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直すか、買い替えるか、それとも
この一週間、スマホのインカメラ内側に付いた、砂粒ほどの水滴とにらめっこしている。
そう、やってしまった。
お盆休み、帰省先の徳島で川遊びに出かけ、スマホを水没させてしまったのだ。夫が「スマホ、プールバッグに入れとく?」と提案したにもかかわらず、「写真撮ってからね」と水着のポケットに入れた。猛烈な暑さで、1秒でも早く水に足をつけたい。エメラルドグリーンに澄んだ勝浦川にはしゃぐ息子につられて、わたしもうれしくなり、すぐさまさぶさぶと川に分け入った。そうだ、写真撮ろうっと。写真……
ここから先は想像の通りである。
幸い(?)、すぐに気がついて乾かしたので、スマホは無事動いている。ただ、水没直後はなんともなかった動作に少しずつ支障が出始め、今は左側のタッチがとても効きにくい。これ以上悪くならないよう、スマホが熱くなると出現するインカメラの水滴をなんとか乾かそうと、乾燥剤とともにジップロックに入れるということをくり返しているのだった。(ちなみに、バックアップは取れた! 8/23現在、水滴が消えた)
スマホを水没させたら、1日、1時間でも早く専門店で修理すべし。
どこをどう検索してもそう出てくるのだが、修理に出さずに騙しだまし、使い続けているのにはわけがある。ご存知の方もいると思うが、9月にはiphone16が発売される。元々、次のモデルが出たら機種変更しようと思っていた矢先のこの事件。多少の不具合が出ても「あと1ヶ月もちこたえてくれれば」という祈るような気持ちで、水没iphoneの看病をしているのだった。
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そんな顛末を経て、ふと、ものの寿命について考えた。
ものが壊れたとき、わたしはどんな選択肢をとってきただろう?
直す
買い替える
それが「ない」生活に切り替える
「壊れたとき」は、好みやライフスタイルが変わってまだ使えるのに出番がなくなった場合とは、違う。
対処法としてはこの3択だろうか。
家を見回してみると、直してきたものは色々ある。
欠けた包丁、割れたうつわ、チェーンの切れたネックレス、穴があいたニットやパンツ、破れたポジャギ、靴箱の扉…。自分で繕ったものもあれば、直していただいたものもある。お気に入りのガラスジャーの蓋が割れてしまったときは、作家さんが修理してくださって感激したっけ。振り返るとどれも愛着があり、作り手を信頼していることがわかる。そもそも構造がアナログなため、アップデートの必要がないことも大きい。
「直すっていいものだな」と思えたのは、京都の老舗包丁専門店「有次」で包丁の欠けを直したとき。それまで安価な包丁しか使ったことがなかったわたしは、「修理代で新しい包丁が買えるくらいの値段なのかな」とおっかなびっくりだった。ところが、欠け1箇所の修理は1500円(当時)。ぴかぴかに研ぎ直されて戻ってきて、いいものを長く使うことの充実感で満たされた。
それからというもの、直したいという気持ちがあれば、作り手や製造元に修理代を確認している。
若いころは「直すより買う方が安い」という量産的思考の言葉を鵜呑みにしていたが、ものづくりに誠実な作家やメーカーの品は必ずしもそうではない。問い合わせてみると多くの場合、修理代は想定していたよりずっと安い。そして、「ご愛用いただきありがとうございます」という言葉とともに、修理だけでなくメンテナンスやクリーニングまでされて返却されると、心から「おかえり」という気持ちが湧いてくる。
また大切に使いたいと思う。
買い替えたもの、で最初に思い当たるのは、掛け時計だ。
数年前、それまで使っていた時計が電池を入れ替えても動かなくなり、むしろ張り切って新しい時計を探した。壊れてみて気づいたけれど、わたしはずっと、機会があれば変えたいと思っていたのだろう。「直す」という選択肢が外れることで、それがしっくりきていないのだと気づく。処分する労力や予定外の出費に少し心はいたむけれど、今の自分によりフィットするものを選び直すチャンスでもあると思う。
「ないと困る」と思っていたものも、手放してみると必要ではなかったということもある。わが家の場合は、ソファーの下に敷いていたラグ。以前使っていたものに破れや汚れが目立つようになり、当時すぐに気に入るラグが見つからなかったため、フローリングのままで生活するようになった。するとやっぱり、掃除がラクなのだ。
工作好きの男子がいるわが家。息子が帰宅すると、リビングの床はあっという間に紙くずや文房具、おやつのゴミなどでいっぱいになる。食べかすや何かの切れ端、のりやグルーガンが毎日ラグの隙間に絡んでいたら、わたしは発狂していたかもしれない。
さすがにスマホともなれは簡単に「ない生活」を選ぶことはできないが、SIMカードを抜いて乾燥剤で乾かしている間、PCに電話番号とLINE、SNSを同期しておけば仕事の連絡も見落とさずにすんだ。
3つの選択肢でいうと、スマホは「買い替える」ことになりそうだけれど、いっときでも「ない生活」を工夫で乗り切る術と、今後水没したときの対応や修理代をリサーチできたことはとても有益だった。
(そもそもスマホを水没させないようにする方が大事ではあるが…)
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ものが壊れたら、ショックだけれど「何かの身代わりになってくれた」と考えて気持ちを切り替えるようにしている。
そしてこれは、サインなのだと思う。
直すか、替えるか、手放すか。
直すものは、自分にとって変わらない価値を教え、買い替えるものは、変わる時期が来たと知らせてくれる。
そしてもう一つ、それが本当に自分にとって必要かどうかを見直すチャンスでもあることを、覚えておきたい。
買い替えたものが次に寿命を迎えたとき、「直す」や「手放す」を選べたら、自分のもの選びの筋力が少し上がったような気がするのだ。