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ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから(感想)_満足したらそこで終わりということ

『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』は、アリス・ウー監督による2020年配信のロマンティック・コメディ映画で主演はリーア・ルイス。
多様性をテーマとなっているのはいまどきな感じだが、古い価値観の映画を引用しながら再構築して、作品のテーマを観賞者に解釈させるつくりがよくできていた。
以下、ネタバレを含む感想などを。

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閉鎖的な田舎町の出口の無さ

舞台となるスクワハミッシュは自然豊かだが時代遅れなアメリカの田舎町。中国系の女子高生エリーは頭脳明晰なため、日々安穏と過ごす同級生に馴染めず孤立しているが、他生徒のレポート代筆で小銭を稼いでいる。
教師もエリーの賢さを理解しているからか代筆を黙認しており、才能を伸ばすためにリベラルアーツ・カレッジのグリネル大学へ進学することを勧めるが、本人は奨学金の出る地元への進学を考えている。
ある日、エリーはアメフト部のポールからラブレターの代筆を頼まれるが、エリーはラブレターの相手であるアスターへ密かに好意を持っていたので一度は断るも、家の電気代が滞っているため引き受けることになる。

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手紙のやり取りをしするうちに、アスターが芸術や文学を好み、エリーと同様に、閉鎖的な田舎町での暮らしに本心では馴染めていないことが分かってくる。表向きはポールとアスターでのやり取りだが、手紙やチャットのやり取りをしているエリーとアスターにとっては同年代の貴重な理解者と認識するようになる。

徐々に見えてくるポールの魅力

エリーはアスターから見えるポールの姿を”虚像”だと言うが、ポールは薦められた本を読みはじめており「誰かのために努力するのが愛」と言い返す。
不本意ながらもスクワハミッシュで暮らし続けることを受け入れ、変化することに躊躇するエリーとアスターに対して、好きな人のために努力をするポールの素直な姿が眩しい。
しかも困っているエリーのためすぐに行動できる優しさもあり、最初は浅薄な男子という印象だったポールの魅力が徐々に際立ってくる。

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また、この3人の関係性をエリーの父が見ている映画とリンクさせることで観賞者に解釈させる仕組みもよくできている。引用元の紹介は様々なサイトで紹介されているため、ここでは私の気に入っている2つだけ紹介。
『街の灯』で盲目のヒロインとホームレスのすれ違う恋をラブレターの代筆に置き換えたり、カサブランカのラスト「美しい友情のはじまり」を、最終シーンで窓際に座るエリーの乗る電車に並走するポールの姿によって表現したりと、この映画なりに演出を変えて再構築されている。

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町に残るか否かが信仰心とリンクしている

スクワハミッシュは田舎町で、若者たちは同じような服装で異性の噂話ばかりをしていて、突出した個性を発揮するような変わり者には生き辛い。
さらにエリーは同性愛者で神を信じることが出来ずに孤独だ。そのためこの町を地獄と言う。
アスターは美人だから人が寄ってくるのを表面上は周囲に合わせているが本心では馴染めておらず心の内では孤独を感じていたし、本当は芸術的なことをやりたいと考えている。
ポールも実家のタコス屋のレシピが時代遅れで、母が傷つくことを理由に町を出られない境遇を「出口なし」と言うが、本人の抱えている問題の深刻さは上記二人と異なる。

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神父の言葉に納得できておらず、現在の境遇に納得できないアスターにとって信仰心の有無がこの町で生きていくのか否かを確認する踏み絵のようなものだった。だからエリーの孤独に共感する。
それゆえにポールから躊躇なく神を信じると言われてショックだったし、教会でトリッグからのプロポーズを受け入れかけたのは、アメフトの試合後にエリーとポールを目撃したことだけが原因ではないと思われる。

人生の山場は本作の後に続く

本作の山場といえる終盤での教会シーン、トリッグはサプライズでアスターへプロポーズし、アスターがとまどいながらも頷くのをエリーが横槍を入れるのだが、言葉に詰まったエリーのために、またしてもポールが見せ場をつくる。
ポールは話しの流れを読まずに、「ラブレターの代筆を依頼したことで自分を偽ったこと」と、「エリーが同性愛者であることを隠して自分を偽り続けていたこと」を重ね合わせ、「本当の自分を偽るのはつらい」と言う。
これまで大事な場面でまともなことを言えなかったのに、ここぞとばかりにエリーを肯定する言葉が美しいのだが、エリーが同性愛者であることは教会にいる誰も気付いておらず、内容があまりにも唐突なためその場にいるほとんどがついてこれない。

愛は1つだと思ってた
愛し方は1つだと
でも違った
いろんな愛がある
だから…常識を押し付けたくない
ありのままを愛したい

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エリーにはポールの言葉が伝わっており、話しを戻そうとするトリッグを制し、4年間代筆をつとめていたことを逆手に取ってトリッグの言葉を塞ぐ。
アスターに向けてかつてポールの言っていた「愛とは努力すること」を引用するのだが、これはエリー自身に向けた言葉でもある。

3人の会話を整理する。
トリッグはアスターへプロポーズしており、横槍を入れるエリーは自分に好意を持っているからと勘違いしている。
ポールはエリーが同性愛者でもあっても受け入れると言っており、エリーはアスターに対して失敗を恐れずに挑戦しろと言っている。このように3人の論点はズレているのだが、伝えたい相手に対してはきちんと伝わっているのがよく出来ている。会話の中心にいるはずのアスターの発言は最後だけで、話しの入り乱れる会話劇は見もの。
アスターが去って教会内が騒然としてくると、ポールの母が便乗して息子がゲイであることへ寛容なのに、祖母のレシピを変えることについては強硬に反対するのが微笑ましく、混沌とした状況を哲学教師に「これこそ神の介入」と言わせるのだが、エリーとアスターは信仰に疑問を感じていたので皮肉が効いている。

映画としての”山場”はこの教会シーンとなり、その後エリーとアスターの卒業後のことが少しだけ伝えられるが、冒頭「これは恋愛モノじゃない」「望みがかなう話でもない」とはじめまったのは、彼らの”人生の山場”はこれからということを強調したかったから。


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