黄金の羅針盤(感想)_精緻で美しい画面デザインと音楽の雰囲気が優雅
リバーヒルソフトより1990年に発売された探偵アドベンチャーゲーム。主人公の藤堂龍之介の登場する作品としては2作目となり、一作目は「琥珀色の遺言~西洋骨牌連続殺人事件~」となる。以下はネタバレも含む感想。
<ストーリー>
一九二三年、某月--。船は、桑港を出港した。翔洋丸、一万三千トン。半年の外遊を終えた藤堂龍之介は、太平洋を横浜に向かうこの船の上にあった。島影一つ見えないはるかな大海原を一筋の白い航跡を残しながら船は、西を目指して進み続けた。しかし、安らかな航海は果てしなく続くかのように見えたが、すでにその船上では秘められた殺意の羅針盤が、ゆっくりと誰かに向かって動きはじめていた……。
人物や部屋のオブジェクト等、グラフィックへのこだわりは最高
当時自分はPC98版でプレイしたのだが、ゲーム全体の柔らかい色調であったり、人物、場所、操作系それぞれの情報が各ウィンドウに綺麗に整頓されたインターフェイスのデザインに感動したことを覚えている。フロッピーディスク3枚によくぞまとめたものだ。
ターコイズブルーの背景にアールデコ調の飾り罫、そうして少しベージュがかったウィンドウと柔らかい色調の登場人物。しかも人の顔へマウスカーソルをのせると虫眼鏡に変わってクリックすると外見の説明が表示される。他にもドアノックはグーで、扉を掴むときはパーへ切り替わるのもわかり易い。
さらに、調理室の壁にフライパンがかかっていたり、ロンジにはピアノが置いてあったりといちいち細かく精巧なミニチュアを鑑賞しているような気分になる。壁や床の後に部屋のアイテムが順にグラフィック表示されるのも良かった。
これらの高品質なデザイン完成度によって、プレイヤーは豪華客船である翔洋丸へ、さも乗船している雰囲気を味わえるようになっている。1990年時点でこのような作品をつくっていた「リバーヒルソフト」の高い技術力を感じるし、PC98の他ゲームと比較しても群を抜いていると思う。
また、ドビュッシーやバッハなどのクラッシック音楽が作品全体の優雅な雰囲気が効果的な演出となっていて、サン・サーンスの「白鳥」などの楽曲が洋上の穏やかな旅を演出してくれる。クラシックを多用したのは、著作権が切れているから使用したのだと思うがとても良いアイデアだと思う。
コマンド総当りのため、謎解き要素は前作同様に少ない
プレイしながら「容疑者を想像して、どこの場所へ行ったら事件の証拠品が見つかるか」といった推理要素はほとんど無い。船内は2等客室にへも行けるようになると「えっ、こんなところに」と意外な場所や人との出会いが進行に必要なフラグのあることもありコマンド総当りで無いとゲームクリア出来ないのが手間であり無駄に時間のかかるのがこのゲームの難点。フラグ回収のために一度話を聞いた人物へ再度同じ話しを聞きに行くことが多々あり進行する上でストレスになり残念。
全体的なストーリーの進行は、夜になると起こる連続殺人事件によって展開することになるが、「片桐幸蔵殺害の件」と「白骨死体 / 青沢キリ子 / 朝倉元次」の事件が相互に全く絡み合っていないのは残念だ。つまり一つの船上で全く関連性の無い2つの種類の事件が進行することになるのだが、それぞれの事件に関わる登場人物ごとの絡みもほぼ無いのことはエンディングで分かるため、コマンド総当りの手間も無駄に増える原因になってしまっている。
登場人物たちの多様な人間性や生き様はよく練られている
すでに死んでいる麻生伊作なども含めると総勢35人ほどの人物がゲーム内に登場する。それぞれが様々な業(ごう)を背負っていたり、なんらかの意志を持って翔洋丸へ乗り合わせている。これほどの登場人物がいながら、個性的な人物たちなので、多すぎて登場人物を覚えられないということは無い。
そのため、推理モノとしてはイマイチではあるが人間ドラマとして作品を俯瞰して見ると、とてもよく出来たゲームとなっていると思う。全く関係無いと思われた一等客室の人物たちが実は乗船前から知り合いであったり、それぞれの思いが絡み合っているというのがストーリーに深みを持たせている。
平賀勝吉、青沢豊彦の際立つ卑怯さ
平賀勝吉の場合、帝都商船の亜細亜汽船買収工作のために活動していたということなので、平賀の上司という黒幕が別に存在することがうかがえる。翔洋丸の評判を落とすために朝倉元次を買収していたというのが悪事となるが
、日本へ到着したならばいかにも会社からはトカゲのしっぽ切りに合いそうなので自業自得といったところだろう。
そうして本作で最も救いようの無いのは青沢豊彦だ。金のためにキリ子と結婚して財産を食い潰しておきながら、キリ子の実家が破産して疎ましくなったら、自分の妻を一条菊子へ殺させるという悪どさ。しかも「まさか本当に殺すとは思わなかった」とのたまう救いようの無さだ。
この二人は自分では実行していない故に、最後まで自分は犯罪者ではないと主張しており、終始自分の都合のことしか考えていない身勝手さだ。しかも自分ではそんなに悪人ではないと考えているフシがあり、たちが悪い。
善人ではないが、賀茂哲助の持つ男の美学
賀茂哲助の悪どさも目立つが、本人に罪の意識があるだけマシだ(むしろ潔い)。しかも育ちのい良い藤堂を敵対視しているのも、自らの素性が良くないという理由があるため同情の余地はある。誰にだって妬みの感情はあり、しかも背が高く顔も知性も持ち合わせており、金に困っていない藤堂龍之介のような男を目の前にしたら卑屈にもなるだろう。
さらにロバートからは「藤堂さん、賀茂哲助は、きっと、一番不器用な方法で、麻生多加子を愛しているのです」と擁護するセリフまであるのでこれが事実なら報われない愛なのは確実だ。
さらに、自白供述後に薔薇の間へ行って賀茂へ話しかけると、「藤堂さんよ。あんたは、俺のこときっとカスみたいな男だと思ってんだろうな。勝手に思えばいいさ。カスには、カスの生き方ってのがあるもんだ」と自らを卑下するような弱気な発言になっているが恐らく本音だろう。
その後、藤堂に殴られて後のセリフがこれだ。
「痛いじゃねえか...」賀茂は、元気のない声で、そうつやいた
藤堂に対して殴り返してくるでもなく、愛する麻生多加子との関係を少し後悔していることが滲み出るセリフとも受け取れるし、自分のことを愛してくれない麻生多加子に対する諦めも想像出来る。
この供述後のシーンのおかげで、自分は加茂のことが好きになった。むしろ感情を抑えきれずに暴力に訴える藤堂への好感度は激減である。どうして、加茂の境遇へ同情してあげられないのだ?と。
海外留学させてもらえる程の家に生まれた藤堂は恵まれた環境で育ってきたので、持たざる者への共感が出来ない性分なのかもしれないと考えるとむしろ藤堂への評価は下がる。
麻生多加子はきれいなままで、一条菊子は清濁併せ持つ
麻生多加子は親の都合で麻生伊作という男に嫁いだとはいえ、終始自分の都合のことしか話さない。心がキレイなまま大人になり、その美貌で伊作と結婚することになったということなのだろうが、周囲に流されてきたせいか本人の明確な意志というのを感じ取れない。つまり良いとこのお嬢さんなのであろう。
望まずにアメリカへ連れて来られたとはいえ、旦那を射殺するというのも乱暴な話しだが、伊作本人に許されていることもあり多加子の印象はきれいなままだ。そのせいか自分はあまり多加子へ共感はできない。しかも、藤堂へ麻生を殺したことを早く伝えていれば菊子が2人の殺人を犯すことも無かったであろうに。
一条菊子は父を麻生伊作に殺され、生きていくためにはなんでもやったと言う菊子。青沢豊彦を利用し、復讐のために2人もの人間を殺害したが既に麻生伊作は死んでいたので、殺す必要の無い殺人だったのだ。
このセリフが切ない
元治は、私と青沢豊彦が一緒に組んでいることも見抜いていて、私を脅してきたわ。でも馬鹿な男よね。この私など脅しても、何も出てきやしないのに…………。
残念ながら結果は悲惨なものとなってしまったが、必死になって自らの道を切り拓いてきた菊子の方が人として好感を持てるし、むしろ一条菊子こそがこのゲームのメインヒロインだと思っている。