卒業式が潰れて良かった
曰く付きの92年生まれであるわたしは、震災のおかげで高校の卒業式が潰れたことに、密かに胸を撫で下ろしていた。まわりのみんなは卒業式の中止を嘆き悲しんでいたけれど、わたしだけは心底ほっとしていたのだ。こんなこと、もちろん友人たちには言えなかったけれど。
学校が嫌いだったわけじゃない、むしろ楽しんで通っていた。今でも続く親しい友人もできたし、だいすきな先生だっていたし、なにより荒んだ家庭からの逃げ場であった「学校」は、そのころのわたしにとって間違いなく防空壕であった。それなのになぜ、と思うかもしれない。
中高一貫校の母校はたしかに比較的心穏やかに楽しく過ごしたけれど、一方で嫌なことがなかったわけじゃない。あからさまないじめに遭ったりはしなかったけれど、なにせ思春期だし、ちいさな諍いや小競り合いもそれなりにあった。
どろどろした思い出も、傷ついた記憶も、卒業だからといって「なんだかんだ楽しかったよね」とかんたんになかったことにしてしまうあの空気が、とてつもなく薄気味悪かったのだ。嫌いなあの子や意地悪をしてきたあいつと、「卒業」というだけで肩を組んで仲良しこよしで写真を撮って泣きながら別れを惜しむ、なんてのは死んでもごめんだった。
そういう思い出を美化する強制力が、「卒業」というものにはたしかにある。わたしの傷はわたしだけのものなのに、勝手にお綺麗なものに改竄されてしまうことに激しい抵抗を覚えたのだ。
だから、卒業式が潰れたことに心から安堵した。あの日電車が止まって家に帰ることができなくなり、学校の食堂でみんなで一晩中車が津波に飲み込まれていく映像なんかを呆然と眺めていた。そのあと原子力発電所が吹き飛ぶ映像にも、胃の底が冷える感覚を味わった。
だけど、それでも、卒業式中止の知らせを受けて真っ先に浮かんだのは、「よかった」と安心する気持ちだったのだ。そしてすぐにその感情に自己嫌悪を覚えたりもした。とてつもなく不謹慎で、およそふさわしくない感想であると自覚はしていた。
なかったことになんてできない。わたしはそんなに器用じゃない。楽しかったことは楽しかったことであると同時に、悲しかったことは悲しかったことだ。それに目を瞑って大団円になんて、したくなかったし、できなかったのだ。目を閉じて耳を塞いで、「ぜんぶいい思い出です」なんて、そんなことは言えない。
卒業式で発生する同調圧力で泣くことを期待されるのは、ただただ鬱陶しいだけだ。そこから解放されたこと、その日が来るのを憂鬱な気持ちで待たなくても良くなったことを、ひっそりと喜んでいた。今も、潰れてくれて良かったなという気持ちは変わっていない。
もちろん、いうまでもないけれど「震災があってよかった」などとはつゆほども思っていない。怖ろしい出来事だったし、二度と繰り返されて欲しくはない。激しい揺れに生命の危機を感じたし、津波の映像は見ているだけで心臓が潰れそうだった。あれから10年が経とうというのに、今でも思い出すだけで胸が軋む。
けれども、個人的な出来事に対する感情はどうしたってそれと大きく矛盾する。卒業式の中止で、皮肉にもわたしはわたしの気持ちを守り抜くことに成功してしまったのだ。そのことに対して、わたしはたぶん一生、罪悪感と羞恥心と、安堵を抱えて生きていくのだろう。
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