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橋本治自身も登場、幻の小説『少年軍記』

「私はこの小説の中で、自分を殺してしまったのである。この全7部・87章の長編は例の“全共闘の話”で、今度ばかりは私も、その当時現役で学生していた故をもって、作中人物として登場せざるをせない。『なんか、そういうことになるかもしんないなァ、やだなァ……』はズーッとあったのだけども、最近の私は元気だから、『ええい、出しちゃえ!』で、公然と私はこの小説の中に出て来るのである。もう、あからさまに『このモデルは俺自身!』と言わぬばかりの出方をして、一体この私がどういう人間かということを知って、大方の人間はショックを受けることにはなるのだけれども(但し私が主役では勿論ない)─という訳で、これは一種“私小説”にもなるのだがどっこい、私がそんな芸のないことをする訳もないのでどうするかというと、ハッハッハ、そのあからさまに私自身であるようなその作中人物は、第5部の10章で死んでしまうのである。勿論死因は自殺なのだが、しかし、私小説の“私”が死んで、それでも小説は続いて行くなどという小説は前代未聞であろう。なにしろ、この私自身は相変わらず生きているのであるからして。
なこたァどうでもいいが、しかし私は、そういうことにして『あ、こっちの方がホントだ』と思ったのである。『どうもヘンだと思ってたけど、俺ってやっぱり、二十歳の時に自殺してる方がホントなんだよね』と思ったんだから、この人も大したものだ。
という訳で、私は二十歳で死んでしまう。そして─まァ、今だから言うけども、私は実は、32歳から36歳までの間、いつ死んでも不思議ではない状態にいたのである。その先に自分の人生がないということを冷静に見つめていればそうなっても一向に不思議はないからそうなったのだけれども、それで行くのなら、やっぱり二十歳の時に死んでいてもよかったのである。私は、論理が無力になると死んでしまうという、人間という生物の鏡みたいな人間なのである。(まァ、それでどうして死なないのかというと、それは結局私が『僕が死んだらみんな悲しむだろうなァ』という通俗的なセンチメンタリズムに、平気で溺れこんでいられるとんでもない男だという、それだけの話なんであるが、しかし“そういうもの”は強いよォ。勿論、小説の中で自分が公然と死んでしまうという設定に、私が酔わないでいる訳はないので、実は、それで興奮していたりもするのである─バカだね、お前は。)」

橋本治『若者たちよ!』(河出文庫、pp.208-209)


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