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ビールストリートの恋人たち(映画感想)_人種差別問題を美しい映像と音楽で表現

原作は1974年に作家ジェイムズ・ボールドウィンが発表したもの。
『ムーンライト』でアカデミー賞作品賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督の2018年 作品。若い黒人カップルによる男女の愛と人種差別問題を取り扱っている。映画の原題は「If Beale Street Could Talk」
以下、感想などを。

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愛し合う若いカップルと人種差別問題

1970年代のニューヨーク、ハーレム。デパートの店員として働く19歳のティッシュと彫刻家を目指す22歳のファニーは幼馴染み。いつしか二人は自然に愛を深めていった。しかし、ファニーはティッシュへ言い寄ってきた男との諍いで、差別的な白人警官に目をつけられてしまう。
やがて、白人警官によって身に覚えの無い罪を着せられたファニーは刑務所へと収監されてしまうが、そのとき既にティッシュは二人の子供を妊娠していた。

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状況的に冤罪であることは明白だったので当初は楽観的な二人だったが、ファニーを犯人だと証言した被害者は行方不明で、他にアリバイを明らかにできる人もいない。さらに裁判官や検察、弁護士も全て白人のため事情を汲んでくれる状況でもないし、調査をするとなると自費で賄わなければならない。
ティッシュは何度もファニーの面会へ通い続けるのだが、日ごとにファニーの様子は疲弊していく。そしてティッシュのお腹は日に日に大きくなり徐々に二人に焦りが募りはじめる。それでも二人はガラス越しに受話器でお互いの愛を確かめ合うのだが、目の前に愛する人がいるのにも関わらず触れることすらできないもどかしさが見ていて痛々しい。

また、アメリカ社会で黒人の置かれた状況の苛烈さの説明されるシーンが何度か挟み込まれる。子供たちにとって死は身近なものであり、黒人に適当な罪を着せて刑務所へ収監させることなど白人警官にとっては思いのままだ。さらに刑務所内は地獄のようであるとダニエル(ファニーの親友)によって語られる。具体的な説明は無いが、ダニーは既に出所しているにも関わらず未だに恐怖を感じると深刻な表情で語る。

レトロファッションによる美しい映像と、静かで物哀しい音楽

人種差別を扱った映画なので息苦しいシーンが多いのだが、70年代ファッションがとても画面に映えるので、全体的な雰囲気が暗くなり過ぎずないようにしてくれる。

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冒頭のシーンではファニーとティッシュの着ている服装がクリーム色と明るいブルーの同系色でまとめられていたり、ティッシュとファニーの両家族が揃うシーンがあるのだが、いちいち着ている服がオシャレで色合いも美しい。
また、二人がレストランから出て、日の落ちた雨の中ファニーが真っ赤な傘をさして二人で一つの傘に入りながら歩くシーンなどはソール・ライターの写真を思い起こさせる。

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ファニーとティッシュが共に時間を過ごすシーンは、言葉少なく静かに過ごすシーンが多い。そういう時にバックでかかっているニコラス・ブリテルによる音楽は、ストリングスの情感豊かで物哀しいジャズっぽい音楽で、優しく上質な時間にしてくれて鑑賞者に安らぎを与えてくれる。

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二人の幸せは、誰かに受け入れてもらうことで存在を認められるということ

部屋を紹介してくれるユダヤ系の男が言っていた「愛し合う人間が好きなんだ。黒・白・緑・紫、どれも関係ない」というセリフ。あっさり言っているように聞こえるがこの男の静かな覚悟が感じられる。
黒人に部屋を貸したりしたら、なんらかトラブルに巻き込まれるかもしれないし、ましてやファニーは彫刻家なんてまともな収入が見込めない職業なので家賃の滞納もあり得る。
つまり、それなりの覚悟が無いと言えないセリフであり、周囲の意見に流されずに、自分の頭で考えてそういうトラブルもひっくるめて受け入れるということなのでセリフの持つ意味は重い。だからこそ、この後二人は道で抱き合ってはしゃぐほど嬉しかったのだろう。

無事に子供は生まれるも、問題は解決されていない

ファニーの事件に限らず逮捕された膨大な数の黒人たちの裁判が全て実施されることはない。事案が多すぎて捌き切れ無いから罪を認めた方が早いのだ。また、被害者へ証言を取り消すようにシャロンがプエルトリコまでわざわざ訪れるも、証言を覆すことが出来ず無実を証明する有力な証言者も不在だ。このような状況のなか、ファニーは裁判を諦めて減刑を求めることになる。

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数年後、ティッシュは幼い息子を連れてファニーとの面会へ訪れる。3人の家族がテーブルを囲んでお互いの手を取りながら祈りを捧げる様子はひとときの幸せを感じさせてくれる。しかし父親の帰りを想像して絵を描く息子に対してファニーの表情は暗い。恐らくファニーが刑期を終えるのは当分先になる。もしくはその時期すら分からないということなのだろう。
ファニーは冤罪で収監されて、償う罪も無いのに刑務所から出ることも出来ないという理不尽さが残る。その間ティッシュはほぼ父親不在の状態で我が子を育てなくてはならない。

物語の終わり方は、ファニーの冤罪も人種差別問題を解決させないわけなので、鑑賞者が映画を観終えてスッキリした気持ちにさせてくれることは無い。つまり原作が1974年の作品でありながら、映画の公開した2018年の時点で人種差別問題はまったく消えていないことを強調して訴えかけてくる。

現実に、2020年5月に米国ミネソタ州で白人警官が黒人男性を拘束死させた事件をきっかけに全米各地で抗議デモが発生した。アメリカはコロナウイルスの感染者が世界で一番多くなってしまったので人々に余裕が無いということもあるのだろうが、人種問題がくすぶっていたからこその暴動だろう。

時代を経ても問題は解決せずに、むしろ悪化している

違う映像の話へ変わるが「13TH | FULL FEATURE | Netflix」というドキュメンタリー映像がある(YouTubeで無料閲覧可)
年代ごとのアメリカの受刑者数の遷移が表示されるのだが、その数は1970年に35万人であったのに対して2014年には230万人とむしろ増えている。

1970年 357,292人
1980年 513,900人
1985年 759,100人
1990年 1,179,200人
2000年 2,015,300人
2014年 2,306,200人

その他に示される数字として、アメリカの人口は世界人口の5%だが、受刑者の数は25%もおり世界一収監率が高い。さらに、白人が生涯投獄される確率は1/17だが黒人の場合は1/3の確率となる。

何が起きているかというと、かつて奴隷制は廃止されたが「放浪」「徘徊」などの微罪で黒人を逮捕し、囚人労働を使って道路建設などのインフラ整備を行わせていたというのだ。そうしてその過程で、映画などの映像手段によって黒人には「犯罪者」「危険」「暴力的」などのレッテルが貼られていく。
80年代には麻薬戦争という名目で黒人を収監したり、クリントン大統領時代の1994年には連邦犯罪法案が制定されると、刑務所制度の肥大化が起きて刑務所の予算も増大。警察の重武装化もされる。
刑務所の運営は民間企業に託されることになり、刑務所にとっては収容人数の多い方が運営企業が儲かるという歪な仕組みが出来上がる。しかも、その運営企業が共和党を通じて自社にとって有益な法案を提出するという始末なので無茶苦茶だ。

クリントン元大統領も当時の連邦犯罪法案が誤りだったと認めているが、230万人以上もの人間を刑務所へ収監している以上、今後のことを考えるとコトは決して簡単ではない。『ビールストリートの恋人たち』は映画なので美しい作品としてパッケージする必要があるため、すくい取っている問題は表面的な部分でしかない。しかし現実には今も、さらに悲惨なことが続いているということなのだ。

ビールストリートの恋人たち_チラシ

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