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MUSICUS!(感想1)_貪欲に何でも利用するか、または自分さえ楽しめればよいのか

『MUSICUS!』は2019年12月にOVERDRIVEから発売されたビジュアルノベルで、シナリオには瀬戸口廉也が関わっている。
音楽の持ついくつかの”価値”や付随するコンテキストをテーマに、4つのルートそれぞれが異なるあり方を提示してくれるのは好印象。
以下、ネタバレを含む感想などを。

提示されるいくつかの音楽の価値

本作のヒロインは全部で4人。主人公の対馬馨が人生の分岐点で決断することで物語は各ヒロインのルートへと分かれていくのだが、これらの選択肢それぞれがいくつか提示される音楽の価値への布石となっている。

定時制へ通う馨が後輩の尾崎弥子の家へ招待され、弥子から売れない画家だった父親のエピソードを聞かされたうえで、周囲を犠牲にしても音楽に人生を賭けるか否かを選択したり、花井是清の遺作を発表するのに是清の知名度を利用するのか否かという選択を迫られたりするのだが、それぞれが馨の将来を決定付ける重要な選択肢となる。

バンド活動に人生を賭けるのは平凡な日常を望むのならギャンブルだが、一度きりの人生を後悔なく過ごすためには必要なチャレンジなのかもしれない。
また、故人の知名度することは音楽単体の価値とは本来関係の無いものだが、利用出来るものは死者の遺したものであっても成功のためにはそれくらいの貪欲さは必要かもしれない。

そういう立場によってはポジティブにも悲観的にもなる表裏一体の面が提示されるからこそ各選択肢の持つ意味は重い。
そうして各ルートごとにユーザーへ考える余地も残されているため、それぞれのルートごとに感想をまとめてみた。

コンテクストの重要性が語られる、花井三日月ルート

三日月とめぐるそれぞれの音楽に対する姿勢を聞いたうえで、「音楽や演奏を通して何かを伝えたい」を選択するルート。

世の中には数え切れないほど膨大な量の楽曲があるから、どんなに良い楽曲であってもよっぽどの運や知名度が無ければ埋もれてしまうのが常だ。
だから聴く側に音楽を届けるため、ミュージシャンは利用できるものは何でも利用することが試される。
「演奏している自分たちが楽しければ良い」が目的でないところがめぐるルートとの対比となっていて、自分たちが楽しいかどうかよりも多くの人へ”伝えること”、つまり売れることに重きを置くところに、純粋に演奏が楽しかった初期衝動との矛盾が起こり得る。

また、聴く側のことを考えると、純粋に音楽単体を楽しんでいる人は稀という前提に、音楽に付随する情報の価値について掘り下げられるルートでもある。

馨は是清の演奏に影響を受けるも、是清自身は音楽そのものよりも音楽に付随するストーリーの方が大事だと諦念を滲ませながら語っていた。

実際は音だけで全ての人間を魅了するような音楽は存在しない。魂をこめた演奏なんて言っても、実際にはそんなの誰にも聴きわけることはできない。みんな音じゃなくてストーリーに騙されるんだ。

そうは言っても、馨にとって是清の演奏で感動したことは心に残っているわけで、是清がその後自殺してしまうことも相俟って、馨は音楽の持つ意味について問い続けることになる。

このルートは、やがて馨が中心となって組んだバンドDr.Flowerが唯一メジャーデビューして売れるルートでもある。しかし他のルートもプレイすると分かるのだが馨には演奏技術や音楽理論の知識、それと地道に努力をする才能はあるが、売れる音楽をつくる天性の才能は無い。
だからDr.Flowerが売れたのは、天才プロデューサー澤村倫の起用とアニメでのタイアップというきっかけありきで、それは是清の言うとおりストーリーがあったからと言える。

是清の言っていたことを整理するため、4象限に分けてみた。
(ゲームのシナリオと混同しそうなため、以下ストーリーをコンテキストと言い換える)
是清の言い分を噛み砕くと、売れる音楽つまり流行に合わせかつキャッチーな音楽(4象限のC)をいくら発表したとしても、音楽にコンテキストが無いと多くの人には聴いてもらえないということになる。

ちなみに是清の遺作を利用してもDr.Flowerが売れなかったのは花鳥風月の全国的な知名度が低いことによるコンテキストの弱さが原因だろう。

そうして、天才ミュージシャンが演奏しても通行人が涙を流すことなど有り得ないとも語っていたことへの回答は、終盤に三日月が路上にてアカペラで歌う場面で出される。
その場にはひとり涙を流す老婆がいて、是清の言っていたことが否定されたかに思えたが、実際は三日月の顔の傷に老婆が自身の母に重ねたことが原因だったというオチだった。

だから結論としては、ミュージシャンは聴く人の感情を増幅させることはできるが、感情をコントロールすることまで出来ないと言いたいのだろう。せいぜいが聴く側の精神状態や人生経験に作用して何らか感情揺さぶるくらいが音楽の限界と言いたいのだと受け取れる。

またこのルートではDr.Flowerとして売れて成功しているだけに、『売れている音楽 = 価値のある音楽』では無いとも言え、音楽の価値という意味ではある意味、悲観的な捉え方をしているルートとなる。


正直に言ってこの三日月ルートは感情移入することが難しいシナリオだった。

このルートでは対馬馨の生真面目な性格を利用して、純粋に音楽を楽しむためには付随情報でしかないコンテキストや、音楽そのものの持つ価値について掘り下げられる。
しかし、そんなことはすでに多くの現代人にとってある程度答えの出ている問題であり、改めて語るほどのテーマでも無いように思えてしまうのだ。

音楽をビジネスとして捉え、綿密な戦略をもとにして金の力によってコンテクストをつくり出し、量産されたそれらの音楽がヒットチャート上位を占めることなど日常のことだ。
K Popなんかはその最たる例で、世界的な成功によって外貨を稼ぐ手段にまでなっている。

しかし、そういう金儲けを手段にしている音楽であってもそこに価値を見出している人が存在する以上、音楽に優劣をつけられるものでもないし、嫌ならそういう音楽を聴かなければいいだけのことで否定する権利は誰にも無い。

個人的な思いとしては、稼げるようになっても精神的に不安定で社会不適格者のままな三日月であったり、恵まれない境遇から一発逆転したことで満たされ、ロックで訴えることを失った金田の矛盾などを掘り下げて欲しかった。

演奏する自分たちが楽しむことを重視する、香坂めぐるルート

三日月とめぐるそれぞれの意見を聞いたうえで、「表現どうこうより、音楽そのものを楽しみたい」を選択するルート。
まずは自分たちが音楽を楽しめるかどうかを重要視する点おいて三日月ルートと対極にあって、極論を言えば演奏している自身さえ楽しければよいということは、独りよがりな音楽に対する姿勢は世の中の多くのインディーズ・バンドがここに当てはまるのではと思う。

めぐるがライブを好むのもライブならではの臨場感や生演奏による不確実性だけでなく、楽器を演奏するその瞬間を楽しみたいから。
音楽業界で成功するも周囲の人たちに見放され、寓話のキリギリスのような人生を送った朝川周にスポットが当てられることで『一度しかない人生、いまを楽しむために音楽をやれ!』と訴えかけてくる。

めぐると馨は肉体関係を持つのだが翌朝に朝食を食べながら、めぐるの方から「二人だけの秘密にしよう」と持ち掛けている。
三日月やファンのことを気遣うようなことを理由にしているが、その時々で楽しめればよい刹那的なめぐるの性格からして、「昨晩はお互い気持ち良くなれたし、たまたまそう気分になっただけだから、それでおしまい」と言われているようにも聞こえる。

しかし、音楽の価値についての捉え方は三日月ルートよりもポジティブで、自殺を考えていためぐるが朝川周の演奏によって思いとどまったり、朝川周に「ただの空気の振動が豊かで美しい世界を作りだすんだよ。これはこの世の奇跡だと思うね」とまで言わせている。

朝川周の言葉は、是清が”音楽は空気の振動”と貶めていたことへのカウンターとなるが、朝川周は音楽業界で成功して金と名誉を手にしており、インディーズ界隈でしか知名度の無かった是清の貧乏生活の対比を考えると世知辛い。
人間、余裕が無いと夢のある台詞は言えないし、成功していない人間が夢のある台詞を言っても空虚ですらある。

まずは演奏する自分たちが楽しむことを最優先にして、澤村倫と出会うこともないめぐるのルートでは、Dr. Flowerはきっと売れないインディーズ・バンドとして終わるのだろう。
やがて齢を重ねたら是清のようにかつかつの生活に余裕を無くしてバンド活動に疲れ果てるかもしれない。

だけれどもキリギリスのように好き放題やった結果、家族を含む周囲の人たちから見放された朝川周の人生を「素敵な人生」と肯定した馨の言葉にも一理あるとも思うのだ。

音楽に人生を賭けて生きる姿勢は、人生をギャンブルにしない尾崎弥子のルートとも強烈な対比となっている。
ラストシーンでめぐるが「ステージで楽器を演奏するって、世界で一番楽しんだよ」とやはり刹那的に生きる姿勢にブレがなくて好感が持てる。人間いつ死ぬか分からないのだしこれもまた人生。
それに人生をギャンブルにしない多くの人にとって、フィクションへ望むのはこういう夢のある物語でもある。

感想が長くなってきたので、他2つのルートについては続きで。



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