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「たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える」

先日書いたとおり、この本が気になったので早速読んでみた。全体的に読みやすく、寝る前にちょっと読もうと思ったら、結局3時間ほどで一気に読み終えてしまった。

本の内容に入る前に、なぜこのタイトルが気になったのかを説明したい。私は自分の人生に対してはかなり楽観的ではあるが、世の中全般についてはかなり悲観的な考え方をもっている。このような考え方だからこそ、子どもを持つことに躊躇とまでは言わないが、心のどこかで引っかかっていた。

将来、子どもに”この世に生まれてきたくなかった”と言われたら、親としてどう答えてやればいいのだろうかと思うことがある。実を言うと私自身も幼い頃に似たような考えを持ったことがあり、今でもそのときの自分にどうアドバスすればよかったかはっきりとした答えを持っていない。

だからこそ悲壮感と決意が入り混じるこの表現が気になったのだと思う。私は寡聞にしてこの言葉を知らなかったが、調べてみるともともとはマルティン・ルターの言葉だったようだ。ただし、それをはっきり示す文献はないとのコメントもネットにあった。

(原文)
Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.

さて、この本の内容についてはあまりネタばれはしたくないので、自分の感想も織り交ぜて簡単に紹介したいと思う。シングルファザーに育てられた主人公は10代半ばに親から離れ大変厳しい生活を強いられていた。物語は主人公が25歳の時から始まり、ある幼い少女と出会い、さまざまな偶然や周りの思惑が重なり自分の出所が次第にわかってくるというお話。

普段は重い物語を読まない私だが、一気に読めたのは恐らく、悲しいできことが多い中でも、暖かい人の思いやりが散りばめられているからだと思う。一見悪い人のように見えても、物語が進むとその人はその人の事情があり、思いがある。悪い人がいるわけでもないのに、ただそこに不幸が存在するのはなんとも辛いが、このタイトルをつけただけあってその環境の中でも救いはあるように思えるのはなんとも不思議に感じるお話だった。

物語を読み終わると、人は過去でもなく、未来でもなく、今を生きることが大事なんだと感じる。このお話は自分のもやもやを完全に晴らしてくれるわけではないが、少しすっとしたのもまた不思議である。

秋の夜長には少し遅い気もするが、ご興味を持っていただけたら読んでみてください。


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