当然のように差し入れでもらうようになり、一口も食べられない「どら焼き」をいただく機会にあずかるようになってしまうので、私は「ぜんざい」を嫌いなことにしている。

有名な門戸厄神には「厄除けぜんざい」が売られているが、職場のひとが来ているかもしれないので我慢している、見られたら厄介なことになるので。
用心して用心して自宅でしかぜんざいを食べて来なかったのに、ついに昔の職場の先輩にバレてしまった。

急に「今から行っていい?」という電話があり快諾したら「何か買って行くわ、何がいい?」と聞かれ、クチが滑って「ウチぜんざい作ってあるんで、それでよければありますよ」と甘味好きの先輩に本当のことを言ってしまったのである。

「ぜんざい」好きがバレて始まってしまう「あんこ問答」

「和菓子ダメって言ってなかった?」
ぜんざいを食べる私に、先輩が尋問。
「和菓子も洋菓子もダメですけども」
「あんこ嫌いじゃないん?」
「嫌いですよ」
「それ、あんこやん」
「いいえ、ぜんざいです」
「一緒やん!」
「こんなにシャバシャバしたあんこあります?」
「いや、ないけど…味はあんこやんか」
「味もあんことは違います。これはぜんざいの味をした食べ物で『ぜんざい』てウチでは呼んでますねん」
「ウチでもそうやけど?『ぜんざい』て呼んでるで」
「さっき先輩『あんこやん』ゆぅてましたよ?ウチのぜんざいのコト」

私は大好きなぜんざいを嫌いなフリをして生きているが、じつは好きなので自分で作る。
自分で作ってまでも食べたいスイーツが2種類しかなく、それで私のスイーツタイムをまわしているので俄然ぜんざい率も上がる。
先輩が来た日はちょうど3日目のぜんざいを堪能していたタイミング。
鍋の中は煮詰りユルユルのアンコくらいにはなっていたが、私は3日目のぜんざいは湯でうべてシャバシャバにするので、作り立てぜんざいのようにシャバシャバとしたぜんざいのぜんざいたる見た目を、先輩はご覧あそばしている。
そのシャバシャバのぜんざいを先輩は、あんこだと言うのである。

いいんです、どうせ誰も納得しないのですから。

「あんこも和菓子も苦手ですが唯一ぜんざいが大好きなんです。でもそれを言って先輩、納得します?私がぜんざいが大好きで食べてたら当然のようにあんこも好きと思うでしょ?あんこは嫌いって思ってくれます?くれませんよね?今も『あんこやん』て思ってるわけでしょ?ぜんざいをしょっちゅう食べてたらそのうち私に羊羹とか饅頭とかくれたりするんでしょ?だから私はしゃ~なしぜんざいも嫌いなフリをして生きてます」
「なにそれ?饅頭はあかんの?」
「あきません」
「羊羹は好きなん?」
「嫌いですってば」
「おしるこは?」
「嫌いですよ」
「ぜんざいは?」
「ぜんざいだけが大好きなんですよ、ゆぅてますやん『唯一ぜんざい』て」
「わからんわ~なんで?何が違うん?」
「説明出来るならとっくにしてますよ、私だって。説明出来たら人前でもぜんざい食べれるのに、出来ないから嫌いなフリしてるんです『ぜんざいだけが好き』言えるのはそれだけです」

とくに私がおいしく食べられるぜんざいは、友人のオカンが「ぜんざい作ったんやけど食べる?」ゆーてきた時のあずき1袋使って鍋いっぱい作ったぜんざいである。
それがいただけたら最高にうれしい振舞いぜんざいである。
どうだ、そんなワガママな1杯がこの世に存在する確率のほうが生きていて少なかろう。
だからぜんざいを嫌いなフリをして生きるほうが生きやすいのだ、私は。
己でこっそり隠れて作ったぜんざいを食べていればいいのだから。

「ぜんざい」と「あんこ」の違いがとうとう判明する

しかしそんな私に転機が訪れた。
先輩にバレて私のぜんざい欲が決壊したわけではない。
TVを観ていたらたまたま、どら焼き店の「あんこを作る工程」が出てきたのである。
今まではぜんざいとあんこの違いを説明出来なかったからコソコソしていたけど、製造工程が全然違うではないか。
これは違いを説明できる!できるぞ!!

私はもうコソコソと隠れてぜんざいとの自宅密会を重ねる必要がない。
門戸厄神のテントの下でかき回されている大鍋の「厄除けぜんざい」も食べられる。
職場のひとに見られても堂々とぜんざいを食べようではないか。
饅頭や羊羹やどら焼きを食べることなく、しるこじゃなくてぜんざいだけを食べよう人前でも。
だって違いが説明できるから。

粒あんとぜんざいの製造工程の共通するところは、2つ。
・前日から作り始めて翌日に出来上がる
・はじめに小豆を洗う
しかしこの2点は一緒でも、内容は微妙に違うので最初から違うと言ってもいい。

「あんこ」は手間暇かけている「ぜんざい」は思いつき&放置

粒あんは前日の午前中に作り始め、そこから13時間ノンストップで煮詰めた後で一晩ねかして翌日に完成する、手間暇をかけて。
一方、私のぜんざいは前日は前日であるが朝でも昼でも夕方でも夜でもいつ作り始めてもいい、思いつきで。
「思い出した時に沸騰させては火を止める」を繰り返して小豆をやわらかくするので自分次第で出来上がりも早くなる。
沸騰させるのを忘れればそれだけ食べるタイミングが遅くなるだけのことだ、基本的に何回も放置することで出来上がる。

小豆を使用するということも共通点であるが、主たる材料は小豆しかなくこれがないと違いの説明が始まらないので小豆は省く。

むしろ小豆しか使っていないのに違いを説明できることがスゴい

粒あんは小豆を丁寧に洗ってからたっぷりの水で茹でていたが、ぜんざいはわりと雑に洗う。

2回ほどシャカシャカするだけ

最初の1回はすぐに茹でこぼすので、水の量はたっぷりというほどではない。

水の量も鍋の種類も思いつき

この鍋は米を炊く鍋で、かなり分厚くて重い。
鍋によって小豆の煮える時間は違う。
圧力鍋で圧力をかけて煮れば本日中に召し上がれるだろう。
あんこは「あんこ専用の鍋」を使っていたが、ぜんざいはどの鍋を使うかも思いつきでやっている。

圧力鍋ではない

重いだけの鍋であるこの炊飯鍋は圧力はかけないので、本日中には召し上がれない。

沸騰さえすれば次の工程

沸騰したらすぐに茹でこぼすのでアクも取らない。
粒あんの工程では弱火で5時間半煮てから煮汁を切ってアクを取る、手間とこだわりがスゴい。

ぜんざいは茹でこぼしたあとにまた水から煮る

水の量は適当で、足りないと思えばあとから好きなだけ水を足せばいい。
いくらでもあとでどうにか出来るのがぜんざいであり、こだわることは何もない。

砂糖と名が付けば何でもいい

粒あんは白ザラメと寒天を入れて3時間じっくり煮るが、ぜんざいは上白糖でもグラニュー糖でもザラメでも何でもいいのでとにかく砂糖と名の付くものを入れる。
このくらいの量の上白糖が残っていたが、これを全部入れても足りないだろうと私の経験値でわかる。
わかるほど頻繁にぜんざいを作っているからわかる、足らん。

底に残った白いドーナツ状の物体は砂糖ではなく珪藻土

珪藻土は砂糖が湿気で固まらないようにするための便利グッスだが、この容器の砂糖の量に対し1個では足らないようだ、砂糖がゴロゴロ固まってた。
しかしぜんざいはゴロゴロ固まった上白糖が入っても大丈夫。

足らない糖分をさらに足す

粒あんと比べるとぜんざいの砂糖の量は少ない。

甘さは個人のお好みで
茹でこぼしのあと1回目の沸騰後の汁の色はこのくらい
小豆は1粒もつぶれていないのでまだまだ沸騰回数が要る

夕食の合間やトイレに行くついでなど、思い出した時に「ぜんざいの鍋を沸騰させては火を止めしばらく置く」を繰り返す。
3回ほど繰り返すとそのうち家族が「沸騰させるんこれ?何回くらいすんの?」と言って勝手に沸騰させるようになるので、自分の労力を使わなくても知らない間に煮えてくる。
何回という回数の決まりはとくにない、小豆がちぎれるまで煮る。

粒あんは仕上げに水あめを使っているが、ぜんざいの仕上げは塩。

出汁がきくような塩がオススメ

ぜんざいの食品サンプルではよく「塩こぶ」が箸休めとして添えられているが、家庭レベルのぜんざいではそんなこじゃれた提供の仕方をせずに、あらかじめ「塩こぶ」的な旨味を鍋に投入しておく。
砂糖の後に入れればタイミングはいつでもいい。
入れ忘れていれば椀によそったあとで塩をパラパラ振りかけてもいい。
なんなら思い出さなかったら入れなくてもいい。
「塩を入れたら甘さがしまるなァ」と感じたひとだけが好んで入れたらいいのだ。
隠し味にしては隠す気がないくらいの量を私は投入しているが、これも個人のお好みで。

ちぎれるほど小豆を煮ればぜんざいの出来上がり

粒あんは13時間煮続けそれから一晩ねかせて完成であるが、ぜんざいの完成は見た目で判断する。

よし、ちぎれた。

汁の色が濃くなり、崩れた小豆が確認できれば完成である。

出来心でサボりながら作るのなら翌日に出来上がるし、沸騰の鬼のように火加減を調節して付きっきりで作れば6時間後には出来上がるだろう。
見た目が完成していれば一晩ねかせなくても食べたらいいし、ねかせたいならお好みで。

こだわりは微塵も無いそれが「ぜんざい」

ぜんざいは、何にもこだわらない。
分量も材料も何も吟味しなくてもぜんざいは出来上がる。
食べた時にぜんざいを甘く無いと思えば、鍋を沸騰させて砂糖を足しゃぁいいのだ。

偏食の同士たちよ、食の好みを表に出すと「ワガママだ」と顰蹙を買うことになるからこれまではとにかく黙っていたことと思う。
必死で隠してきただろうがもう言ってもいい時代が来ている。
苦手という理由で食べずにいたらいつまでもいつまでも給食の時間が長引いていた時代は終わった。
自分の偏食について、現段階で判明している事実はすべて言いたまえ。

ぜんざいは、粒あんではない。
作る工程がこんなにも違う。
「ぜんざいとあんこ、何が違うん?一緒やん」
と言われるから偏食を隠していた同士よ、こう言いたまえ。

「ぜんざい」になるまでと「あんこ」になるまで、まるで違いますけど。

説明が必要ならこの記事をじっくり読んでもろて。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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千徒馬丁
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