コララインとボタンの魔女(映画感想)_カラフルなポップさと、気味の悪さが同居した怪作
『コララインとボタンの魔女』のスタジオライカによる1作目の映画で、2010年に日本公開されている。監督/脚本はヘンリー・セリック。
つくりこまれたストップ・モーション・アニメと、薄気味の悪さがクセになる怪作で飽きないから、多分10回以上は観ていると思う。
以下、ネタバレを含む感想などを。
いわくつきのピンクパレスアパート
11歳の少女コララインは両親と共にピンクパレスアパートへ引っ越してきた。築何十年も経過したように古ぼけたそのアパートの地下には元女優のエイプリル・ミリアムの二人組が、そして屋根裏には身軽で風変わりな男ボビンスキーもそれぞれ住んでいた。
コララインがひとり外を歩いていると、奇妙な仮面を被った大家の孫ワイビーがやって来るものの、初対面からして感じが悪い。
祖母はピンクパレスアパートを子持ち家族に貸さないはず、と不吉なことを言うのだがその理由までは言わない。そうして帰宅するとワイビーから自分そっくりな人形が届けられていた。
自分そっくりの人形をプレゼントされたらかなり気味が悪いと思うのだが、コララインはそんなことお構いなしに、どこへ行くにも人形を連れて歩く。
越したばかりで友人もおらず退屈したコララインは両親に遊んでもらうようにせがむも、二人共に仕事が忙しいからと対応がそっけなく、料理は手抜きでいかにも不味そう。
そうして夜にコララインがベッドで寝ていると、トビネズミがコララインを誘うようにやって来て昼間に見つけていた小さな扉の中へ消えて行く。興味を惹かれ後を追いかけると向こう側では、なぜか自分の家とそっくりの家があった。
しかも家には母と父までいて、その目はボタンになっている。そのボタンの目をした両親は、コララインにとても優しく接してくれて美味しい料理も拵えてくれる。父は陽気だしピンクパレスに住まう隣人たちも魅惑的なショーでコララインをもてなしてくれ、別のワイビーは口を利けないから気に障るようなことも言わない。
気味が悪いが愛嬌のある世界観
”別のママ”のいる世界は、コララインにとって楽しいことづくめの素晴らしい場所だったが、それは魔女が人形を通してコララインの抱える不満を把握しており、そこへつけ込むために用意された世界だったから。
この魔女によって用意された魔法の世界がスタジオライカならでのこだわりを感じさせ素晴らしい。細部までをつくりこまれた部屋のインテリアや、人形たちの動きや演出が素晴らしく、見ていて楽しい気持ちにさせてくる。
ピアノから手袋つきの機械の腕が出てきて”別のパパへ”ピアノを弾かせたり、食卓でグレイビーソースを欲したら、模型の汽車が自分のところまでソースを運んできてくれる。さらに喉が渇いたと言ったら天井からシャンデリアが回転しながら降りてきてジュースをグラスへ注いでくれる。
テントの中でのトビネズミたちのショーも賑やかで、元女優たちによる劇も最後は空中ブランコになってしまい、それは現実世界で退屈していたコララインにとってまさに夢の世界だ。
しかし安易に手に入る幸せには裏がある。コララインがこの世界をすっかり気に入ったところで魔女は、この世界へずっと留まるよう促してくる。それはコララインの意志を尊重するような口調だが、有無を言わさない強引さがあって、そのためにボタンを目に変えるだけと言うがそれだけも嫌なのに、実際には命も取られて成仏出来ずに彷徨うことになる。
コララインは要求を拒絶して無事に両親と3人の子どもの魂を救い、元の家に帰って来れたら物語はハッピーエンド、かと思いきや扉を挟む時に千切れた魔女の手がしつこく襲ってくるという続きには意外性があって良かった。
そうして魔女の手は井戸に封印されるわけだが、序盤に散歩した際に井戸が出てきたのにもちゃんと意味があってとにかく無駄なシーンがない。
世界観によって変わるトーン
物語の世界観は主に3つに区切られており、コララインを取り巻く状況が切り替わる際の色合いのメリハリも素晴らしい。
全体的にアートワークが素敵で、まずコラライン自身の濃く青い髪と鮮やかな黄色いレインコートのコントラストが美しく、灰色っぽい世界に映える。
さらに現実世界では無彩色が多くてつまらなそうなのに対して、魔女の世界はカラフルでポップに彩られていていかにも楽しそう。そのギャップが余計にストーリーでの明暗の違いを際立たせている。
さらに魔女が本性を出してきたら、紫や黒などのどぎつい配色に変貌して、ついさっきまでコララインを楽しませる存在だった母や他の住人たちが豹変してコララインを襲ってくるのはそれまでの楽しげな様子が吹き飛び、もはや恐怖だ。
ストップ・モーション・アニメでありながら、本作が純粋に子供向けというわけではなく、大人でも楽しめるのはこの恐怖によるところが大きいと思う。それは日本人の人形への接し方も影響しているかもしれない。
冒頭のシーン、窓の外からかやってきた三つ編み少女の人形が徐々に解かれて、再度縫い直されてコララインそっくりに仕上がっていくところから不穏だ。
そもそも日本人なら、命の無いものに対しても魂が宿ると考える人も多いから人形をぞんざいに扱うことに抵抗があって、不要になったらゴミに出すのも寝覚めが悪いから、お焚き上げを頼んだりする。
そんな、雑に扱いづらい人形をワイビーを介して贈りつけてくる計画性と、人形を通して相手の弱みにつけ込んでくる魔女の狡猾さもかなり恐怖だ。
しかも目がボタンというのがまた、表情を読みづらくてさらに怖い。
しかし、スタジオライカの造形や演出はどこかコミカルなところがあって、雰囲気が暗くなり過ぎないから、恐怖がいくらか和らげられておりそのバランスが素晴らしいと思うのだ。
余談だが、日本版の告知チラシはいまいちだと思う。
色の組み合わせがとっ散らかっているから子ども向けアニメのような印象だし、そのくせコララインの服装が11歳の少女に見えないほど大人っぽくてタイトルから察するに、この女の子が魔女かと思われてミスマッチだと思う。