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日々のできごと 3月

いつのまにか恒例になっていた、日記シリーズです。


3月某日

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竹やぶで迷子になった。

せっかく迷ったので、竹林の音を聞いていた。
つよい風で、いくつもの葉たちがさわさわゆらぐ、さざ波みたいな音。ときどき幹と幹が当たる、カン、という高い音が響く。ししおどしのような。
さわぐ風と葉の音にまざる、その高く澄んだ、乾いた音がきれいだった。他の木ではなかなか起きない、幹どうしの重なる音。
竹は大きくゆれる。
ゆれるから、ぶつかる。あるいは、
ゆれるから、ふれられる。両方。



3月某日

通常なら1年かけて進めるような仕事を、2月3月でおこなうことになって、ずっと笑っている。(笑うしかないので)
にこにこして乗り切っている。心を風船のようにふわふわ遠くに飛ばして。
イメージはこれ→ (^O^)/
こころよ では いつておいで
しかし また もどつておいでね(©︎八木重吉)


3月某日

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起きているところから、眠りへの傾斜がとてもゆるい。昔から入眠時幻聴がわりとある。本を読んでいてすこしぼうっとしてきたときなど、視界はちゃんと文字を見ているのに、ふと声が聞こえたりする。うとうとさんの声、と呼んでいる。(私のなかで)

この日聞こえた声。
「正確に剣山で刺したうえでしかるべきときにカンガルーにバトンタッチ」
長年の付きあいなので、関わりかたはよくわかっている。聞き流すこと。意味を追ったり解釈しようとしてはいけない。

ふしぎだな、と思うのは、夢のほうが秩序立った言葉だということ。夢のほうが現実に近いまともな言葉を話す。夢にすべりこむあいまの、夢とうつつの波打ちぎわにいるときの言葉のほうがカオス。昔聞こえたのは「うさぎの23倍のくくり」。
メッセージ性をそこに思わないこと。考えだすと、狂うので。ただすっごくかわいいな、とは思っている。
23倍になるうさぎ。バトンタッチされるカンガルー。
メッセージ性のないイメージというプレゼント。
(どこからの?)
(そして私はそこに、なにを返していけるだろうか)


3月某日

いろんなことがじょうずにできない。


3月某日

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最近noteで知り合い、ことばをすこし交わした人が、たくさん私の記事を読んでくれた。お礼をしにいこうとしたら、アカウントが消えていた。
「少し苦しかった」という小さな声を聞かせてくれたあと、丁寧に描かれた箒星の絵、美しい詩。とてもよかった、という気持ちをあのときコメントで伝えたけれど、でも、まだ言えたこときっとあった。
渡してくれたものを心に刻んでいます。
そして、ことばを交わせる時間は星がまたたくほどに短いからこそ、いまこうして出会えているひとりひとりの人を大事にして、必要なことばは惜しまず伝えていこうと思いました。
noteをはじめて5ヶ月。目標にしていた半年まであとひと月。人も状況も変わってゆきます。だからこそ、いまここにあるものを慈しんで、ほんのひとときの光のゆらぎを見つめて、そのうつろいも含めて大切に楽しんでいきたいなと思っています。



ー 今月のありがとうの気持ち ー

☆記事紹介ありがとうございました
VWHNBO33さんさちとピースさん

☆マガジン追加ありがとうございました
さちとピースさん森てくさん🍀アートとメルヘンと創作の森🎨🍎さんadamyさん

☆記事のオススメありがとうございました
A-VOCEさん

☆ラジオでの紹介ありがとうございました
「ぎっくりしゃっくり昼下がり」ギク川霊さん&ギク池燗さん

☆文章書き写しありがとうございました(太感谢你了!)
パプリカ人さん

☆読んでくださるみなさま、ほんとうにありがとうございます。深く支えてもらっていること、とても感謝しています。心より愛をこめて。


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