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トモちゃんはすごいブス(感想)_殻に閉じこもって、孤独にならないこと

『トモちゃんはすごいブス』は漫画アクションで2010~2013年に連載されていた漫画で、作者は森下裕美。
主要人物たちの様々なエピソードが小出しにされるから誰がいつ何を言っていたのかを整理しづらいけど、コミュ障の引き籠もりが泥臭く自立していく様子からは前向きな気持ちを貰える。
以下はネタバレを含む感想などを。

天涯孤独になったコミュ障女の成長

大阪で父と二人で暮らしていた20歳のチコは父の急死によって天涯孤独に。しかも人付き合いが苦手で中学1年生の頃から家に引き籠もっていたから頼れる友達も不在で、手持ちの現金は香典の残りの5万円のみという状態だったから生きる気力を失ってしまう。

ところが寝て起きたらトモちゃんと名乗るオバケのような見た目の女が、ご飯と味噌汁、ウィンナーと目玉焼き、漬物、という真っ当な朝食をつくってくれていた。亡くなった父に頼まれて友達になりに来たと言うが、チコの意見を無視してなし崩し的に同居をはじめるようになる。

チコは7年引き籠もっていただけあって一般的に常識とされている知識が無く基礎体力も低い。
特にやりたいことも無くて周囲に流されがちな性格だから生きる気力を失っていたが、だからといってすぐに死にたいというわけでも無い。

そんなチコが様々な人たちと交流する過程で精神的に成長していく物語となり、引きこもりや性風俗の是非、ネグレクトなどの重めなテーマを扱いながらもユルい絵柄のおかげで読みやすくなっている。
SNSが普及したことで多数の人と浅い関係を築けるようになった反面、他人と深く関わる機会が減った結果、若者ですら孤独に陥りがちな今どきの社会問題とリンクするところがあって共感できる場面がいくつかある。

親しい人が傷つくのを見守ること

ひとりでは何も出来なかったチコが成長出来たのはトモちゃんに支えられていたことが大きく、その過程に考えさせられるところがいくつもある。

引き籠もりだったチコを自分で稼いで生きていく力をつけるため、ともちゃんはバイトを探してくれて、さらに一緒に働いてまでしてくれる。
しかし社会経験の少ないチコに出来る仕事は限られているから、ビル清掃やエロビデオ屋で露出の多い格好をさせられたり、デリバリーの性感マッサージなど、大多数の人が嫌がる仕事にしか就けない。

それでもチコは自らの意志で性感マッサージの仕事をやるようになるが、それは家に引き籠もって、社会からの疎外感を感じるよりはマシだと考えたからだろう。

トモちゃんはチコに性風俗をやらせたくなかったが、ミミに連れられて本番行為を見せられて、チコは精神的にダメージを受ける。

しかしチコの受けたダメージは性風俗そのものに対してではなく、性風俗であっても、自分が満足に仕事をこなせなかったことに対してだった。
むしろ「トモちゃんが見ててくれてると思ったら… 大丈夫!!できる気がする」と精神的な強さによる成長を感じさせるようにまでなる。

生きる気力を失い消極的な死を望んでまでいたチコが、前向きになれたのは勿論トモちゃんの支えがあったからこそ。
人間は誰かの役に立っている実感が無いと生きる気力を失いがちだし、頼れる人が不在で孤独だと思考がマイナスになりがちだ。
朝ご飯をつくって一緒に食卓を囲んでくれる疑似家族のようなトモちゃんがチコにとってかけがえのない人になったからこそ、自分で金を稼ぎたいと望むようにまで成長した。

お金を稼ぐ手段が性風俗であってもよいのか?という疑問は残るが、学歴や経験の無いチコにはそもそも選択肢が少ない。
トモちゃんのように性風俗を頭ごなしに否定するのは簡単だが、代替え案が無なければ、チコが社会的に自立するための通過儀礼として必要な痛みとも考えられる。

だから悩んでいるトモちゃんに対して陽介が「見守るキミもいっしょに傷を背負うんやで」と言っていたように、トモちゃんに出来ることは寄り添ってあげることしか出来ないのだが、そういう人が居てくれるだけでも心強いとも思えるのだ。

明確な答えの出ない問題に対して、問題提起しておきながら曖昧なままにしておくのをどうかと思う人もいるかもしれないが、私は難しい問題を敢えて単純化しない方が議論の余地も残るから、この考え方に共感出来る。

また大切な人だからこそ、ただ甘やかすのではなく適度に突き放して自立を促し、自尊心を持つことについては陽介とトモちゃんのやり取りでも深堀りされる。

幸せの尺度は自分で決めるということ

見た目は整っているけど緊縛趣味のある陽介、オバケのような見た目だけど美しい心を持つトモチャン。共通点の少なそうな二人だが、外見よりも内面を大切にするという、パートナーへ求める価値観は似ているように思われる。

陽介は年収、家柄、学歴などを他人と比較されることであったり、自分をカテゴライズして個人として接してくれないともちゃんへ不満を言っていた。
さらに『レディ・ジェーン・グレイの処刑』の複製を見せて、他人と比較して幸福を実感することよりも、運命を受け入れて自尊心を持って処刑された17歳の女王の死に際を美しいと語る。

さらに陽介は緊縛趣味を持つ要因として、借金の肩代わりに結婚することになった従姉妹の沙月を救えなかったトラウマを告白するが、「助けられなかった」と悔やむ陽介の考えをトモちゃんは否定する。


自分の全てをかけてお父様や係わってるヒト達の生活を守ったのよ
そして絶望なんかしてない
生きて幸せになろうとしたのよ

年の差婚だったから好きな相手との結婚では無かったのかもしれないが、おかげで家族を守れたというプラス面を強調している。
トモちゃんなりの都合の良い解釈のようにも受け取れるが、伝えたかったのは「幸せの価値を他人が決めるな」ということなのではないだろうか。

同様に病気によって不自由な生活を強いられていたジュンユも「ボクはかわいそうでも不幸でもない」と言っていたが、これも他人の価値観で自分の幸せを決められたくないという思いから溢れた言葉だと思うのだ。

陽介とトモちゃんは他人の価値観に振り回されず、自身の価値観を大事にするというところでは一致していたから納得のいく結論に辿り着いたが、最初から結論ありきではなく、互いが言葉のやり取りをしながら導き出している過程そのものに共感する。
複雑なことを単純化せず、会話を重ねることで落とし所を見つけるというのが素敵だと思う。


本作には上記した4人以外にも、ネグレクトを受けていた甲賀兄弟やミミちゃんなど他者との距離感が狂っている登場人物が多く、彼らには親との関係がうまくないことに共通点がある。
両親が健在な車谷にしたって、浪人生だからと雑居ビルの一室を与えて放任する親がまともとは思えない。

大人であれば親との関係が悪くとも、会社や友人または恋人など他に逃げ場をつくれるだろうが、たいての子供にとっては親以外に頼れる存在はいない。
だからネグレクトを受けた子供は他者との距離感もおかしいままで、成長してもたくさん傷つくし他人を傷つけてしまう。
それでも誰かを求めてしまうのは人間の本能なのだと思う。

だから、それぞれがあるべきところへ収まったハッピーエンドにしたのは、どんなに辛い思いをしたとしても殻に閉じこもって孤立しなよう、人との関わりを諦めるなというメッセージなのだと思う。
なにより本当の家族ではないのに、本当の家族よりも親身に接してくれたトモちゃんの優しさが美しいと思うのだ。

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