見出し画像

残響

「残念ですが、心拍が確認できません。」

薄暗い部屋の中、黒と白の曖昧な線で描き出された
モニターの中の小さな『我が子』は、ひっそりと、
それを孕む私にも分からないうちに成長を止めてしまっていた。
「おそらく十日ほどで自然に排出されます。」

自然に?排出…?

下腹のひんやりとしたジェルを拭き取る看護師さんはバツが悪そうに目を逸らしたまま頭を下げた。

「あの、生理みたいな感じですか。」
「そうですね。」
医師はそう珍しい事でもないという風にカルテに向かったまま、気持ちの1ミリもこもっていない
「お大事に」を横顔で床に吐き捨てた。

駐輪場で待っていてくれた愛用の赤い折り畳み自転車も、今ではどこか寂しそうに映る。
(わたしみたい。ね、一緒にかえろ。)
ただ足を動かす。動くというのは尊いのだ。
頭の中は真っ白でも、
足を動かせば家に帰り着く。

ほぼ毎日通る往診先への道。
塀の上から覗く華やかな紅梅の咲く頃に授かった命だったから、『こうめ』と心の中で名付けていた。 
(こうめ、今日は紅梅がきれいよ)
(こうめー、今日は寒いのにお外でゴメン)
籍の入れられる人との子どもでは無かった。
葛藤が無かったわけじゃない。
でも他の何を諦めても望んだ事だったのだ。
そして自分の中に新しい命が宿ることは、
想像していたよりはるかに歓びに満ちていた。
ひとりじゃない、と思えた。

前の旦那さんとは3年前にレスで別れた。
人が人間性と女性性で出来ているとしたら、
求められない自分の半分は腐っていると思った。 
毎日崩れ落ちた半身を抱えたまま泣きながら通勤して、
何事もなかった様に仕事をする日々が2年続いた。

子どもを作ることに反対はしなくても、
家族になろうとは言わない今の彼も、
やはり自分が独りである事を炙りだす鏡のようで、
週に一度彼が泊りに来る小さなアパートの部屋の中で、
私の身はジリジリと焦げて白い壁に焼きつくようだった。
その中で授かった命だった。

(こうめ、うまく育ててあげられなくてゴメンね。
 ダメな母さんじゃね。)

外では何とか堪えられた涙も、
一人きりの部屋に戻るともうダメだった。
ワンワンと泣くのは悦に入るようで耐えられないから、
ただ唇を噛んで膝をついたまま嗚咽し続けるしかなかった。

目と鼻と喉が全て外に飛び出てしまうんじゃないかー
いっそもうそうなってしまえばいいのに。
もう心臓を止めてしまった我が子に手を当てて、
冷たいクロス貼りの床に倒れこんだ。

(あーダメだ。明日仕事だからもう泣き止まなきゃ。)
冷凍庫から保冷剤を取り出して両目に乗せて仰向けになっても、残念ながらその脇から涙が溢れてしまう。
横たわった自分はあのこの柩みたい。

でもね、母さん知ってるんだ。

 人はどんなに悲しくても
 悲しみじゃ死なんのんよ-

つづく

いいなと思ったら応援しよう!