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残響5

(賞に出した短編を推敲して載せてます。完結。
お付き合いありがとうございました。)

車はゆっくりと、坂ビーチの駐車場へ入った。
広島の街灯りが美しいな…
どんな時でも美しいものは美しい。
あるいは、私の悲しみが足りないんだろうか-
波の音がする。

車を停めた先生は何を話すでもなく、ゆったりと座って
私が落ち着くのを待ってくれている。
車内は暖房で暖かく、ただ波の音と
時折ラジエターのがんばる音がして、


私は私のままで、そこに居ていい


そう言われいる気がして
暗く沈んで固まった私の中身は、
ゆっくりと時間をかけて柔らかく溶け出した。

その様子を確認して、コウ先生は
「ちょっと一服してきますね。」
と車を出ていった。
煙草の煙が海風にさらわれていく。
寒さに丸まった背中。
私は、彼の何を知ってるわけでもない。
でも、傷んでいる人の横にただ居られるのは、
傷んできた人だけだと言うのは、分かる。

(どうしようもなく、好きだな)
 涙と暖房でぼんやりした頭で思う。
(本当に、有難いな…)

人は生まれる前に人生のシナリオを自分で書くと言うが、
だとすれば私のシナリオはかなり自分に甘い。
悲しみを乗り越える時には、
いつだっていい男が手を貸してくれる。

戻ってきた先生の手には温かい飲み物が2本。
どっちします?と差し出されたその温かさを、
しばらく手の中で転がす。

「少し落ち着きました?」
「あ、ハイ。おかげさまで。」
「あ、笑わなくていーすよ。」

作ったゆるい笑顔のままうつむくと、
天井を向けて差し出された
コウ先生の左手が視界に入ってきた。

きれいな指。

先生は日本一を競うような
競技ビリヤードの選手でもあるらしかった。
私は全く詳しくないその競技について、
突っ込んで聴いた事はなかったけれど、
そこに掛けてきた神経が、その指の所作や姿に
滲み出るのだろう。
細いわけでは無いけれど、すっと伸びて美しい。

私は差し出されるままそこに右手を重ねた。
人をほぐしてきた手のひらは厚く、
包み込まれるようだった。

「あったかい…」

そのまましばらく、そのあたたかさに甘えて
心のガードを下ろして暗い海を見ていた。
(夜がこのまま明けなければいいのに。)
人生で永遠を願う瞬間はそう無い。
そしてその願いが叶う事もないと知るほどに、
私はもういい歳だった。

そう願えた夜があった事を、
きっと御守りのように大切に抱えて、
毎日を生きてくんだ。


「あーあ、なんかいかがわしい事してるみたいよね。」

気付けば車内のガラスは真っ白に結露して、
先生はそれを見て笑った。
「まったくだ。」
私も吹き出して、そういえばさーなんて、
過去のくだらない話を出来る様になっていた。

もう車内に深刻な空気は無く、
私たちは「いつもの」私たちだった。
重ねた手だけがポツンと、名残り惜しそうに
取り残されて、居心地悪そうにしている。

「もう大丈夫そうすね。」
お喋りは多分永遠に出来るけど、
残念ながら夜の終わりが近づいていた。
「うん、ほんと、ありがとう。」

顔を上げると、今まで見た事ないような優しくて、
どこか芝居がかった顔をしたコウ先生がいた。
そして重ねていた手をぐっと引いて私を抱き寄せ、
キスをしたー


その後もう一度流産を経て(その子はとびきりの青空の日に妊娠が分かったので蒼と名付けた)半年後に私は妊娠した。
先生とは次の日から何も無かった様にそれまで通り。

それ以外の選択肢があったんだろうか。
今考えてもわからない。
私は目の前の事だけでいっぱいいっぱいで、
あの夜の先生の真意も、その後の日常も、
深く考えずに有難く受け取るだけで来てしまった。

私たちは日々、笑い、話し、憤り、ぐったりしたりしながら何とか毎日働いて、時折先生の恋愛事情に呆れたり、私の往診珍遊記に驚愕したり、つまりやるべき事をただコツコツと重ねた。
妊娠9ヶ月まで勤めて、退職後は引っ越した事もあり段々と疎遠になった。


6年後、いまー
坂のビーチで遊ぶ2人の娘を眺めながら、思い出す。

(先生、あの時の子が戻ってきたんかね。)
あの夜が無ければ、きっとこの子達には会えなかった。

(この子達の数%は、あなたの子なんだと思うよ。
 迷惑だろうけどさ。)
「いや、本当に迷惑です。」
咥え煙草のコウ先生が、隣で笑った気がした。
「だよねぇ!」
私の笑顔は、もう作り物ではない。

あの時傍に居てくれて
本当にありがとうね ー

「かぁーちゃーーん‼」

波打ち際から娘たちが大きく手を振る。
その甘く厳しい響きを
胸いっぱいに吸い込む。

先生の居た右隣からは
波の音が、あの夜から変わらず響いていた。

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