若者
「若者」と聞くと、どんなイメージを持つだろうか?
青春、エネルギッシュ、未熟、かっこいい、かわいい、可能性がある、バンド、不良、まじめ、バカ、見習い、旅、モラトリアム、Z世代、スマホ…。
ネガティブな面もポジティブな面もごちゃまぜに書いてみたが、おそらく、この中に当てはまっているものがあるはずだ。
昨日、合氣道に行くと、「水口君は若いから、たくさん動いても大丈夫」と言われた。まあ、その通りだろう。自慢じゃないが、実際に岩手山に登っても、そこまで疲れなかった(足は若干疲れたが、筋肉痛にはならなかった)。体力はそこそこあるかもしれない。ちなみに、余談だが、筋力は絶望的なほど、ない。単発労働で、他のにいちゃんやおっさんがずっと余裕で重い物を運んでいる中、自分だけ、必死で耐えて荷物を運んだことがある。
とはいえ、これはあくまで自分のことだ。他の若者のことは知らない。若者によっても差がある。そのため、若者を一般的に語ることは出来ない。ただ、若者は、体力があるとされている。
一方で、最近の若いもんには、根性がないといったような意見も聞く。昔は上司が厳しいとか、先生から体罰を受けたとか、そういうことがあったようだが、今は、パワハラという概念などがあり、みんな大体優しい。単発労働に行くと、厳しいことを言ってくる人がいる現場もあるが、それはかなり少数だ。このような世の中では、根性はつかないかもしれない。自分自身、大学1回生の時、ホテルの派遣バイトに入ったことがあり、その時は、夜数時間働いただけで、精神的にかなりしんどかった。けっこうボロカスに叱られたのだ。そのバイトが終わった時は、「やっとシャバに出られた」と思った。このバイトは3回続けた。この時、自分は精神面の弱い若者なのだと自覚した。もしかすると、このように感じたことのある若者は他にいるかもしれない。ちなみに、自分自身のことについていうと、ケニアでアルファジリのインターンに参加し、多少は根性がついたように思う。これから先、どのような人生を送るかわからないが、アルファジリにインターンを経験してよかったように思う。
他にも、いろいろあるかもしれないが、このような形で、若者は「一般論」のように語られることが多い。最近の若者は○○だ。若いうちは〇〇だ。このような感じで語られる。
このようなことは、ずっと続いている。たとえば、団塊の世代の1つか2つか後に出てきた新人類世代は上の世代から、「甘えた世代」と見なされてきた。まあ、焼け野原などを知らず、経済が豊かな時に子ども時代を過ごすとそうなるだろう。世代によって、生きてきた背景や価値観が違うので、このような、世代を一般論的に語ることはこれからも続いていくに違いない。
とはいえ、最近、自分の周りの人達の中で、「最近の若者は○○だ」という人はあまりいないように思う。もちろん、付き合いのある他世代の人には偏りがあるため、そうなるのは当然かもしれない。それでも、一般論で語られないのは、気が楽だ。ありがたい。
その一方で、「若い」ということの価値を語る人も多いように思う。「若いうちは何でもできる」といったような論理だ。そうかもしれない。「若いうちに様々な経験を積みなさい」もそれに含まれる。そのような人たちは、若者のことを「ガキだ」「未熟だ」「ダメだ」などと語ることはない。
ここまで考えたとき、若者は「若者」をどう考えると良いのだろう?と考えてしまう。23年間生きてきたが、23年は長いのか短いのかわからない。ただ、ここまで何かしらやってきたことがあることと、これからも様々なことが続いていくことだけは事実だ。23年というとそこそこ生きてきたようにも思う。だが、そこそこでしかない。バブルや阪神淡路大震災などの時生まれていなかったことを考えると、23年は大したことない。
ところで、なぜ、若者について書こうと思ったのかというと、最近自分の中で、「若者」というアイデンティティが重要になってきていると感じるからだ。最近、冒険したい、ワクワクしたことがしたいと思ってしまう。小学生の時や、高校生の時にも思ったことがあるが、人生は刺激が少ない。薄味だ。積極的に行動しないと、つまらない時間を過ごすことになってしまう。刺激、ワクワクしたことが必要だ。そして、そのためには、自由が必要だ。
このように考えたとき、「若いうちにいろんな経験をした方がいい」といったことや、「若いうちは何でもできる」といったことを言ってくれる、上の世代の人間が必要になる。もしかすると、自分の良いように解釈してしまっているような気もするが、このような言葉は自由に生き、様々な経験を積むことの根拠になるかもしれない。考えてみれば、世界一周の旅をしたいと思ったのは、祖父の回忌に来ていた、親戚のおじさんの話きっかけだった気がする。
「若いうちは〇〇」といった論理を、多少良いように解釈しつつも、自分の後ろ盾にし、自由に、積極的に生きていきたい。