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どうして、そんなに黒い髪が好きなの?(感想)_美人過ぎても、またはブサイク過ぎても生き辛いこと

『どうして、そんなに黒い髪が好きなの?』は2014年10月にファイヤワークスから発売されたビジュアルノベルで、シナリオ担当は籐太。
黒髪好きというネタ感満載なタイトルからは想像しづらいほどシナリオはまともで、まぁまぁ楽しめた。
以下、ネタバレを含む感想などを。

かつてはおかめ顔が美人とされた

黒髪への拘りについては主人公の神前春人による嗜好によるものでしかなくシナリオそのものに大きな影響を与えているものではなく、むしろ日本神話に登場する姉妹、コノハナノサクヤヒメとイワナガヒメをモチーフにした物語というイメージが強い。
構成は「1st Season:現代」→ 「3rd Season:平行世界」→ 「2nd Season:1stの続き」という流れの一本道で進行し、徐々に種明かしされていく展開が良かった。

そして本作がユニークなのは美人の価値観が昔と現代では異なることへ着目したところ。

平安時代くらいまではおかめ顔が美人だったと言われているが、つまり「目は糸のように細く、下ぶくれで、団子鼻、胸は平たいほどよく、小太り」が美人の条件だった時代に、醜女であることを理由に結婚の約束をしたニニギノミコトから突き返されたことに傷ついた岩長ノ銀杏媛は、雪山に結界を張って2000年間こもることになる。

そんな雪山へ神憑り(本作では善悪両方の神から好まれやすいという意味)であった春人がやってきて、遭難していたところを銀杏が助けたことをきっかけに、二人が結ばれるまでのラブコメとなっている。

上記した美人の価値観は現代では逆転しているため、2000年以上姿を変えずに生きながらえた銀杏は、むしろ現代ではスタイル抜群の美人ということになっている。
しかし俗世から離れていた銀杏本人にそのような認識はなく、自身が醜女だという認識のままだから春人から「美人だ」と言われて求婚されるもその言葉を素直に受け取れない。

それでも勇気を出して山を降りて春人へ会いに行くのは、死の間際に春人の口走った「恋も知らずに、死にたくない」という言葉が、醜女であるが故に恋の出来なかった銀杏自身にも突き刺さったから。
神様なのにまるで恋する乙女のような思考なのは、生まれてから1000年さらには雪山に籠もって2000年と、合計3000年も処女膜を守り続けたせいで感覚がおかしくなっていると思われ、しかしそれすらも愛嬌に思える。

相手の中身を好きになること

山から降りてきて春人と共に暮らしはじめた銀杏は、自分が醜女だと思いこんでいるから、春人の存在は『醜い自分を美人だと言ってくれる貴重な男性』となる。

だけれども、2000年もの時を経て価値観が刷新された現代においての銀杏のルックスは美人となる。
しかも醜女を理由に人々から虐げられてきたわりには性格が捻くれておらず、自身の幸せよりも他人の幸せを思いやれるその性格は好ましくさえ映る。

そうすると、いずれ銀杏に交友関係が増えたら春人以外の男からもアプローチされることになるだろうから、冷静に考えたら相手は春人でなくてもいいはずなのだ。

また、容姿をしつこく褒める春人に対して「誠の意味で”好き”と認めてよいかは疑問」と言わせるのは、見た目だけで判断されることに、ブスなりの意地として許せないところらしい。

だからこそ春人自身の言動や行動に説得力が無いと、プレイヤーからするとイマイチ共感しづらくなってしまうところだが、いろいろと考えさせられる場面のあるのが、本作のとても良いところだと思う。
むしろフェティッシュなタイトルにしたせいで地雷感が出ているため、私自身もタイトルと萌え絵から受ける第一印象からスルーしていたから、却って勿体無いのではと思うほどだった。

相手への好意をどう表現するのか

銀杏が春人から「美しい」と褒められても素直に受け入れられないのは、醜女であることにトラウマを抱えているからだ。
これについて咲耶は、傷付くのを恐れて気持ちにブレーキをかけてしまうからモテない人間は臆病になってますますモテなくなる(いわゆる恋愛格差)とまで指摘している。

つまり春人は銀杏に自信と勇気を与えることが必要だと気付いていたから、そのために外へ連れ出すなどしていた。
しかし咲耶は同時に、そうやって優しくあるだけでは手に入らない幸せのことを「尖りすぎていても、丸みがあり過ぎてもいけない」ともアドバイスをする。

だからこそ銀杏との関係を深める対価として、春人へ好意を持つ幼馴染のうららとの関係性も変化させることになるのだが、うららの存在理由が銀杏の引き立て役としての意味合いが強いため、複数のヒロインが存在する美少女ゲームならではの設定がうまく活かされていると思う。
なにしろたいていの美少女ゲームは「何かを手に入れる代わりに、失うもの」についての描写は薄く、気が付いたら自然消滅しているヒロインが多い。

「1st Season」の終盤、業魔と契約をし世界から消える覚悟で春人を救い、そうして会いにきたことが明かされるのも良かった。
世界から消えることを受け入れた銀杏の決断には、「どうせ転生したところでブスになるだけ」という諦めがあり、転生したところでまた人々からそのルックスを貶められるだけという畏れがあったのだろう。

だから消えることを望まない咲耶から転生を勧められるも「世界で一番好きな人に…どうしても、醜い姿を見られたくない」とまで言わせており、春人に嫌われるくらいなら消えたほうがマシと思うほど、春人への想いを募らせており切ない。

その気持を汲み取った春人が谷崎潤一郎『春琴抄』になぞらえて自ら眼球へ燭台を突き刺そうとする場面は、容姿だけで銀杏に好意を持っているわけではないことを証明する春人の気持ちが伝わってくる場面で、「誠の意味で”好き”と認めてよいかは疑問」と言っていた銀杏の言葉へのカウンターにもなっている。

美人だから人生楽勝でもない

「3rd Season」での咲耶と水葉の物語は、ヒロインの頭数合わせのようで内容は薄いものの、美人であるが故に周囲を不幸にする咲耶の悩みが深堀りされるのは興味深いものがあった。

咲耶はクラスに友人が不在でむしろイジメの対象になっていた。
春人はその原因をうららに相談するのだが、「誰が好きなのかをわざと曖昧にすることで、周囲の女子から不安と顰蹙を買う」ことを指摘していた。
つまり咲耶は美人過ぎて妬まれやすいから普通にしていては駄目で、むしろ謙って相手を安心させるくらいでないと顰蹙を買うのだろう。

だったら「春人が好き」なことを周知すれば良いのだが、それはそれで春人が逆恨みされることを気にして言えないというジレンマ。
傍目には、春人がサッカー部の村瀬よりも劣って見えるが故ではあるのだが、いずれにせよ誰よりも美人過ぎる故に周囲の共感を得られず、誰にも相談しづらい悩みではある。

また、「2nd Season」で咲耶がヴェールをこっそり被っていることを春人に見られて、醜い心の内を銀杏へ吐露する場面があったが、上記した美人ならではの苦しみが語られていたからこそ説得力がある。
そうした妹の言葉を聞いても冷静に対応し、むしろ自分が消えた後に春人を任せようとする銀杏の優しが益々際立ってくるのだから、妹の咲耶ですら銀杏の引き立て役でしかない。

それにしても美人/ブサイクいずれも目立つから生き辛く、平均的なルックスの方が波風が立たないというのがいかにも日本的だが、こういう陰湿さは多くの日本人の身に覚えがあることで、何とも言えない気持ちにさせられる。


全体的な印象も簡単に触れておく。
「1st Season」終了後は、2ndが飛ばされて強制的に「3rd Season」へと進行し、そこが銀杏が不在の別世界での出来事だとミスリードさせておいてからの「2nd Season」という展開で、ここで全てのからくりが徐々に明かされる仕組みも良く出来ていたと思う。

厨二病感の満載なエロシーンがやたらと多いためシナリオ進行に煩わしさを感じるのと、「2nd Season」で銀杏の存在が徐々に消えていく演出は『One』や『Kanon』以降、散々使い古されている設定だったから「また、これか」と思わされた。

しかし黒髪への強い拘りを感じさせるタイトルのせいで損をしていると思うほどまっとうなシナリオのゲームだったと思う。


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