橋本治「度を過ぎた量はこわい」 8 chisato_mrt 2022年12月7日 20:00 素人が写真を撮ることは、撮る側が被写体を我が物にしたいという欲望丸出しの行為だ、と橋本治はエッセイに書いている。みんながスマホを持つようになって、写真を撮るようになって、それをSNSに上げて。それらは全部、撮る側の欲望の表れ。「中高年のオッサンじゃなくて、オバサンならいいのか、若い女ならいいのかという、カメラを構えている側の見てくれの問題ではなくて、『写真を撮る』という行為が『被写体となるものを我が物とする』というような欲望丸出しの行為だから、やなの。『そんなもん、見せなくたっていいじゃないか』と、ニュースを流す方に対して思う。多分、それが『欲望を丸出しにする行為』だと思われていないからそういうことになるんだろうけれど、プロのカメラマンなら、写真を撮る時『自分の気配を消そう』と思うんじゃないだろうか。カメラを構える自分と、被写体となる対象とどっちが大切かと言えば、当然『自分より対象』のはずだから、そう考えるカメラマンの気配は、自然と『消える』の方向に行くんじゃなかろうか。」「大量の人間が集まっていて、欲望が丸出しで、でもそれがなんの『物語』も持たずにそれっきりというのは、不気味でこわい。『人が行列している』と聞くと、もうそれだけで近寄りたくない。」橋本治「度を過ぎた量はこわい」(ベスト・エッセイ2018) ベスト・エッセイ2018 amzn.asia 1,980円 (2022年12月07日 00:13時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #橋本治 #原っぱの橋本治研究 #日めくり橋本治 #ベストエッセイ2018 8