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“豊か”ってことは、「努力することが楽な状態」
「“豊か”ってことは、『努力することが楽な状態』なんだけど、みんなそんな風に思ってないね。
いくらでも浪費できる状態が“豊か”だと思ってるからさ、宝クジで一発当てた成金状態しか頭にないんだな。いいけどさ。
それで、『豊かとは使い捨てなり』で、今の日本は破滅への道を辿ってるわけだから。」
(『日本の名随筆 女心』)
“女心”をテーマにしたエッセイのアンソロジー。
橋本治は、女側にも男側にもつかない。
なぜならば問題は男女としてではなく、社会全体としてであって、全ては“個人の資質・能力”に帰属するものであるから。
「家事は一つの労働なんですよ。家事は一つの労働にもなりうるんですよ。オレは東京じゃ洗濯してんだから(これが今年になってから本を12冊出版した男のセリフだと思いなさいよ)。
(中略)
家事も出来ない、ロクな仕事も出来ない、それで『自分は“男”だ』っていうつまんない一般性をタテにとって、世の中をメチャクチャにする権利なんて、ないと思うね。
仕事も持ってない、ロクな家事も出来ない、それで『自分は“女”だ』っていうつまんない一般性をタテにとって、家の中をメチャクチャにする権利なんて、ないと思うね。
それを専従にするっていうんだったら、その仕事の純度をもうちょっとアップしてほしいね。」
(『日本の名随筆 女心』)
“男”“女”にチョンチョンカッコがついていることを見逃さないでほしい。
仕事も家事も完璧にしろとは言ってない(橋本治も、洗濯はするけど自炊はしないと書いている)。
「女だから家事をする、男だから社会のなかで金を稼いでくる」というのではなく、個人の資質と能力によって、他人との関係性のなかで自分の仕事は決まるものであって、自分のやってることが自分の仕事なんだからちゃんとしろ、てことだと受け取りました。
人間の“関係”はみんなイーブンの互角。
相手に家事をしてもらって自分は会社に行くんだったらそれに見合うように成果を出せ(社内的にではなく、社会的に)、家事をするのが仕事なら相手とイーブンになるくらいの状態を作れ、という。
それでみんなが自分のやるべきことに対して努力することが豊かである、ということではじめに戻ります。