じわっと心にしみる情的なひとと理的なひと
“人情”なんていう言葉は今や死語なのでしょうか…
ムード歌謡や演歌が流れてきそうな、若い方は今どきの昭和レトロ感を想像されるのかもしれませんね。
大自然には”情”は存在しません。
お腹をすかせた肉食の野生動物が小さな鹿を見て「まだ子鹿だからかわいそう…」といって捕らえるのをやめることはありません。
また土砂災害が続いている集落で何軒もの家が雨で流され、多くの犠牲者がでたとしても容赦なく雨は降り続きます。これが大自然です。
私たちヒトは自然界に住む一員でありますが、“情”というのは私たちにしか与えられていません。
算命学では「情的なひと」と「理的なひと」というように捉えることができます。
全てのひとが”情”を持ち合わせていても、ひとによって情の断ち切りかたが早かったり遅かったり、強かったりします。このことは、仕事上も含め私たちの身近な人間関係で大きく作用されているのではないでしょうか。
さらにあなたの心の強弱も関係することもありますが、情的ではなく理的に物事を対処していくひともいらっしゃいます。冷静沈着に判断しその場のノリや勢いだけでは進まないような方です。
これらの情報はあなたの命式(本質)によって読み取ることができます。
現実世界でバリバリとお仕事をされる方は、現実的に対処し『人間味ある情的な生き方』をしていきます。世の中の会社経営者の方々にはこのような方が多いかもしれませんね。
それに対して、落ち着きある思慮深く対処する方は『理的な生き方』の強いひととなるのです。情に溢れすぎなひとを薄める役目も持っていますよ。
生きていくうえで偏らず両方大事ですが、特に人間関係においては情的なものの[さじ加減]が肝心です。
例えば、結婚し家庭を持ち生活を送ることになれば、相手(家族)を想いあっての「現実的な情」で行うものであって、あくまでも理性は補助とされます。
ですが情的な生き方が強くなりますと、当然、情だけが優先されます。
パートナーへの束縛や親でしたら子離れが下手な親になりかねませんね。
現在、私たちは大きさは違えどもコロナ禍で苦労を抱えています。
個人的には、このような非常時は「情的さじ加減やや多め」でもいいような気がします。なんでも合理的に無機質では長いコロナ禍やってはいけませんし、利益だけの追求や損得勘定のみの行動ではそのひとの人間性は育ちません。(人間性の向上により運命の改良になるのです)
ひととの関わりは薄れています。
しかし、ささいな行動でも"ひとの情”により、いつもは気づかなかった温かさを感じることもあります。あなたもじんわりと出来事を振り返って涙したくなるような体験があるのではないでしょうか。
ひとは「孤独」になることはあっても「孤立」には耐えられないそうです。
いくら才能や財があっても、そのひとに『こころ』がないと、人々は離れていくそうですよ…
一緒に考えましょう。
ご相談お待ちしてます。
智泉堂/清徳泉里
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