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さよならを教えて(感想3)_社会から受け容れられないこと
『さよならを教えて』は、2001年3月2日にCRAFTWORKから発売したノベル主人公、人見広介の内面の写し鏡のように存在する各ヒロインたち(上野こより、田町まひる)についての感想を個別に深堀りしてみる。
巣鴨睦月、高田望美、目黒御幸の感想はこちら。
以下、ネタバレを含む感想などを。
上野こよりへの暴力行為から想像すること
弓道場で出会う上野こよりは弓道部員ということで登場するが、実際は人形。
人見くんの印象では”今時のコには珍しい”や”クラシック”と形容されているから、古ぼけた人形と思われる。
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舌っ足らずな喋り方は幼さも感じさせ、性格はどこか楽観的。それは母の遺言によって「辛くても笑っていれば幸せになれる」という言葉を健気に守っているからかもしれない。
胸が大きいことがコンプレックスだと語るこよりに対して、綺麗なモノや完成されたモノに対する憎悪と嫉妬を覚えることを理由に、人見くんはこよりを徹底的に破壊しつくす。
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それは多数の矢で射たり腕をもいだりと、他ヒロインへの対応と比較しても残虐で、破壊行為そのものに興奮している様子が異様だ。
こよりは率直な物言いをするところがあり、人見くんが気分を害したきっかけはこよりから見栄っ張りであることを指摘されたこと。
見栄っ張りなのは図星だったようで、身に覚えがあるからこそ逆上している。
人見くんの性格を的確に言い当てるこよりは人見くんにとって、人見くんへ苦言を呈する周囲の人間たちの象徴的な存在なのかもしれない。
人見くんのことだから、家族や周囲の人間からいろんなことを指摘されているはずで、そこで反省して省みるのではなくむしろ指摘する側に対して逆恨みをしてたのだろう。
だからさらに指摘を受けることになり、そんな悪循環のループによって現実世界での居場所を失う。そういう精神的に追い詰められて蓄えられた鬱憤をこよりへぶつけることで発散しているかのようだ。
その対象が人を模した造形でありながら、絶対に反抗してこない古ぼけた人形だったというのがいかにも人見くんらしくて憐れでもある。
被害者であるはずのこよりから「あたしに会うの、毒ですよぉ?」とどこか他人事のように言われているあたり、人見くんの独り相撲を諭しているかのようでやりきれない。
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田町まひる
人見くんの偶然出会った生徒が、かつての幼馴染だったという設定だが実際は病院へ紛れ込んだ子猫。しかしまひるの体は高校生というより小学生の姿にしか見えない。
飼っていた猫と過去に近所に住んでいた少女が引っ越したという記憶が被り、幼馴染の存在が現実または妄想なのか判別つかないが、幼すぎる容姿が人見くんのクズっぷりに拍車をかける。
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人見くんはこよりに対して強い加虐性を発揮していたが、まひるに対する暴力行為の性質は好奇心による”イタズラ”という印象が強い。
「落ち込み、縮み上がった僕が、余裕を持って接することのできる数少ない女の子」と考えながらも、好奇心で肛門にカラシを塗った猫が車に轢かれたという強烈なエピソードを披露し、そのうえ鎮魂のために他所の猫を何匹も殺しているという狂気。
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子猫は肛門にカラシを塗られたあとに車に轢かれるのだが、人見くんはその子猫の死を高揚しながら見ていたとあるけど、その感情に関しては理解できるところがある。
少し横道に逸れる。
明治以前の日本でも死後に首を晒しものにする刑罰があった。
それは見せしめの意味合いもあったろうが、人の死が大衆のエンターテイメントとしての役割も果たしていたというのをどこかで聞いたことがある。
仏教絵画では、修行僧の悟りの妨げとなる煩悩を払うとされる九相図なんてものもあるけど、どこか魅入られる感覚がある。
そういえば岡崎京子の『リバーズ・エッジ(1994年)』では、死体を発見したことで生きる実感が変わるという描写があったけど、感覚としては似ているのではと考えている。
現代では人が死んで葬儀社へ連絡したなら、死体はまず綺麗に死に化粧をされてまるで生きているかのように偽装される。
そのような状態で火葬されて白い骨を渡されるだけだから、視覚的に死を実感しづらく、死を意識することが限りなく薄められている。
それによって、死があるからこそ、生が対比として美しく感じられる機会を奪われているともいえる。
または死が人間の根源的な意識を呼び起こすものだと捉えたのなら、死にゆく生命へ興味を持つ人見くんの感覚は、そんな異常でも無いのかもしれないとも思うのだ。
本作に登場する5人のヒロインは巣鴨、目黒、田町、高田、上野と山手線の名前になっているのが特徴的だ。山手線は環状線であるため同じところグルグルと回り続ける。
最終電車などの例外を除けば辿り着ける終点はなくて、もはや病院以外のどこへも行けないであろう人見くんの人生を暗示しているかのよう。
それは人見くんが精神障害を持っているからで、現実から目を背けて姉の瀬美奈やとなえなど周囲の人間へ依存することでしか自立出来ていないからだ。
こよりの出現する弓道場に「捨身成道」(身命をなげうって成仏・得道することらしい)という文字が掲げられているが、人見くんの生き様の真逆なところに皮肉が効いている。
だけど人見くんのことを”精神障害を持っているから”と、異質な存在と切り離すことへ抵抗があって、それはいわゆる『就職氷河期世代の弱者男性』または『無敵の人』と呼ばれる人にリンクするところがあるように思われるから。
就職氷河期世代は社会状況が悪化したことで所得が減って、したくても結婚出来ずに中高年になった人が大勢いる。
「男性が草食化した」「趣味が多様化しているから結婚の必要性を感じていない」と言う人がいるけど、それは多分ミスリードで恋愛強者の比率なんて昔から変わっていないだろうし、人間はリアルな人間同士のコミュニケーションを求めるものだから、個人的な趣味へ没頭するのは消去法だったという可能性もある。
そうした独り身の男性が歳を重ねて令和では中高年になり、だけれどもプライドは捨てられないから社会から孤立するようになる。
そうした人たちが自分を受け入れてくれない世間に対して攻撃的になり、自分より弱いものを壊してみたいという衝動に突き動かされてしまう。
このように社会から孤立した人の境遇は人見くんのそれにとても似ているから、人見くんのことを違う世界の住人と切り離すことが出いないのだ。