二重回想
「為口くん、いるかね」
その声に私が目を覚ますと、すでに日は落ちていて、居室は真っ暗だった。どうやら、大学から帰宅した直後に寝落ちして今に至るらしい。昔のことを夢の中で追体験していたらしい。私にとって邪屋との出会いはそれだけ強烈で、そして文字通り人生を変えるものだった。
「います。ちょっと昼寝してました」真っ暗な部屋に私の声が響く。
「そうかね」電気をつけながら、邪屋は言った。「おや、よほどいい夢を見ていたようだね」
「そうみえます?」明るくなった部屋のなかに、扉から身を乗り出すようにしてこちらを見ている邪屋は、目を丸くしていた。
「そうだね。その整った顔立ちでも、呆けるとあんなになってしまうんだなあ」邪屋はいたずらっぽく笑って見せる。顔に刻まれたしわがより深くなり、それが愛嬌すら感じさせる。そんな邪屋の笑顔が私は好きだった。
「そんなことないと思いますけど……っていうかそんなにひどい顔してました?」
「そうだね、お嫁にいけないんじゃないかと心配になるぐらいには」
「いや、いきませんから!」
邪屋はたまにこういう冗談を飛ばしてくる。そんなところも、抜群に好ましく感じてしまう。
「ところで、例の児童誘拐グループのことだけれども」
自分の顔がこわばるのを感じる。
「……何かあったんですか」
「いや、いい知らせだよ。君と出会ってからもう10年近くになるが、その10年の記念日を目前にしてどうやらめどが立ったようだ」
「ついに、撲滅ですか」
邪屋との倉庫での出会いは、偶然というわけではなかったのだと後になって聞かされていた。彼の名乗り通り、彼は当時から、柳都に蔓延る児童誘拐グループを探し出しては制裁を加え、とらわれていた子供たちを解放していたという。
私が幼少期から度々誘拐されては犯されていたのも、ただ不用心だから、というわけではなかったのだ。邪屋の家に向かう道中に彼が言うところによれば、
「奴ら、児童を対象とした性犯罪を働く連中はどうやら独自のネットワークを持っているようでね。君はかっこうのカモだったんだよ」
彼は根城にたどり着くと、書類棚からファイルを取り出して私に見せてくれた。
「これは連中のうちの一人が持っていたものを家探しして入手したものだ。みたまえ、君の名と住所が載っているだろう。後ろの備考欄に至っては実に微に入り細を穿った内容だ。これが各児童に関し一人一枚のページを割いて用意されているのさ。まったく、「ロリショタを愛でる会」なんてふざけた名前に比さず恐ろしい連中だヨ。彼らが公認探偵であれば、私もこう安泰ではいられなかったかもしれないがね」
そうはならなかった。おそらく、このファイルを流出させた人間はもうこの世の人間ではないだろう。邪屋は殺しはしなかったと供述しているが、
「私が殺さなくても、遅かれ早かれ仲間から制裁を加えられるさ」
と付け加えている。ちなみにファイルを流出させたそいつだけが例外で、あとはことごとく邪屋の手にかかって、海の藻屑なり山の肥料なりになっているらしい。
「私は手を汚さないがね。そんなことをしなくても私の下請けたちは優秀だから」常々そんなことを言っている。全く以て底が知れない人だなあと当時は思ったものだ。
本来であれば、邪屋も「児童誘拐グループ」も似たようなもので、子供の私にとっては恐怖の対象たるべきものだったはずだ。しかし、彼があの倉庫の扉を蹴り飛ばしたその瞬間から、私は彼に一種憧れともいえる感情を抱いてしまった。魂がすでに、彼の共犯者となることを渇望してやまなかったのである。