見出し画像

『消えた言葉』橋本治

言葉が消えてしまうのは、その言葉が指し示すものがなくなってしまうから。そしてそれは、そのものを支える仕事がなくなっていることでもあります。
しかしこの本の重要なところは、なくなってしまったものを懐かしむ本では「ない」ところです。

「そのものは存在しても、それを指し示す言葉が存在しなければ、そのものは存在出来なくなってしまう。
我々はいまだに、玄関から室内に上がる時、わずかな段差を持つ家に住んでいる。つまりまだ我々の生活のなかには『上がり框』なるものが存在しているのである。存在していて、我々はその言葉を使わないだけだ──それゆえにこそ、使えない、そしてその存在を忘却せざるをえない無知が生まれるというだけだ。(中略)今現在、我々はおびただしい数の不用品に囲まれて、正確に必要なだけの数を挙げることが出来ない。つまり、我々は不用品の一々に不用な言葉を与えて、必要というものを混乱させているだけなのだ。消えた物を拾いだして回顧趣味にひたっているのはもうやめにしたがよい。
我々は、消えた言葉の持っていた歴史の永さを拾い上げて、もう一度その中に潜む『当たり前度』というものを計算しなおさなければならない。言葉というものは、そのような“当たり前性”の上にしか成り立たない」。

橋本治『消えた言葉』

存在しているのに、気づかないでいるものがある..。

「それは明らかに存在していて、その存在に気づくかどうかは、まったく当人の文化的な資質の問題なのである。我々は火鉢や炭なるものが日常から消滅してしまったから、若い人間がそのことを知らないと思いがちだが、しかし違う。
我々はそのものを消滅させてしまったのではなく、そのものをさし示す言葉を消滅させてしまったのである。」

橋本治『消えた言葉』

消えた言葉に関して問題なのはこちらのほうだ。ものがなくなるのは習慣や生活環境の変化によるものである、でも永い歴史を経て残り、存在しているのに、言葉のほうが先になくなってしまうということがあるのです。
どうしてそれがここにあるのだろう?
これは何と呼ぶのだろう?
コレはいつからあるのだろう?
そういう疑問すらなくなって、視野がどんどん狭くなって..。 存在しているのに「見えなく」なっていて、それに平気でいること、言葉を知らないというのは、そのように貧しくなってしまうことなんだということだと思いました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?