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The Dog Days Are Over〈橋本治読書日記〉

“あの苦しかった日々は終わったんだ!”──「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.3」でFlorence + The Machine の The Dog Days are over が流れるシーンは、これまで観てきた映画の数多あるシーンの中で一番好きだ。曲の歌詞を調べるうち、そのシーンもそこでかかる曲も大好きになった。思い出して泣いてる。Florence Welch本人が件のシーンを観て号泣している動画も流れてきて、好きな気持ちにさらに拍車がかかった。The Dog Daysという慣用句のニュアンスはネイティブじゃないので正確にはわからないのだけど、真夏とか不振を意味する。映画では確か失意の日々と訳されている。登場人物たちが生まれながらに背負ってきたものや闘ってきたことが、約10年をかけてひとまず終わった。そりゃあ人生のなかでこれからも闘いは起きるし、続くけど、一番大きく心を覆っていた呪いが解けたのがこのときで、そこでかかる曲がDog Daysだ。電車のような馬の蹄のようなリズムのイントロ、ハープの音が祝福のように鳴り響く。苦しんだあの日々が終わったことを高らかに宣言する歌詞。その場にいる全員、心に抱えてきたものは違うけれど、みんなで「終わった!」ことを噛み締めて踊る。踊るのが嫌いだった人も苦手だった人も踊れなかった人も踊る、奇跡のようなシーン。息をつめて生きるような時間が多いなかで、心から「(あの苦しかった日々は)終わった!」って思える日をときどきでも繰り返していくのが私の人生でもあるなぁ、と思いつつ。

観たいなぁと思っていた映画「ウーマン・トーキング」が公開されるタイミングで偶然流れてきた印象的な記事。

この記事を書かれたのが北村紗衣さんだと知って、読みたくなって北村さんの本を買い漁ったのがこの数日間。Twitterをやっていた頃から気になる存在で『批評の教室』だけは買っていた。橋本治の本をさらに深く読むために必要な気がするその自分の勘を信じて、読んでみる。

橋本治のチャンバラを読み終わってから、今年の目標だったパンセシリーズにとりかかっている。『女性たちよ!』はあっという間に読み終わり、今は『若者たちよ!』。6月にも入ったことだし、橋本治四季四部作を季節ごとに読むプロジェクト最後の『夏日』もそろそろ読みたいところ。

私が橋本治に一段と深くのめり込んで行ったのが2019年の年末あたりで、橋本治以外を読む気が起きず、映画やマンガにも気持ちが向かなかった時期がちょうどコロナ禍に重なっていた。コロナの規制が緩くなるにつれて、橋本治以外の本やマンガを読めるようになってきたし、映画も観たいと思えるようになってきた。それは私にとって歓迎すべきことだ。大事なのは、橋本治を読む意欲は衰えていないこと。何を観ても何を読んでも橋本治は常により深く理解したい対象であって、それはこの先も変わらないのだろうという確信が自分にはある。橋本治を読みたいし、著作を理解したいと思ってこの三年間橋本治だけを読んできたけど、いつからか「橋本治を理解するには橋本治だけを読んでいてはダメなのではないか」と思っていた。たぶんそれは正しいのだが、いかんせんそこでのネックは「橋本治以外読みたくない」だった。橋本治から自分の心が離れることをどこかで怖がっていたのかもしれない。だから、橋本治を読みたい気持ちは確固としてあり、実際に読みつつも、他の本を読んだり映画を観ることができるようになってきたことは歓迎すべきことなのだ。私の研究生活が新たなフェーズに入った。

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