休学日記④黒人ハーフの私の思う美しさ
この休学日記シリーズは休学期間中に、学び、考え感じたことを私なりに共有するものである。
以下に簡単に私の情報をまとめる。
就職前に、私の半分の国であるナイジェリアにどうしても行きたくなる。
→早稲田大学を休学。
→現地で日系企業の投資事業のインターン生の資格を得る。
→ナイジェリア渡航・滞在
→インターンを終了。(今ここ)
ナイジェリアに渡航した経緯及び現地の様子については、以下の休学日記シリーズより閲覧できる。時間がある際に読んでくれたら嬉しい。
さて、今回書く記事は美しさについて。
ナイジェリア渡航を経て変化した、私が自分自身に対して感じる美しさについて。
私が美しさそのものについて考えることについて。
ゆっくりと過去の経験を交えながら考えを述べていこう。
最後まで読んでくれたらうれしい。
コンプレックス
ナイジェリア渡航前
私はナイジェリア人の父をもつ、いわゆる黒人のハーフである。
日本で生まれ育ち、日本人としての価値観、環境に囲まれて生活してきた。
黒人の遺伝子をもつ私は、肌色は人よりも褐色であり、高身長だ。(174㎝に最近なった(!?))身体つきも人よりもがっしりしていて骨太であり、お尻や太もも周りに筋肉や脂肪がつきやすい。
このような容姿をもつ自分として成長して21年間。
今まで心から自分の容姿を素直に受け入れたことはなかっただろう。
なぜなら、日本で典型的に良いとされる美とは異なるものを私は有しているからだ。
白い肌、小柄で華奢、、、。(真反対(!))
幼少期に、外国人やミックスの子が周囲に少なく、何かと容姿について人から比較されたり指摘を受けることがあったことも原因の1つだろう。
中学生の時に「俺は面白くて優しいお前が大好きだけど、肌が白かったら付き合えたのになぁ、、。」
なんて直接言われた時はどれほど傷ついたことか。(しかも自分が全く好きじゃない人から言われたので、今思えば余計に腹立つ。)
ハーフでなかったとしても、何かと容姿について、他人に指摘された経験は、日本で生きていたら誰でも一度は経験したことがあるのではないのか。
そんなこんなで21年間、世間や日本で一般的に美とされる容姿とは異なるものを、すんなりと認めてあげることのできない、いわゆるコンプレックスが私の中に根付いていた。
ナイジェリア渡航後
そんなコンプレックスを抱えていた私は休学し、ほとんど黒人しかいない国である、私の半分であるナイジェリアに人生で初めて渡航した。
あっちをみてもこっちをみても、赤ちゃんも老人も、みんな黒人。
そんな初めての環境にいて生活をしていると、本当に面白いことが起きるのだ。
買い物をするためにレジに並ぶ。
なんとなく出会った人に話かけてみる。
目を見る。振る舞いを見る。その人を見る。
すると、ふとこう感じるのだ。
「ああ、綺麗だな。美しいな、と。」
そしてこの感覚は滞在中何度も経験することがあった。
普通に日本で生活しているときに、通りすがった人にふと引き込まれるような感覚。
色とりどりの鮮やかな自然を目の当たりにして、ふと吸い込まれるような感覚。
なぜなんだろう。
彼らは日本でいう典型的な美しさとは全く異なるものを持っている。
そしてとても美しい。綺麗だ。
私は滞在中に何度もこの美しさに触れ、帰国する際には、こう感じるようになっていた。
「私、素敵なものをもっていたんだな。」と。
自分の心情変化の具体的な経緯は分からない。
強いていうなら、「美しさのレンズが広がった。」とでも言おうか。
きっと渡航しなかったら決して感じなかった感情であっただろう。
美しさ
美しさとはなんだろう。
結論、その答えは千差万別であると筆者は思う。
当たり前のことであるが、我々は一人一人心惹かれるもの、美しいとする定義、美しいとする部分、価値観も異なるものだ
本当は自分で自分の容姿や、自身の有する美しさを認めてあげられたらそれがベストなんだが、、。
まぁ、なかなか難題である。
急に「自信をもて。」と言われても持てるものではない。いつまで経ってもコンプレックスは付きまとうものだ。他人から言われて、自分の美しさを認めてあげることもそれほど容易ではない。
ただ、美しさは千差万別であり、主観的なものでもある。客観的な美しさはあくまで主観が集まったものである。そう言えるだけだろう。
ただ、次の2つは、自分を受け入れてあげるために、自身のきっと美しい部分を素直に認めてあげるために効果的であると筆者は考える。
1.旅してみる。
旅(特に海外)に出てみるのは、筆者自身の経験もあり、大変おすすめである。
既存の環境や価値観とは異なるものに直接触れ合うことは、まるで裸の赤ちゃんとして生まれ、新しい世界を体感するようなものだ。
自分の今まで生きてきた世界の常識が覆される。
新しく何かを知り、学ぶ。理解する。
そうすると、自分の生きてきた世界がいかに狭く、「世界」だと思っていたものがいかに側面的であったか気づくだろう。
世に様々な価値観や考えがあるように、美の基準も様々にある。
新たに出会う景色や人々に対して湧き出てくる感情を存分に味わうことで、
「自分はこんな感性や考え、価値観を有していたのか」と自分自身をもっと知ることもできる。
自分の中の常識や世界観が広くなるとより一層、物事に対して柔軟的に考え、受け入れてあげることもできるだろう。その物事がもしかしたらあなた自身の容姿や、あなたの考える美しさかもしれない。
2.マインドセットする。
これは自己肯定感の向上にもつながってくるが、結局自分で自分の美しさを認めてあげることが一番いい。自分で自分を美しいと思えたら、他人の考えによって動かされることも少ないだろう。
自分の軸を持っていたらどれほどいいだろう。
自己肯定感は普段の行いにも密接に関係していると筆者は考える。
朝からどんよりと部屋に閉じこもりながら短調の曲を聴いてたら誰でも暗い気分になる。
とっととカーテンを開けて、長調の曲を聴いて散歩やランニングをしてみる。
心にも身体にもいいことをしていると、ふとそんな自分が綺麗に感じるし、心地よくなる。
涼しい風を浴びながら無理しない程度にランニングをして、ふと店頭に映る自分を見る。
なんか清々しくてふと笑顔になる。
「あぁ、自分綺麗じゃん(どすっぴん、びっしょりで客観的に見たら全く美しくもないだろうが…笑)。」
そう思えたりするもんだ。
相手にも自分にも心地いい言葉。
あとは、コンプレックスや美しさに悩んでいる人が周りにいたら、その人をそのまま受け入れてあげてほしい。お世辞なんて言わなくていい。
ただ、自分が相手に対して美しさや、何か良さを感じることがあったら、素直に言ってあげるのはどうだろう。
自分自身を認めてあげるのは他人を認める以上に難しかったりするから。きっとあなたの言葉が少しだけその人がその人自身の美しさを自分で認めてあげるきっかけになるのではないか。
筆者がナイジェリアにいる際に電話である言葉を伝えてくれた人がいた。コンプレックスについて話していたところ、こう言ってくれたのだ。
「ちせさんには、ちせさんにしかない唯一無二の美しさがあるでしょ。」と。
あぁ、いい友達をもったな思ったし、やはり心が温かくなる。(しかも男の子。同性に関わらず異性にも素直に言葉掛けをできる人は素敵だ。)
良くも悪くも人間は繊細であり、何気ない一言が相手に大きく影響を与えるものである。
私たちは、誰かの発言から自分に都合の良いように取捨選択できるほど強くもないし、賢くもない。
だから、誰かのコンプレックスや容姿をそのまま受け止めてあげて、相手に対して美しいと思うこと、素敵だと思うことがったら、素直に声掛けをしてあげたいと筆者は思う。
人間の防衛本能的に、ネガティブなことに目が行きやすいが、その分ポジティブなところも沢山見てあげたい。
きっと、あなたの友達について考えると、悪いところよりも良いところの方が思い浮かぶことだろう。
周りにそんな人がいなかったら、私が言おう。
きっと、きっと、あなたには美しくて素敵なところが沢山あると。
容姿はもちろんのこと、中身にもね。
温かくて優しい5月の木漏れ日を浴びるように、読んでくれたあなたも少しだけ気持ちよくなれたら嬉しいかぎりだ。
自分を美しいと思うには時間がかかるし、いまだに自信をなくすこともあるけれど、少しずつそんな自分も受け入れていきたい。
ちせ
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