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アステロイド・シティ(感想)_大らかで胡散臭いけど、幸せな気持ちになれる映画

『アステロイド・シティ』は2023年9月日本公開の映画で、監督はウェス・アンダーソン。
宇宙人、親しい人の死、生きる意味など、夢と希望と悲しみが計算された数々の笑いとごちゃまぜになっている混沌とした映画だった。
以下、ネタバレを含む感想などを。

遊び心満載な小ネタたち

1955年、アメリカ南西部にある人口87人という砂漠の町アステロイド・シティの建物は食堂、ガソリンスタンド、モーテルくらいしかない。だけれどもここは紀元前に隕石が落下したとされ、その時に出来たクレーターが観光名所になっている。

そんな町でジュニア宇宙科学賞の授賞式が行われるということで、5人の天才少年少女とその家族がやってくる。
戦場カメラマンのオーギーは、14歳の天才少年ウッドロウとまだ幼い3人の娘を連れてくるのだが、オーギーは妻が3週間前に亡くなったことを子供たちへ伝えられないでいた。
真実を伝えると娘から「孤児になるの?」と問われて否定しているが、子供たちを預けようとしていたのだから状況的には当たらずとも遠からずで、深い悲しみに囚われたオーギーは子供たちを義父へ預けるつもりだった。
しかし車が故障してしまったので義父に連絡して迎えに来てもらうことになる。
その他にも映画スター、ミッジ・キャンベルや10人の生徒を引率する先生、それにカウボーイなども登場する群像劇になっている。

というこれらの設定は脚本家コンラッド・アープによって創作された「アステロイド・シティ」という架空の劇だったというメタ構造になっている。
つまり、ジェイソン・シュワルツマン演じるジョーンズ・ホールという俳優が、劇中劇でオーギー・スティーンベックという戦場カメラマンの役を演じていることになっていて、アステロイド・シティにいるのは全て役者たちという初見で理解するにやや複雑な構造になっている。

メタ構造だけでもややこしいのに、交通量が少ないのにつくりかけの立体交差道路や、突如カーチェイスが通り過ぎて行ったりと遊び心満載な小ネタもあってやたらと情報量が多い。

ウェス・アンダーソン監督の過去作品では、主に家族愛やそのあり方がテーマになることが多かった。
『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』では、身勝手だけど憎めない父が強烈で、『ライフ・アクアティック』では疑似家族の絆が語られ、『ムーライズ・キングダム』では、両親を亡くした子供の救済であったりが語られてきた。

本作でもオーギーの妻が亡くなっているため、残された家族の心情を掘り下げてはいるものの、収拾のつかないほど混沌とした状況は全般的にコメディの印象が強い。

様々な意味を問う役者たち

楕円軌道の観察のため人々が集ったタイミングでやってくる異星人の来訪がターニングポイントとなり、役者たちは異星人存在の意味やら、なんなら自分たちの生きる意味まで問い続けることになる。

ほとんど笑わずにピントのズレた発言をするミッジ・キャンベルの演技は笑えるのだが、読む台本の内容は不穏で「悲劇のアル中が好き」と言っていたり、自身のことなのかそれとも役柄のことなのか境界が曖昧になってくる。
また、体を張って無理難題に挑み続ける少年リッキーは優れた知能を持っているのに「誰にも気づかれないかも」という恐怖におびえていて切ない。

やがて脚本家コンラッド・アープは役者たちを集めて「つくりたいのは全ての登場人物が深く夢幻的な眠りに導かれるシーン」で、筆が進まないから役者たちに即興でやるよう委ねてくる。
大統領令によってロックダウンが敷かれるも情報は漏れ、2度目の宇宙人の来訪によってギブソン将軍がロックダウンの延期を告げると、異常なテンションになっていた役者たちは爆発する。

月に投影するシンボルについて5人の天才少年少女で議論しているシーンがあった。そんな宇宙にむけて発信するメッセージを、愛国心を示すアメリカ国旗などではなく、一目惚れの恋を成就させたウッドロウとダイナのイニシャルにしたというのがひたすら美しい。

眠らずに 目覚めはない とは

第3幕の終盤、役者たちに紛れて宇宙人までも一緒に唱和する「眠らずに 目覚めはない」というセリフが印象的だが、少し難解で言葉の意味をどうにも理解しづらい。
以下は私なりの「眠らずに 目覚めはない」の解釈。

第2幕と第3幕の幕間、劇作家の特別セミナーで講師役の人物は役者たちへ眠って夢を見るよう促していた。
眠ってる間に見る夢が虚構だとしたら、異星人が登場するような劇中劇はもちろん虚構だし、なんなら映画そのものも虚構だ。

「眠らずに 目覚めはない」と唱和するシーンの直前、ジョーンズ・ホールは演出家に、演じているオーギーの傷心を自分のことのようだと語っており、ジョーンズ・ホールは脚本家と同性愛の関係にあったりするから「生きる意味について」本人の苦悩と重なる部分があったのかもしれない。

その後、外階段での妻役の女性との会話で、妻の写真を撮るまでの経緯をセリフと共に確かめ合うのだが、二人のシーンには名残惜しくなるような切なさがある。(この物理的には近くにいるのに触れ合えるほどではない距離感での会話も美しいシーンのひとつ)

「眠らずに 目覚めはない」の言葉の意味を強引にまとめるとこうなる。
妻を喪ったオーギーの苦悩は時間が経過してもほぼ癒えない。しかし息子や娘もまだ幼いから苦悩から逃げ出したくても、生き続けるしかない。
だけれどもそういった苦悩が映画や舞台など、つまり虚構によって慰められることもある、ということを伝えたかったのではと考えた。
さらに本作の配役は過去に実在した俳優は脚本家をなぞらえているらしいから、そういう歴史を積み上げてきた偉人たちへのリスペクトも含むのだと考えれる。

解釈が間違っているかもしれないし、テーマは難解だけれどもなんとなくニュアンスは伝わってくるのと、美しい映像といくつかのコミカルな要素のおかげで、観終えた後に幸せを感じられる映画だったのは確か。
また、宇宙人の存在や発明品などが大らかで胡散臭い感くて、どこか昔を懐かしむようなところもある。


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