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どぶがわ(感想)_他人と比較せずに心を満たす美しさ

「どぶがわ」は2012〜2013年の期間、「Eleganceイブ」で連載されていた漫画で、著者は池辺葵。
一人暮らしの老婆とその空想世界、さらに近所に住む人々による群像劇となっている。セリフが最小限に抑えられて無言のコマが多く静かな漫画だが、人物の気持ちや思いが読者にしっかりと伝わってくる。
以下はネタバレを含む感想などを。

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小説から空想する世界の自由さ

洋館に住まう貴族階級と思わしき若い4人姉妹とメイドによる優雅な食事の風景からはじまるのだが、これは老婆の夢想する世界。姉妹の日常風景が裕福な暮らしなのに対して老婆の生活は慎ましい。

水が淀んで臭気が漂う谷底の川近く、六畳一間の安アパートに老婆は暮らしており、部屋の中には小さなテーブルとわずかばかりの本があるばかり。本棚はなく本は畳へ直に置いてあって、暮らしぶりはとても質素。

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行動範囲は近場の徒歩圏内のみで、日々に大きな変化はない。また、家族・友人などの親しい人はいっさい登場せず。他人に話しかけられたら受け答えはするが、自分から周囲の人々と積極的な交流をしないのは、少し偏屈な性格なのかもしれない。

朝になると用水路のように狭い川にかかった簡素な橋を渡って、木々の間に紐をとおして洗濯物を干すと、ベンチに腰掛けてぼそぼそと独り言をつぶやきながら冒頭シーンのような空想にふけるのだが、近所の人々からは奇異の目で観られるも本人は一向に構わず、心のなかでこの場所を「私の楽園」と考えている。
物が少ない時代に育った高齢者の住宅には、今後も使われることのないであろう物で家が溢れかえってしまい、窮屈な空間になっていることがままある。
しかし、この老婆は物に執着せず生活に必要な最小限しか持たない、さらに貧しく孤独な境遇を悲観するわけでもなく、想像力豊かに物語を紡げられる心の豊かさがある。

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人々の間接的なコミュニケーション

老婆の部屋にある数少ない本のタイトルは「バベットの晩餐会」「灰かぶり姫」「若草物語」などの小説がハードカバーで揃えられている。
空想の内容は、これらの本をヒントに連想した老婆によるオリジナルとなっていて、豪勢な食事は「バベットの晩餐会」、4人姉妹は「若草物語」、メイドが孤児だったのは「ハックルベリーフィン」など、文字情報から想像される世界はとても豊かで自由。

自分は仲のよい4人姉妹の長女になりきって、ドレスをオーダーしてみたり、食事や会話などの穏やかな日々を楽しんでいる。
最後の晩餐では、フォアグラのソテーやカエルのムースなどの洋風メニューに、トロのおすしが混ざっているのは老婆の好物と思われる愛嬌がある。

現実の世界では近所に住む人々との交流もわずかだがあり、空想する内容にも少しだけ影響を与えている。
隣の部屋に住む独り暮らしの寡黙な男性は、レンズ工場に勤務。帰宅後にレコードをスリーブから取りだしてヘンデル作曲の「水上の音楽」をかけると、老婆の夢の中で姉妹は優雅に踊りだす。

また、この男は老婆が毎朝のように口ずさむ歌(私の青空)を中古レコード店で購入。薄い壁越しで音楽をかけると、同じアパートに住まう学生とその友人が壁に耳をつけて聴き取るようにしていると、横になっていた老婆が目を覚まし、2コマだけ子供時代を思い起こさせるコマが描かれ目尻には涙が。

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さらにドブ川の悪臭の原因となっているゴミを、区役所の男がボランティアで拾ってくれるのだが、待ち焦がれた人の登場に、心の中で「騎士さま」と老婆の表情が緩む。
どのコミュニケーションも当人同士による直接の会話はなく、ほんのささやかな心遣いによる行動だが、見ず知らずの誰かを思いやっている優しさがある。また、老婆の幸せな様子が伝わってくるのは、多くを望まずに幸せのハードルが低めに設定されているから。

過去の自分や、他人と幸せを比較しない

老婆は仕事をしておらず年金生活(または生活保護かも)と思われ、必要最低限の物で暮らす独り暮らしだ。
近所には高級住宅地があって、スーパーに売っている198円のアボカドを安いという主婦たちを横目にアボカドをじっと見つめるが、もやし2袋と絹ごし豆腐を買って帰宅するも合計128円、アボカドひとつよりも安い。
ランドセルを背負っていた二人組が中学に入学しているので、老婆は時間にすると数ヶ月~数年はこんな生活をしている。

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説明がないので老婆の境遇については想像するしかないのだが、家族が不在で老いても介護施設へ入らずに暮らしているのは、この老婆が自らの意志で選択してきた部分が少なからずあるようにも思える。
私の場合、「現在の自分が幸せか」を確かめるために、つい”過去の自分”や”他人”と比較してしまいがちだが、この老婆には「空想することは誰にも邪魔することはできない」とばかりに、自分なりの幸せを見つけて日々を過ごせるしなかやな美しさがある。

日本の未婚率は増加傾向で、ロスジェネ世代の単身女性たちは老後に貧困化する可能性が高いという話しもあるが、これは男性でも同様だろうし、やり直しの困難な現実世界では誰もが貧困化するリスクはある。
今後数十年経ったら、本作の老婆のような生活を強いられる人が増えるかもしれないが、そうなったとき、自分はこの老婆のようにひっそりと、しかも前向きに生きていけるだろうかと考えてしまう。


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